第299話 最凶との邂逅


 極東戦役は大きく変化しつつあった。


 今まではアーノルド王国側が完全に押されてしまい、後手に回っていることが多かったのだが現在はそれを持ち直している。いや、勢いだけでいえば王国軍に分があるとさえ言われている。


 それは何も楽観的な視点からの物言いではない。王国軍は相手の動きを完全に分析し、各個撃破し続けている。その中心となっている人物は徐々に頭角を表しつつあった。



 冰剣の魔術師──リディア=エインズワース。



 すでにその才能は覚醒し、彼女のおかげで戦況が大きく良い方向に変化したと言っても過言ではないだろう。今のリディアは特殊選抜部隊アストラルでの活動を維持しつつも、王国軍の別の部隊に入ることで己が戦力を示し続けていた。



 戦争には英雄が必要だった。



 それは言わば王国軍の象徴とも言うべき存在。明らかにリディアが最前線の中で目立つようになってからは、他の兵士の動きも良くなっていった。


 幸か不幸か、リディアを含めて最前線で戦っている魔術師たちは戦いを経て進化していた。互いに命掛け戦いを一年近く続けている。そこで弱い者は淘汰され、強い物は生き残る。


 そんな弱肉強食の世界で、今のリディアは戦線を引っ張り続けている。



「進めえええええええええええッ!!!!!」

『うおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!』



 紺碧の魔術師と雷鳴の魔術師が死亡した件を経て、士気は大きく低下したと思われていた。しかしリディアはそれを契機に、大きく躍進。見方の士気を上げつつ、自らも戦場に赴き圧倒的な戦果を上げる。


 すでに冰剣の魔術師の名前は敵に畏怖の対象として刻み込まれている。相手もなんとか応戦しようとするが、今のリディアに敵うものは少なくとも現段階では表舞台には現れていなかった。


「レイ。どうやらエインズワースは派手にやっているようだな」

「ハワードか。そうだね、師匠は凄まじいよ」


 作戦基地本部。そこでレイは一人で報告書をまとめていた。彼女と共に最前線に赴いては、そのサポートをし続ける。といっても彼の場合は戦線に表立って加わっているわけではない。いわゆる、斥候せっこうの役割を担っておりリディアを陰ながら支えていると言ったところである。


 特殊選抜部隊アストラルは解散したわけではないが、この戦況では集まって活動はしていない。今はさらに押すべき時だと考えて、リディアを中心に新しい部隊が編成されている。


 その中にはデルクやハワードも加わっているが、他のメンバーは別の戦場で戦っている。しかしそれは良い傾向の現れだった。


 特殊選抜部隊アストラルが分散しても、軍は十分に機能している。むしろ優秀な人材をそれぞれに配置できることでさらに王国軍の攻めと守りは盤石なものになりつつあった。


 あと少しもすれば、完全に勝利することができるだろう。それが王国軍上層部の予想であった。


「レイはどうだ?」

「今は主に斥候を担当してるよ。フロールさんと二人で敵の情報を集めてる」

「そうか。お前たちは、相性良かったよな」

「そうだね」


 レイは一人だけではなく、フロールと共に相手の情報をかき集めていた。そもそも、データ分析などはフロールの得意分野。しかし彼女は一人で最前線に向かわせるには、少々戦力として乏しい。だからこそ、そこにはレイがサポート役として入り込んでいる。


 リディアほどの目立った活躍を見せているわけではないが、彼の存在は王国軍にとって欠かせないものになっていた。


「で、戦況はどうだ?」


 ハワードがそう尋ねるが、彼としては返ってくる答えはある程度予想していた。兵士たちの士気も高く、全戦全勝。改めて聞くことでもないのだが、それを確実なものにするために敢えてハワードはレイに尋ねた。


「戦況は悪くないよ」

「悪くない……? 良いとは言わないのか」

「自分としては、どうにもまだ怪しい部分があると思ってる」

「まさか紺碧と雷鳴の件か?」

「うん。相手はあの部隊を壊滅させるだけの戦力を持っているはず。でもここ数ヶ月は全くそれを投入する素振りがない。ずっと警戒しているけど、どこかで仕掛けてくると思ってる」

「流石だな、レイ……」


 レイは深く考え込んでいるのか、ぶつぶつと呟きながら情報を改めてノートに整理しているようだった。もともと聡明ではあった。それに実戦能力も抜群。


 この戦場において全く物怖じしていない。むしろ完全に慣れきっているのか、レイはこの地獄のような極東戦役においても非常に高い適応能力を見せていた。


「明日も最前線か?」

「うん。ハワードは?」

「俺は後方でのバックアップ支援だな」

「そっか。またいつか特殊選抜部隊アストラルで集まる時があると思う。その時は頼りにしてるよ」

「あぁ。じゃ、またなレイ」


 拳をコツンと合わせる。どれだけ苦しん戦場であったとしても、二人は明確に目の前にある任務をこなす気概があった。


 そして言葉にはしないが、信じ合っていた。きっとこの先も同じ道を歩み続けるのだと。


 しかし、現実の非情さと言うものをレイは後に知ることになる。



 ◇



 山岳部を抜けた先、見渡す限りの森林地帯が広がっていた。そこには川も流れており、現在は大雨によってその川が完全に氾濫していた。


 翌日、ハワードは昨日言ったように後方でのバックアップ支援をしていた。最前線よりもかなり距離があるが、この場所を守るのもまた重要である。いくら危険度が低いとはいえ、油断はできない。


