第298話 希望のある未来を抱いて


 極東戦役が開始して、ついに半年が経過した。その戦火は止まるところを知らず、さらに広まっていくばかり。


 王国の介入によりすぐに鎮火すると思われた戦争は、完全に泥沼化していた。


「紺碧と雷鳴が、同時にやられた……だと?」

「はい。どうやら間違いない情報のようです……」


 特殊選抜部隊アストラルはこの半年、様々な戦場に赴いていた。もちろんその全てが前線であり、最前線を維持するために特殊選抜部隊アストラルは活動を続けていた。


「なるほど……それは、非常にまずいな……」


 ヘンリックはその情報を受け取った。現在は通信魔術も発達しており、一定の範囲ならば第一質料プリママテリアを介して音声を伝えることができるようになっていた。そのような情報伝達システムが完成しつつある中、その速報は彼を動揺させるには十分すぎるほどだった。


 特殊選抜部隊アストラルとしての活動によって忙殺されつつある日々。休みを取る暇などは、ほとんどない。もちろん睡眠はある程度は取っているのだが、それでも必要最低限。


 その表情に疲労が滲んでいるのは、隣でずっとヘンリックをさせているフロールは気がついていた。しかし、彼を止めることはできない。それほどまでに今の戦場は酷い状況だった。


 殺している数だけで言えば、王国軍の方が多いかもしれないが問題は相手は自爆も辞さない攻撃を仕掛けてくることだった。その特攻によって無残にも死んでしまった兵士は数多くいる。


 それに対処しながらも前線を維持し続ける。確かに最前線にいる兵士も過酷なのだが、後方で作戦指揮をしているヘンリックもまた過酷な状況に晒されている。この極東戦役において、過酷ではない状況などは存在しない。


 それぞれが心を押し殺し、精神を磨耗しながら戦っているのだ。


 ヘンリックとて毎日毎日、死亡する人数を報告されるたびに後悔に苛まれる。本当にこれで良かったのか、この作戦で本当に良かったのか。そんなことを考えながら毎日を過ごしていく。


 加齢もあるが、彼の頭髪は以前よりもずっと白髪が目立つようになっていた。


 それはきっと、ストレスが表面化しているのだろう。


「中佐……」

「そんな表情をしないでくれ。私は大丈夫だよ」


 フロールが心配そうに、ヘンリックのことを見上げる。ギュッと両手を胸の前で握り締めて、彼女は震えていた。


 ヘンリックといえばそんな彼女の頭を優しく撫でる。


「……中佐。あまり無理はなさらないでください」

「それは無理な相談だ。今の戦況、分かっているだろう? 特殊選抜部隊アストラルのメンバーを各部隊に配置して、なんとか保っているのが現状だ。それに七大魔術師である二人がやられてしまった。相手の情報は何もなく、ただこちらには尋常ではない損害が残っただけ。対処するには、こちらも動くしかないだろう」

「しかし……それは……」


 分かっていた。


 フロールは以前から聞いていた。この戦況を大きく変えることができるとすればそれは……七大魔術師しかあり得ないと。



 冰剣の魔術師──リディア=エインズワース

 絶刀の魔術師──バルトルト=アイスラー

 虚構の魔術師──リーゼロッテ=エーデン

 燐煌りんこうの魔術師──マリウス=バセット

 比翼の魔術師──フランソワーズ=クレール



 現在残っている七大魔術師は、以上五名。その中でも軍人であるのは冰剣のリディアだけ。その他の魔術師は軍人ではない。そのため、今回の極東戦役に参加する義務も義理もないのだが……実際のところ、すでに協力関係を築いていた。


 それはヘンリックの尽力もあり、なんとか交渉に成功したというところだろうか。しかし、実際にそれぞれの七大魔術師は口を揃えてこう言った。


 

 ──来るべき時がやって来た、と。



 それは予感、直感の類なのかもしれないが、全員ともに二つ返事で了承してくれた。


 七大魔術師はそれぞれが一癖も二癖もあり、容易に何かを協力することなどできない。特に燐煌りんこうの魔術師──マリウス=バセットを除けば、それこそ変人しかいない七大魔術師。


