第320話 これからの人生


 数日後。


 俺は師匠のもとに向かうことになった。師匠と会う前には、特殊選抜部隊アストラルのメンバーの人が見舞いに来てくれた。


「レイ。調子はどうだ?」

「そうですね。概ね、あまり問題はないかと」


 ヘンリック=ファーレンハイト中佐。今回の戦いで数多くの戦場で指揮を取って、数々の功績を上げてきた英傑だと言われている。俺たち特殊選抜部隊アストラルの指揮をしながらも、彼は他の部隊でも活躍していたのだ。


 そして後ろにはフロールさんとデルクも立っていた。


「レイ」

「フロールさん。どうも」

「……魔術が使えないそうね」

「そうですね。でも、もう必要ないですから。戦争は終わりました。俺が魔術を使える必要は、もうないでしょう」

「……そう、だけれども」


 歯切れが悪いようだったが、それ以上は追求してこなかった。彼女はフルーツの盛り合わせを持ってきてくれており、俺が他の人と話している間にリンゴの皮を剥いてくれていた。


「レイ。少し細くなったか?」

「デルク。まぁ、そうかもしれない。今は筋トレもできないし」

「すぐに良くなるのか?」

「外傷はないしほとんど問題はない。魔術が使えない以外は、普通だ」

「そうか。まぁ、また会いにくるぜ。しっかりと養生しろよ。それで一緒に筋トレでもしようぜ」

「あぁ」


 ガシッと握手を交わすと、デルクを含めてやってきていた人たちは帰っていった。その後は入れ替わるようにして、ガーネット大佐がやってきた。


「レイ。何だか久しぶりだな」

「大佐。そうですね。自分はずっと眠っていましたので」


 腰まである長い髪を後ろに流し、ニコリと微笑みかけてくる。戦場にいる時はいつも張り詰めたような表情をしていたが、今はすっかりと落ち着いている。


「魔術が使えないそうだな」

「厳密には、魔術領域暴走オーバーヒートを抑えるために他の魔術を使えないという感じですが」

魔術領域暴走オーバーヒートか……完治するのは数年かかるらしいな」

「はい。数年か、それとも十年以上かかるのか。それは分かりません」

「そうか。レイ、それでこれからの話だが」

「これから、ですか?」


 これから先の話。


 それは俺も全くわからない。軍人として生きていくことはもうできないので退役する手続きはキャロルに頼んである。軍の上層部はあっさりとそれを了承してくれたらしい。


 キャロル曰く、少し揉めることになるかもしれない……とのことだったが、きっと彼女が上手くやってくれたのだろう。また近い内に礼をしないとな。戦争が終わってからは世話になりっぱなしだからな。


「私、キャロル、それにリディアも軍を辞めることになった」

「え……師匠と俺はともかく、どうしてお二人も?」

「私は軍人には向いていない」

「そうは思えませんが……」


 戦場ではハーレンハイト中佐以上に、指揮官として活躍していた彼女が軍に向いていないと思う人間はいないだろう。どうして大佐はそんなことを言うのだろうか。


「いや、向いていないさ。それにあの戦場はあまりにも過酷すぎた。もう……大切な人を失う恐怖を私は経験したくはない」

「そう……ですか」


 ハワードのことを言っているのはすぐに分かった。後になって分かったことだが、大佐はハワードのことを好きだったらしい。俺は全く気がつかなかったが、特殊選抜部隊アストラルの活動が活発の時はよく一緒にいたのを目にしていた。


 言われてみると、なるほどと肯けるものだった。


「これからは後進の育成に人生を費やすことにしたよ」

「後進の育成、ですか?」

「あぁ。今はアーノルド魔術学院の学院長のポストが空くらしくてな。近い内に正式に就任する予定だ」

「それはおめでとうございます」

「ありがとう」


 優しい笑みを浮かべるようになったと思うが、こちらが本来の姿なのだろう。それにしても魔術学院か。俺には全く縁のない場所だな。学校にろくに通ったことのない俺が、今更学院に行くことはできないだろうし、それに……この手はあまりにも血に染まりすぎている。


