第241話 初めての感情


 夜。


 あれから数日が経過して、ついに明後日には年が明けることになった。俺たちは家で各々過ごしているが、ステラがアメリアとレベッカ先輩のことをとても気に入ったようだ。


 何をして遊ぶにも二人を誘って、本当に嬉しそうに笑っている。


 兄として俺も嬉しいのだが、実際のところステラが二人に夢中なので少し寂しかったりもするのだが。


「さて、と」


 自室。すでに入浴も済ませたので、寝る前に読書でもしようかとランプの明かりをつける。今回読むのは、リーゼさんの新刊だ。


 大規模魔術戦マギクス・ウォーや聖歌祭などもあって、まとまった時間が取れなかったので年末の時間はちょうどよかった。


 そして三十分くらいだろうか。俺が読書を始めてそれくらい時間が経った頃に、扉がノックされた。


「……アメリア? どうしたんだ?」


 扉を開けると、そこにはアメリアがいた。髪はまだ微かに濡れており、頬も赤くなっている。確か、ステラと先輩と一緒に風呂に入ると聞いていたが。


「えっと……その。私は早く上がって時間もあるから、レイとちょっとお話ししたいかな……なんて。ダメかな?」


 不安そうにじっと見上げてくる。


 だが、断る理由もない。すぐに彼女を室内に入れる。


「いや。構わない。入ってくれ」

「う、うん! ありがとっ!」


 この部屋は比較的簡素だ。そもそも、俺はあまり派手な装飾は好まない。テーブルとイス、それにベッドがあれば家具は十分だった。


「あれ。本でも読んでたの?」

「あぁ。リーゼさんの新刊だ」

「そういえば、リーゼさんってすごく有名な小説家なのよね」

「みたいだな。初めて聞いたときは、驚いたものだった」

「へぇ……私もベストセラーになってたから、読んだことあるけど。すごく面白いよね」

「登場人物の描写が素晴らしいな。それぞれの葛藤が本当にありありと描かれている気がする」


 テーブルに置いていた本をチラッと見て、そんな話で盛り上がった。アメリアもまた、読書は割とする方で本の趣味も意外と合う。


「でも意外。レイってば、恋愛小説を読むのね」

「そうだな。小説は基本的に、恋愛モノが多いな」

「も、もしかしてその……興味ある、とか?」


 その瞳は、何かを期待しているようなものだった。


 ただじっと窺うように俺の瞳を覗いてくる。


 興味があるかどうか。それは、読むくらいなのだからあるに決まっている。


 しかし、きっと根幹の理由は別にある。


「……興味はあるんだと思う。ただ、昔読ませてもらった本が恋愛系が多かったのもあるな。それに俺はきっと、探しているんだ」

「探している?」

「……人の心のその機微を、知りたいと思っている」

「人の心、か」


 暫しの沈黙。そして俺は、再び口を開いた。


「あぁ。俺は生まれ育った環境が特殊だ。おおよそ、普通の人生と呼ぶことはできないだろう。人が死ぬことは当たり前だった。いつかその戦場で、自分も死ぬんだと思っていた。仲間が散っていくたびに、心には大きな穴が開いていく気がした」

「……」


 アメリアは真剣な表情で、話を聞いてくれる。


「きっと読書とは、代償行為なのかもしれない。この心の隙間を埋めるための、な。まぁ色々と大袈裟なことは言ったが、純粋に好きという理由もあるって……どうした、アメリア?」

