春の章・14 父の再婚相手2

 砂を噛むような……という感覚はこのようなことを言うのだろう。

 美しい細工の先付けも、脂の乗ったお造りも、味がよくわからない。店のお勧めという純米吟醸酒も、口当たりがいいのはわかるものの、味わうまでの余裕がない。

「廣瀬さんも、杜の前中学だったのですか」

「そう。同じ出身校なんですよ」

「世間は狭いものですね」

 などと言いながらも、気持ちは上滑りして何をしゃべっているのかわからない。

 当たり前のように肩を並べて座る二人を、豪勢な料理を挟んで眺める。

 年齢の差は親子ほど離れているというのに、二人が醸し出す雰囲気は明らかに親子ではない。親しい友人以上、夫婦未満といったところであろうか。歳の差の割には妙にしっくりした組み合わせの二人に、誉は複雑な気持ちだった。

 誉は居た堪れない気持ちで、酒に口を付ける。あまり飲んではいけないと思いつつ、この状況で飲まずには間が持たない。

「誉さん、お酒強いんですね」

 友紀が感心したように目を瞬くと、ほころぶようにほほ笑んだ。

「いえ、そうでもないのですが」

 さすがに飲まずにはやっていられないからだ、とは言えない。しかし、そろそろ酒は控えた方がいいだろうと思っていると、友紀が躊躇いつつ衝撃発言を口にした。

「実はわたし、飛沢せ……圭介さんの教え子だったんです」

 一瞬、息を呑む。

 教え子?!

 恐らく友紀と誉の歳の差は二、三歳程度であろう。もしかすると、同じ時期に学校にいた可能性も十分にある。

「教え子って……父さん」

 美味そうにお造りに舌鼓を打つ圭介に、救いの目を向ける。

「ああ。お前が中学一年の時、彼女は三年生だったよ。お前も確か……一度会ったことがあったんじゃないかな?」

 ……知らないぞ、おい。

 頭をハンマーでかち割られたごとき衝撃を、誉は茫然と受け止める。

 まさかその時期に二人は……なんてことはないと思いたい。

 母瑞貴が亡くなったのは、誉が中学一年の年末だった。中学に上がってから病が発覚した母瑞貴の容態は、悪化と小康状態をくり返していた。そんな状況で女子中学生との恋愛にうつつを抜かしていたというのだろうか?

「もちろん、当時じゃないですよ」

「……ですよね」

「ですよ」

 誉の懸念に気付いたのか、はたまた最初から誤解を招かれる可能性を感じていただけなのか。友紀は苦笑すると、空になった誉の杯にとろりとした酒を注ぐ。

「いくらなんでも中学生なんて相手にされるわけじゃないですか。それに……」

 友紀は言葉を濁すと、そっと瞼を伏せた。

「それに…………あ、お酒無くなっちゃいましたね。次は何にしましょうか?」

 話題を変えるようにメニューを開くと、圭介がそれに乗っかった。

「ああ、じゃあウーロン茶をいただこうかな」

「はい。誉さんは?」

「いえ……私はまだ結構です」

 ――それに?

 友紀が何を言おうとしているのか。何となくではあるが見当がついた。

 恐らく誉の母、瑞貴のことだろう。

 教え子だったら、担任の教師の妻が亡くなったという話は聞いているだろう。確か葬儀の時、圭介が受け持つクラスの生徒が何人か来ていたような気がする。

 そうか。あの中に彼女がいたのか。

 ずいぶん昔の話だ。女子生徒がいたかどうかも思い出せない。

 杯に残った酒を飲み干すと、複雑な思いと共に静かに息を吐き出した。


 * * * * *


「――で、どうだったの?」

 あからさまに興味津々な様子で訊ねるのは、事務職員の篠原真人である。

 研究費申請の件で相談があると研究室に来たものの、さっきから奴が口にするのはどうでもいい世間話ばかりだ。

 しかも、人の湯沸かしポットでお茶まで淹れて寛いでいる。しかし淹れてしまったものは仕方がない。勝手に淹れられたお茶を渋々啜っていると、篠原は焦れたようにさきほどの質問をくり返した。

「で? どうだったのさ。焦らさないで教えてよ」

「何の話だ?」

「親父さんの結婚相手とのご対面」

「っ……?!」

 思わずお茶を吹き出しそうになるが、寸でのところでどうにか堪える。

「……どうしてお前が知っている」

「うん。飛沢家に電話したら、お父さんが話してくれたよ」

 あまりにも悪びれず、あっけらかんと語るものだから、こっちが驚いてしまう。

「お前が……何故家に電話などするんだ」

「だって可愛い一人息子が一人暮らしだよ? 三十にもなって今更だよ? 何か深い理由があってのことかと思ってさ。飛沢家に電話をしたらお父さんが出てさ。誉くんが一人暮らしを始めた理由は、自分の再婚のせいだって言っていたよ」

 父さん……何故その話をこの男にする。

 いくら息子の学生時代の友人だからとはいえ、油断し過ぎだ。

 だが、この再婚は圭介自身の話だ。誰に話そうが圭介の勝手だ。勝手ではあるが、出来るならばこの男には話さないで欲しかった。

 誉が何を考えているか見通したように、篠原はにやりと笑う。

「で、どんな人だった?」

 この男は、何か言うまでしつこく訊ねてくるだろう。

「…………悪い人じゃなかった」

 ぼそりと呟くと、少々不満げに篠原は眉をひそめる。

「悪い人じゃないとかって、他に言い様が無いのさ?」

「美人だった」

「へえ」

 誉の発言が意外だったのだろう。篠原は意外そうに目を見開く。

「誉くんは、年上好みだったんだ」

 年上。二つしか違わないが、一応は年上だ。だが、別に年上が好みというわけでもない。

「別にそいうわけじゃない」

「あっそ」

 意外にもあっさりと引き下がる。拍子抜けしたものの、これ以上突っ込まれなくて安堵する。が。

「でもまあ、お義母さんにしては若過ぎるかもしれないけどね」

 どうやら彼女の年齢まで、こいつに筒抜けのようだ。

 誉が憮然としていると、篠原は悪戯っぽく口の端を吊り上げる。

「誉くんも、お父さんに負けていられないねえ」

「……結婚は勝ち負けではないだろうが」

 眉間に触れると、案の定皺が刻まれていた。こっそりと指の腹で皺を伸ばしながら、明後日の方向を睨む。

「相手は教え子なんだってね」

 そんなことまで話したのか。自分のこととはいえ、圭介の口の軽さに少々呆れる。

「誉くんもいいんじゃない」

「何がだ」

「教え子」

「馬鹿馬鹿しい」

「まあまあ」

 篠原は薄くほほ笑むと、手にした書類を誉の前に置く。

「今週中に提出お願いします」

 じゃ、と営業モードの笑顔と共に、研究室を後にした。

 しばらくの間、閉まったドアを眺めていたが、ずるずると机に突っ伏した。

 父さん。身内の事情を振りまくのはやめてくれ……。

 一週間休みなしで働いた後のように疲れた。やれやれと身を起こし、篠原が残した書類を手に取った時だった。


 ――コンコン。


 ドアを叩く軽い音がした。

「失礼します」

 控えめな声。数日ぶりに聞く山田ひなたの声だった。

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