 普通に学生として生きていくなど、俺には無理だろう。


「レイのこれからの話はリディアに聞くといい」

「師匠にですか?」

「あぁ。私の口から言うべきことではないだろう」


 スッと立ち上がる。


 そして、軽く手をあげると彼女は病室の外に出て行った。


 それから数日後。俺はついに師匠のもとに自分の足で向かうことになるのだった。



 病院内を歩いていく。


 現在は早朝であり、師匠にしては珍しい時間を指定してきたものだ……と思った。今は時間帯もあって人は閑散としている。自分の足音が反響する音だけが聞こえてくる。


「レイです」

「おぉ。入っていいぞ」


 ノックをするとすぐに返事が返ってきた。声色も明るいもので、いつもの師匠のように思っていたが……ベッドにいる彼女を見て俺は改めてキャロルに伝えられた現実を知ることになる。


「……車椅子、置いてあるんですね」

「あぁ。キャロルに聞いたと思うが、もうこれ無しでは移動できないからな」

「……」


 俯く。


 師匠の下半身は動かなくなってしまった。その事実は決して変わることはない。


「どうやらレイに治療してもらったようだが、完全には治らなかったみたいだ。しかし、生きているだけでもありがたいさ。本当にありがとうレイ」

「そんな……自分は……」


 涙が溢れそうになる。


 それをぐっと堪えるが、どうしてもポロポロと滴が勝手に溢れてしまうのを止めることはできなかった。


「自分の……あの時、呆けていた自分のせいです……師匠が俺を庇ったから……俺のせいで師匠は……」


 そうだ。


 あの時のことを鮮明に思い出す。俺がもっとしっかりとしていれば、師匠は下半身が不自由になることなんてなかった。俺のせいで、これからの人生を生きていくのが困難になってしまう。自分の足でもう歩く事ができない。


 全ては俺の失態だ。



「レイ」



 声が聞こえる。ふと師匠の方を見ると、真剣な顔つきをしていた。


「……師匠」

「ちょっとこっちに来い」

「……はい」


 近寄っていくと、師匠は俺のことを強く、とても強く抱きしめてくれた。


「私はお前が生きてくれているだけで、それだけでいいんだ」

「……師匠」

「あの時の選択は間違ってなどいない。それだけは、断言できる。レイがこうして生きてくれているだけで、私は十分に幸せだ」

「……うっ……師匠、自分は……そんな……」

「だから、ありがとう。お前が生きて、私もこうしてレイの熱を、暖かさを感じ取る事ができる。それだけで十分過ぎる。下半身が動かないことなど些細なことだ」

「師匠……うっ……ぐすっ……自分も、師匠が生きてくれていてよかったです……っ」


 とうに涙など枯れ果てたものだと思っていた。しかし、師匠の胸に抱かれながら俺は涙を流し続けた。今まで溜まっていた全てを吐き出すような感覚だった。


 ずっと我慢をしてきた。自分の心を押し殺してきた。それが、自分の為すべきことだったから。仲間の死を嘆く暇などない。そんな時間があるなら、前に進む必要があったからだ。


 でも、もう前に進む必要はない。

 

 仲間の死を嘆いてもいい。その死を悼んでもいい。


 またよく見ると、師匠も静かに涙を流していた。そうだ。お互いにこうして、生きているだけで十分なんだ。互いの熱を感じて、話ができるだけで十分だ。きっと師匠も同じ気持ちなのだろう。


 しばらくした後、俺は師匠から離れて彼女と向かい合っていた。


「レイ。それで、これからの話だが」

「はい」


 これからの話。


 大佐に師匠から聞くといいと言われていたので、それを待つ。今まで一緒に暮らしていた家に戻る話だろうが、俺が師匠のお世話をしていこう。それが俺のこれからのやるべきことだから。


 しかし、彼女は全く予想もしていないことを口にするのだった。


「お前は私の姉夫婦の養子になれ。これからはレイ=ホワイトとして生きていくんだ。もう、私の近くにいるべきじゃない」

「え……?」


 師匠の言葉を俺は全く理解できなかった──。

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