 だが、ついに七大魔術師が戦場に赴くという事態が現実になろうとしていた。


「七大魔術師の加勢は大きな戦力になるでしょう。しかし、全員が戦闘に特化しているわけではないのでは?」

「それは当然の疑問だろう。だが世界は七大魔術師を過小評価している。それは王国民であっても同様だ」

「か、過小評価……ですか?」

「そうだ」


 俄かには信じられない。それこそ、フロールは七大魔術師のことを十分に評価しているつもりだった。だが全員が全員、戦闘に特化しているわけではないのも事実。中には研究者や教師を本業としている魔術師もいるのだから。



「強大な魔術は戦闘という次元に囚われない」



 どこか遠くを見ながら、ヘンリックは語る。彼は知っているのだ。七大魔術師のその真髄というものを。彼もまたその片鱗に触れている魔術師だったから。だが、彼はその領域に踏み込むことを躊躇した。


 恐れてしまったのだ。先に進むことを。


 だからこそヘンリックは尊敬と畏怖の念を込めて七大魔術師のことを語る。


「戦闘という次元……ですか?」

「あぁ。七大魔術師の領域に至れば、それこそ魔術の次元は通常のものとは違う。戦闘や研究などという人間が定義している枠になど収まることはない」

「しかし……紺碧と雷鳴の二人は……」


 そう。すでにその二人は絶命している。


 無残にも殺されてしまい、死体はすでに回収されている。七大魔術師を屠れるだけの戦力が向こうにはあるという事実に変わりはしない。


 ならばその他の七大魔術師でも同じではないかと。


 この戦場を変えることができるほどの戦力が彼、彼女たちにはあるのか。フロールは純粋に不安だった。


「分かっている。でもだからこそ、信じるしかないだろう。彼らが十分に戦かうことのできる戦場を整えるべきだ。それにきっとこれは……巡っているのかもしれないな」

「そう……そうですね……」


 ヘンリックは依然として活発に振る舞っている。決して空元気などではない。確かにその表情には疲労が滲んでいるが、彼には確かな使命があった。


 今まで死んでいった仲間たちのためにも、戦い続けなければならない。


 その覚悟を抱いているヘンリックのことがフロールには輝いて見えた。



「フロール」



 なぜかヘンリックは彼女のことを呼び捨てで呼んだ。日頃は大尉と呼ぶことが多いのだが、今だけはフロールと……。


 そう。プライベートで二人きりでいる時の呼び方で、彼女の名前を告げた。


 特殊選抜部隊アストラルの中には気がついている人間もいるが──主にハワードだが──ヘンリックとフロールは交際をしていた。年齢差はそれなりにあるものの、フロールが告白してそれをヘンリックは許可した。


 もちろん互いに公私混同などしない。


 軍の中では中佐と大尉として振る舞っている。だというのに、ヘンリックはこの場で彼女の名前を告げたのだ。それにはもちろん、意味がある。




「この戦争が終わったら、結婚しよう」




 青天の霹靂。


 今の彼女の感情を表現するならば、それがきっと一番正しいだろう。顔を真っ赤にして、わなわなと震える。彼女もまたゆくゆくは結婚をしたいと思っていた。交際期間は五年にもわたり、互いの年齢を考えても結婚を考える時期だった。


 しかし、今は極東戦役の真っ最中。


 そんなことを今のこの場で言うなどとは、信じられなかった。だがこのような状況だからこそ、フロールはその言葉の重さを理解する。


「ど、どうして今……なんですか?」

「さぁどうしてだろうか。でも、この戦争を乗り越えた先に君との未来が待っているのならば、私はいつまでも戦える」

「ばか……本当にあなたはいつも……バカです……」

「返事は、どうだろうか?」

「いいに決まっています。それくらい、分かってください……っ!」

「……ありがとう」


 寄り添う。


 そして二人は抱擁を交わした。フロールは静かに涙を流し、あまりの高揚感に打ちひしがれる。そんな彼女をヘンリックは包み込む。


 互いに生きて帰ることできる保証などない。


 でもだからこそ、確かな未来を求めるのだろう。その先に待っている未来のためならば戦い続けることができる。どれだけ折れそうになっても、前に進むことができる。


 二人はそうして見つめあった後に、優しく唇を交わした。それはとても優しく、柔らかい口付けだった。


 互いの存在を刻み込むように、二人はそのまま抱擁を続けた。




 きっと──この先に確かな未来が待っているのだと、信じて。


 

 

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