第290話 二人での食事


「ふぅ……終わりだな。レイ、デルク。飯でも行かないか?」


 筋トレも終わり、ハワードがそう声をかける。しかしデルクは申し訳なさそうに頭を下げるのだった。


「すまんっ! 今日は妻と息子と会う日なんだっ!」

「そっか。家族は大事だな。すまんな、無理いって」

「いやこちらこそ、悪い。また埋め合わせはするからよーっ!」


 そう言いながらデルクは足早に去って行った。もともとはすぐに向かう予定だったが、予想以上に時間に余裕があったのでレイたちと筋トレをしていたのだ。


「ハワード。デルクの家族って……」

「あぁ。あいつ結婚して子どももいるんだよ。確かレイと同い年だったな」

「そっか……」


 去っていくデルクの大きな背中を見つめる。それを見て、家族とは一体なんなのか……とふとレイは思ってしまう。


 家族。それは血のつながりのある人間で構成された集団。その意味自体は知っている。もちろん、家族になるのは血のつながりが必須ではないことなど分かり切っている。


 レイは特殊選抜部隊アストラルの全員のことを家族のように思っている。しかしそれはあくまで、ように……という話に過ぎない。


 本当の家族の意味を彼は知らないのだから。


 そして、ふと考えてしまう。自分にも家族ができれば、どのような感じなのかと。普通の子どもとして生きていればどのような人生を歩んでいたのか。


 決して自分のことを不幸だとは思っていない。しかし、そんな夢想をしてしまうほどには彼もまた迷っているようだった。


「どうするレイ? エインズワースと帰って食べるのか?」

「いや……師匠の食事は家に用意してあるし。それに、久しぶりにハワードとご飯も食べたいから。行くよ」

「おっ! 嬉しいこと言ってくれるねぇ!」


 わしわしと頭を乱雑に撫でるが、それを受け入れる。リディアはいつも力任せにするのだが、ハワードのそれはちょうどいい力加減だった。


 ハワードと二人きりになるのは初めてであったが、なんだか彼と真正面から話してみたいと──レイはそう思っていた。


「今日は俺の奢りだ。いくらでも食っていいぜ?」

「それ、師匠の前でも同じこと言える?」

「う、うぐ……それは無理だな……実は昔、かなりやられたな。あの時はビビったぜ……」

「ははは! それもそうだよね。師匠は本当によく食べるから」

「あぁ。あの食いっぷりは尋常じゃねぇからなぁ……」


 そんな会話を繰り広げながら、レイとハワードは二人で街へと繰り出していくのだった。



 夜の帳が降りた。街灯がわずかに灯りつつある道を進んでいく。多くの店は閉まっているが、飲食店はむしろここからが始まりということで王国の繁華街には結構な明かりが点っている。


 伊達に世界でも有数の大国ではない。繁華街の盛り上がりはそれこそ、世界の中でも最高峰である。道ゆく人々は笑い声を上げながら、二人の横を通り過ぎていく。


「レイ。何が食べたい?」

「なんでもいいよ。それはハワードはお酒飲みたいでしょ? 付き合うよ」

「お。それは助かるな。でも、レイは飲むなよ?」

「分かってるよ。酔っ払った師匠には何度も勧められているけど」

「ははは! あいつらしいなぁ。じゃ、居酒屋にでもいくか」


 そうして二人が向かう先は居酒屋だった。そこはハワードが行きつけにしている店で、店主とも知り合いである。


「ハワード! 久しぶりだな!」

「おやっさん。ども!」

「あ? まさか……子どもか?」

「いやいや。親戚の子どもですよ!」


 笑いながらそう誤魔化す。本当のことを言うわけにもいかないので、言い訳は親戚の子どもにしておくように部隊内では共有されている。


「なるほどな。席は空いてる。好きに座ってくれや」

「ありがとうございます」


 ハワードが向かう先は、奥の方にある座席だった。ちょうど外から死角になるポジションだ。念のためを考えてレイと二人でいることをあまり見られたくはないという配慮でもあった。


「レイ。ここでいいか?」

「うん」


 席に着くと店員がやってきて、水を置いていく。そして、机に置いてあるメニュー表を見て何を注文するか考えるのだった。


「レイ何にする?」

「ハワードに任せるよ」

「そうか。苦手なものとかないよな?」

「うん。なんでも食べれる」

「オッケー」


 ハワードは自分の好みなものや、レイの好きそうなものを注文することにした。その前にドリンクがやってきたので、とりあえず乾杯していくことにした。ハワードはもちろんアルコールであり、レイはソフトドリンクだ。


