夏の章・03 ウェディングドレス選びは大変だ

 友紀に案内されて辿り着いた式場は、住宅街(といっても、なかなかハイレベルな住宅が並んでいる)の中にひっそりと佇むような風情のものだった。

 周囲は緑の木々に覆われ、その間から見え隠れする建造物は美術館と洋館を足して二で割ったような印象を与えている。

 正門から建造物までの道のりは、イングリッシュガーデン風の庭園が広がっていた。今は薔薇の季節らしく、柔らかな色合いの様々な薔薇が咲き誇っている。

 しばらく歩くと、チャペルらしき建物が見える。やけに人が多いと思ったら、式を挙げている最中のようだ。華やかな正装に身を包んだ人々の隙間から、純白のウェディングドレス姿の花嫁の姿が見える。

 人々の笑い声、喝采。祝福に包まれた二人の上に降り注ぐ、花びらの雨。

 こんな光景を見たのは、ずいぶん前に出席した友人の結婚式以来である。ふと友紀の様子を伺うと、彼女は羨むような眼差しでチャペルの二人を眺めていた。

「……?」

 眩しいものを見つめるような、それでいてどこか憂鬱そうな。

 どうしたのですか、と訊ねようと口を開き掛けたものの、誉はある可能性に気付いてしまった。

 もしかしたら、彼女は父との結婚に後悔をしている……?

 最初は、ドレス選びに自分を付き合わせたと、ひどく申し訳なさそうにしていた様子を、友紀が遠慮しているだけだと思っていた。

 しかし、もしかすると、すでにこの結婚を後悔し始めているとしたら。

「誉さん?」

 いつの間にか足を止めていたらしい。立ち止まった誉を怪訝に見上げている。

「どうかしましたか?」

「いえ……何も」

 誤魔化そうとしたが、結局誤魔化す言葉が浮かばず、下がってきた眼鏡を人差し指で押し上げた。

 ……考え過ぎだな。

 そうだ考え過ぎだ。もし後悔しているのなら、式を挙げたいと思うわけが無かろう。

 そうだそうだと、不吉な考えを頭の隅に追いやった。


 受付を済ませると、担当者である田中と名乗る女性がすぐに現れ、さっそく試着室へと通された。試着室の壁際のずらりと並んだウェディングドレスの白が目に眩しいほどだった。

 しかし、よく見ると純白のドレスばかりではない。淡いブルーやピンク色。どれも同じだと思いきや、色々とタイプがあるらしい。

「まずはドレスのタイプから選んでみてはいかがでしょうか」

 田中は、二人の前に分厚いカタログを差し出した。

「スレンダータイプ、マーメイドタイプ、Aラインタイプ、プリンセスタイプ……と基本はこの四つのタイプがありますが」

 ふんわりほほ笑むと、さらに田中の説明は続く。

「同じタイプでも、襟元や袖の長さでずいぶんと雰囲気が変わるんですよ。ドレスの裾の長さも色々とありまして……」

 田中曰く、ドレス丈の長さの違い。床に触れるような長いものばかりだと思っていたが、なんとミニ丈のタイプもあるらしい。丈の長さの他にトレーン(そもそもトレーンってなんだ?)の有無、そして長さ。加えてパニエ(ドレスの膨らみのことである)の有無、そしてボリューム。

 またドレス生地の素材や袖のタイプの長短、さらにはドレスに合わせたベールや手袋、アクセサリーと様々な小物類まで選ぶ必要がある……と、田中の説明を聞いただけで、誉はすでにお手上げ状態だった。

 そして何より驚いたのは、ウェディングドレスに白以外のものがあるという事実であった。最近の小学生のランドセルは、赤と黒以外にも様々な色があると知った時と同じくらいの驚きだ。

 しかも同じ白でも微妙な色具合があるらしく、ホワイト、オフホワイト、アイボリー、シャンパンという種類があるとのこと。

「……といいましても、実際に着てみないとわからないものです。最初にタイプの違うドレスを二、三着ご試着してみましょうか? 何かご希望はございますか?」

 田中の質問に、友紀は意を決したように答える。

「プリンセスタイプをお願いします」

 予想外の要望に、誉は驚く。

 はっきり言って意外だった。何故なら、きっと彼女はシンプルなものを好んでいると思っていたからだ。

 プリンセスというくらいだ。恐らく童話に出てくる姫君が着るようなドレスなのだろう。いや、恐らくきっとプリンセスタイプなるドレスも似合うだろうが、彼女の場合はお姫様風ではなく、むしろお妃風になってしまいそうな気がする。