 そうして前線から漏れてきた敵国の兵士を淡々と相手をしていく。


 けれど川が氾濫し、大雨ということもあって視界は十分に見えない。相手はこの中でも戦闘になれているのか少しずつ押され始めていた。


「押されるなッ!! 十分に返せるぞッ!!」


 この部隊を指揮しているハワードが、大きな声を上げる。それに伴って、兵士たちの士気もまたさらに高まっていく。


 今回の戦闘もまた無事に終わるだろう……この時は、そう思っていた。


「え……?」

「は……?」

「ど、どうして……?」


 ハワードの後ろで声が聞こえてきた。バッと後ろを振り向く。彼の視界には、今まで後ろで戦っていた仲間たちの姿はほとんどなくなっていた。


 地面にはこれでもかと深紅が広がっていた。赤く流れる血液は、雨と混ざり合うようして流れていく。そして、先ほどまでそこにいた仲間は内側から破裂するような……壮絶な死に方をしていた。


 叫ぶ暇もなかった。


「はぁ……こんなもんか。今回も楽そうかな」


 立っている一人の少女。


 金色の髪を左右の高い位置でまとめてツインテールにして結っている。服装はなぜか真っ赤なドレスを着ており、それは雨を完全に反射していた。濡れている様子は全くない。


 おそらくは魔術でそうしているのだろうが、ハワードはその少女を見た瞬間……人生の中でも最大限の危機迫る声を上げた。



「逃げろおおおおおおッ!!!!!! 後方へ下がれええええええええええええええええええッ!!!」



 一瞬の錯綜。


 ハワードの判断は、彼女よりもわずかに早かった。そしてその声を知覚した兵士たちはそのまますぐに脱兎の如く逃走。今回のようなケースに陥った場合を想定し、部隊で共有しているおかげだった。


「あら。判断早いわね。ま、いっか。あなたを殺した後に、あいつらも皆殺しだから」


 おおよそ少女の言葉とは思えない。いや、目の前に立っているのはただの少女ではないのはハワードも理解していた。


 見据える。


 一瞬の挙動も見逃さないようにハワードは少女──七賢人のフィーアのことを見つめていた。


 ──ここは完全に食い止める必要がある。


 覚悟。そして、彼は時間を稼ぐ必要であると理解した。すでに逃げた仲間たちは作戦本部に今の事態を伝えてくれるだろう。そして、あとは応援がやってくるのを待つしかない。


 対応できるとすれば、リディアたちの部隊。またはレイでも良い。ともかく、十分な戦力が来るまでここはたった一人で戦線を維持しなければならない。


 今までだって、幾度となく死線はあった。そのこと如くを乗り越えてきたハワードには自信があった。必ず、必ずここは死守するのだと。


「ふーん。良い顔ね、でも……」


 刹那。


 魔術的な兆候を完全に理解しているわけではない。相手の魔術の原理は全くわからない。そもそもどうやって人間を内側から炸裂されるなどと言う神業をやってのけたのか、わからない。


 だがそこには原理があり、術式がある。


 ハワードは直感で自分に座標を指定されるのを感じ取ると、それを慌てて前転することで躱した。すると、彼が一秒前までいた空間が歪むと一気に弾けた。


「どうやら人体に直接作用させているわけではないな……」


 冷静に分析。


 まずは敵の能力を分析し、自分の手札でどうやって戦うべきか。それを考える。ハワードはクレバーだった。このような状況であってしても、臆することなく自分にできることを冷静に考える。


「あっは。もしかして、あなた強い?」

「さぁ……それはどうかな?」


 わらう。


 フィーアの歪んだ表情には寒気を覚えるが、ハワードは改めて思考を深く潜らせる。


 直感的に理解していた。おそらくは、相手は紺碧と雷鳴を屠った敵であると。その時の死体の状況や戦闘の痕跡。それをデータとして蓄積していた彼は、すぐに相手との戦い方を練り始める。


 この戦闘において相手を必ずしも撃破することは勝利条件ではない。


 時間を稼ぎ、仲間が到着するのを待つことこそが勝利条件である。それを改めて理解すると、彼は笑った。



「さ、二人でダンスでも踊ろうぜ?」

「あなたとっても気に入ったわ。良いわよ、踊ってあげるわ」



 こうしてハワードの生涯をかけた戦いが幕をあげた。


 

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