「じゃ、乾杯ってことで」

「うん。乾杯」


 カン、とグラスをぶつけると互いにゴクゴクと喉を鳴らして流し込んでいく。


「かあーっ! やっぱ仕事終わりはこれだよなぁ」

「美味しいの? 師匠も美味しいって言ってるけど」

「まぁ美味いな。レイも飲めるようになったら、改めて連れて行ってやるよ」

「それは楽しみだね」


 その後。続々と届く注文した品々。それを食べながら、二人は今後のことについて話すのだった。


「レイ。改めて、大丈夫なのか?」

「極東戦役のこと?」

「あぁ。はっきり言って俺はレイのことはかなり評価してる。もう魔術師としての実力は俺じゃあ届かないしな。でもやっぱり、お前はまだ子どもだ。いくら強いからと言って──」


 と、そのまま言葉を続けようとするがレイは被せるようにして口を開いた。



「大丈夫だよ」



 ぞくりと背筋が凍るような感覚。レイの瞳にはなんの光も宿っていないように感じ取れた。この圧倒的な圧迫感。それをこの年齢にして身につけている事実にも驚くが……ハワードは初めてレイの底の見えない恐怖というものを感じ取った。


 それと同時に悟る。


 リディアとレイはやはり、魔術師として自分とは別の領域に立っているのだと。ハワードもまた幼少期から天才として育ってきた。魔術学院も、軍の中でも、突出していた。

 

 彼は自分は天才だと思っていた。この二人に出会うまでは。


 リディア=エインズワース。

 レイ。


 この二人が明らかに格が違う。努力で追いつける領域だとか、そんなものではない。明らかに才能という大きな壁によって、隔てられているのだ。


 それを改めてハワードは痛感する。


「そっか。杞憂だったな」

「実戦は初めてだけど、やれるよ。それに特殊選抜部隊アストラルはみんな強い。負けるわけないと思うけど」

「そりゃ、そうだな! 俺たちは最強だからな! あはは!」

「もしかしてもう酔ってる……?」

「いや、酔ってねぇさ。酔ってなんか……」


 キョトンと首を傾けるレイのことをじっと見つめる。レイの存在は特殊選抜部隊アストラルの人間を大きく変えてきた。それはハワードも含まれていた。


 今まではずっと、天才であると同時にどこか調子に乗っていた部分もあった。この特殊選抜部隊アストラルに抜擢されて自分はこのまま栄光の道を駆け抜けていくのだと。


 リディアの存在は知っていたがそれでも自分は引けを取らない。そんなプライドがあった。


 しかし、リディアに届くことはなく、レイにすらもう魔術師としての技量は追いつけない。


 レイのような子どもに追い抜かれて、自分は魔術師として大成できるわけがない。そんな風に思ってしまう時もあった。レイのことを疎ましいと思うことも、ないわけではなかった。


 しかしやはり、ハワードはレイのことが好きだった。いつもどうしてか、彼に声をかけてしまう。


 一緒にトレーニングをしよう、一緒に飯に行こう、一緒に買い物に行こう。


 そういうとレイは少しだけ笑って、ついてきてくれる。彼にとってレイの存在は、とても大きなものになっていた。それに謙虚に生きることも学ぶことができた。


 自分などまだまだであると。レイに比べれば、まだ自分は下の存在である。でもだからこそ、届かないからこそ、まだ進めると。


 ハワードは自分の力を過信していたが、決して愚者ではなかった。己が間違いを省みて、それを糧にして進める意志を持っていた。だから彼はレイに感謝していた。


 自分に世界の広さを教えてくれて、ありがとうと──そう感謝していた。


「レイ。極東戦役が終われば、きっと長い休暇がもらえる。隊のみんなで旅行にでもいかないか?」

「旅行?」

「あぁ。レイは王国の外はあんまり知らないだろ? 実は俺は旅行が好きでな。いい場所をたくさん知ってるんだぜ?」

「そうなんだ。それはいいね。今から楽しみだよ」


 ニコリと笑みを浮かべる。そんなレイを見て、ハワードは思う。


 これから始める極東戦役。きっと最前線に送られるだろう。地獄のような戦場かもしれない上に、生きて帰ることのできる保証もない。


 でもだからこそ、みんなを守れるように戦っていこうと──彼はそう思った。

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