「そうですね……では、こちらもご一緒に試してみてはいかがでしょう?」

 そう言いながら田中さんが差し出したのは、マーメイドタイプのカタログだった。

「試着をする時は、お好みのドレスと、違うタイプのドレスを試してみるといいんですよ」

「それは……似合わないから、ということですか?」

 少し傷ついたように友紀は問う。すると田中は、笑顔のまま頭を振る。

「いいえ、そういうことではございません。他のお客さまもおっしゃっていますが、どのようなデザインが似合うのか実際に着てみないとわからないものなのです。それに、なかなかこのような機会も無いと思いますし、むしろ楽しむくらいの気持ちで色々とご試着されてはいかがでしょう?」

 滑らかに語り終えると、最後に柔らかな微笑を浮かべる。

「……そうですね」

 友紀も田中の説得に納得がいったようだ。しかし。

「でも、プリンセスタイプにしたいんです」 

 田中の意見を呑むかと思いきや、友紀は自己の主張を推し進めようとする。

 誉からしてみれば、他のものも試してみればいいと思うのだが、友紀は友紀なりに拘りがあるのだろう。何せ一生に一度の晴れの舞台なのだから。

「でも、せっかくですからマーメイドもAラインも試してみてはいかがでしょう? 廣瀬さまは身長があるから、このようなデザインもお似合いになると思いますよ」

 恐らく田中は、シンプルなドレスを勧めたいのだろう。新たなカタログを傍らから取り出すと、さっと付箋が付いているページを開く。

「たとえば……ほら、このドレス。今月入荷したばかりの新作なんですよ。いかがですか?」

「確かに素敵ですけど……」

 力なく友紀が笑う。

 彼女の好きなものを着せてやればいいと思うのだが……。

 二人のやり取りを傍観していた誉だが、ふと思い出す。

 そうだ。今日は父の代わりを果たさなければならないのだ。女性の服のことなど知らん、わからんで済ませていいはずがない。

 誉が小さく咳払いをするものの、二人の話は止もうとしない。一瞬心がめげそうになるが、講義中に夢中でお喋りに興じている学生を相手にするよりは幾分マシだ。

「私からも意見をよろしいでしょうか?」

 けして大きな声ではないが、低く通る声で告げる。

 二人は、誉が意見を発するとは夢にも思っていなかったのだろうか。まるで鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。失礼な、と思うが、これまで傍観者を決め込んでいた誉にも非があるのだろう。

「田中さん、よろしいですか?」

「は、はい。もちろんです」

 もう一度訊ねると、田中は取り繕うような笑顔を浮かべる。

「新郎さまからのご意見は大歓迎です」

「新郎ではありません。わたしは新郎の親族です」

 最初に説明したはずだが、すっかり飛んでしまったのだろう。話の腰を折るのも考えものだが、大事なことなので敢えて腰をへし折ることにする。

「これは大変失礼致しました。ご親族さまのご意見をぜひお願い致します」

「まずは彼女が選んだドレスを試着させて貰えませんか?」

「ええ、もちろんです。でも」

 なおも食い下がろうとする田中に、誉はやんわりと押し留める。

「まずは気に入ったものから着せていただきたい」

 一瞬、田中が驚いたような、怯えるような表情になる。

「……わかりました」 

 が、すぐに元の営業スマイルに戻る。

「では今から用意致しますので、しばらくお待ちください」

 カタログのすべてをテーブルに並べると、一目散部屋の奥へと逃げ込んでしまった。

 やってしまった……。

 小さくため息をつきながら、眼鏡のフレームを押し上げ、もうひとつおまけにため息を吐き掛けようとした時だった。

「ありがとうございます」

 友紀がこっそりと囁いた。

 何かお礼を言われるようなことなど、あっただろうか? 不思議に思っていると、友紀は苦笑しながらそっと囁く。

「似合わないとはわかっているんですけどね、こういうタイプ」

 テーブルの上のカタログを、そっと手に取る。表紙にはテプラで「プリンセスタイプドレス一覧」と書かれている。

「わかってはいるんですけど、憧れだったんです。こんな風に可愛いドレス」

 まるで少女のように照れたようにはにかむ。 

「……そうですか」

 曖昧に頷きながら、誉は不可解な思いに囚われていた。

 さきほど他の結婚式を見てる時の憂鬱な表情と、憧れていたドレスを語る照れた表情。

 どちらが彼女の本心なのだろう?

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