「う……ぐすっ……その。ご、ごめんなさい」


 よく見ると彼女は泣いていた。流れ出る涙を拭って、なぜか謝罪をするのだ。


「すまない。何か不快なことをしてしまっただろうか?」

「ううん。逆よ。レイのことを思うと、ちょっと感情移入しちゃって」

「そうなのか?」

「うん。でも、私も同じような気持ちは分かるわ。私だってまだ、探し続けているんだもの」

「そうか……」


 あの日。魔術剣士競技大会マギクス・シュバリエの新人戦決勝戦の直前。俺はアメリアとその心を通い合わせた。


 きっと、大きな分岐点はあそこだったと思う。


 あの場で自分の心を曝け出すことができたからこそ、俺はあれからまっすぐ進むことができたのだ思っている。


「ねぇ。そろそろ、年が明けるね」

「そうだな」


 打って変わって、話の内容は学院のものへと移る。


「今年は色々なことがあったなぁ……」

「俺もたくさんのことを経験した」

「友達もたくさんできて、それに大会も優勝できたしね」

「そうだ。アメリアは魔術剣士競技大会マギクス・シュバリエ大規模魔術戦マギクス・ウォーで両方優勝したことになるのか」

「えぇ。聖歌祭のパーティーでは、それはもう褒められたわ。嫌になるくらいにね」


 ニヤッと笑って、肩を竦めながら冗談めいた口調で彼女はそう言った。


「はは。褒められるだけ、いいんじゃないか?」

「まさか。本当になんていうのかな? 褒めちぎるって、感じ?」

「なるほど。なんでもやりすぎるのは、考えものだな」

「うん。間違いないわね」


 思えば、二人きりでこうして他愛のない話をするのは久しぶりなのかもしれない。昔から考えると、本当にあり得ないことだと思う。


「それでなんだけど、じ、実は……婚約の話とかも、出たり、出なかったり?」

「そうか。貴族は婚約が重要だと聞く。アメリアの時は、盛大にお祝いをしよう。一般人オーディナリーである俺が出席できるか分からないが、もしよかったら招待してくれ」

「むぅ……っ!」


 頬を膨らませるアメリアは、明らかに不機嫌な様子だった。


 もしかして俺はまた何か間違えてしまったのだろうか。


「レイはその、私が他の人と婚約しても……いいの?」

「いや、俺に何かを言う権利はないだろう。貴族、その中でも三大貴族の話に一般人オーディナリーである俺が介入できることはない。それがたとえ、七大魔術師であってもだ」

「そーゆーことじゃなくてーっ! レイ本人の気持ちが聞きたいのっ!」


 俺の気持ち?


 いや、アメリアが婚約することは決まっていることだろう。それはレベッカ先輩の時も、思ったことだ。貴族の令嬢は婚約することが早い。


 それこそ、二十代前半には正式に結婚することが多いと聞く。


 アメリアは確か、長男であるお兄さんがいるので、後継の関係はそこまで気にしてなくもいいなど、以前は言っていた気もするが。



「……ねぇ、レイはどう思うの?」



 優しくその手が触れる。暖かい、アメリアの儚い手だ。


 どう思うか……? アメリアが婚約したらきっと、今まで以上に会うことは少なくなるだろう。学院を卒業すればそれこそ、会う機会などほとんどなくなるのかもしれない。


 そんな時、俺は何を思うのだろうか?


 新しい環境で今までのように慣れていくのだろうか?


 それとも──



「そう、だな。これは大きな声ではいえないが、きっと寂しく感じると思う」

「──っ!!」



 ビクッと体を震わせるアメリア。そして、さらに強く手を握ってくる。


「いや、こんなことは思ってはいけないのだろう。しかし、もし学院を卒業してアメリアとあまり会うことができなくなるのは……寂しい、と感じるんだ」

「そ、そうなんだ。へ、へぇ……」


 今までこのような感情に陥ったことはあまりない。師匠と離れる時も、寂しいと感じたが今回のそれは何か違う気がした。


「しかし、大丈夫だ。俺のそんなわがままに付き合う必要はない。アメリアが婚約すれば、心から祝福しよう」


 改めてそう言葉にすると、アメリアは優しく微笑むのだった。


「そっか。レイはそういう人だもんね。でも、レイの気持ちが知れて嬉しかった。ごめんね、変なこと聞いて」

「いや。構わないさ」

「じゃ、私はそろそろ寝るね」


 立ち上がる。


 アメリアを見送ると、最後に再び彼女はこう尋ねてきた。


「レイ。今年はいっぱいありがとう。本当に、あなたには多くのものを与えてもらったわ」

「こちらこそ、だ。俺もアメリアにはかけがえのないものをもらった」

「ふふ。じゃあ、また明日」

「あぁ」


 紅蓮の髪を靡かせて、彼女は去っていった。


 この胸中に渦巻く感情は、何なのだろうか。


 俺はまだこの時は、それを全く理解していないのだった。


 しかしそれはいつか向き合う日が来る。


 ──そんな気がした。

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