第187話 因果律少女


「う……ぐぅぅ……んっ!」

「ほらほら。また倒れるよ」


 リーゼロッテの自宅。そこの地下室で、アメリアはこの三連休は泊まり込みで訓練に励んでいた。


 長机に座り、互いに中央にチェスのクイーンの駒を置いてそれを倒すか、元に戻すか。


 互いに因果律で干渉し合うということを行なっていた。


 二人の周囲には無数の真っ赤な蝶がひらひらと舞い上がっている。


 一見すれば、地味な訓練に過ぎない。

 

 だが、あまりにも熱中するアメリアからは鼻からツーっと血が垂れ始めていた。


 因果律に干渉し合うということは並大抵のことではない。魔術領域は常に、魔術領域暴走オーバーヒートの危険性がある。それは因果律という高度な概念に干渉しているためである。


 一方のリーゼロッテは、手元に論文を置いて片手間にアメリアの相手をしている。集中力を綺麗に分散させ、研究に取り組みながら魔術を発動している。


 そうして、しばらくすると……クイーンの駒が元の位置に戻ってしまう。


 因果律蝶々バタフライエフェクトにより生み出しているのは、【駒が倒れる】という結果である。


 逆にリーゼロッテが発動しているのは、【駒が倒れる因果を破壊する】というものである。


 実際の魔術の難度で言えば、アメリアの因果律蝶々バタフライエフェクトの方が上なのは間違いはない。しかし、何事も難度が高ければいいというものではない。


 必要なのは練度と精度。


 それが今のアメリアには全く足りていなかった。


「よし。少し休憩にしようか」

「……はい」


 再び休憩を取ると、リーゼロッテは黙々と研究資料に目を通し始める。


 アメリアといえば、背もたれに体を預けてティッシュで鼻血を拭う。そして、ボーッと虚空を見つめると、スッと目を閉じる。


 瞑想。

 

 休憩時間はこうして瞑想をする事にしている。それはリーゼロッテのアドバイスだった。


 魔術領域を落ち着かせるのは、瞑想するのが適していると。それは彼女の経験則と、研究の結果辿り着いた結論。


 脳に存在しているデフォルトネットワークなるものを、静止させるのが目的などと言っていたが、アメリアには理解できなかった。


 今はただ、ゆっくりと休んでおきたい。


 そう思って、じっと無心に浸る。


「……ふぅ」


 地下の薄暗い空間。日の光は入らず、人工的な明かりが二人を照らし続ける。


 ──今頃、レイたちは頑張っているのかしら。


 瞑想の途中だというのに、ふとそんなことを考えてしまう。今日は三連休の最終日。明日からはレイたちと合流することになっている。


 しかし、アメリアには自分が成長しているという実感が全くといっていいほどない。


 リーゼロッテの干渉力に敵うことは一度たりとてありはしなかった。


 そんな彼女が、自信をなくすのも無理はない。けれど、アメリアはもう過去の彼女ではない。レイと出会い、みんなと出会い、前に進んでいくのだと決めたのだ。


 だからこそ、諦めることは決してなかった。


「さて、休憩は済んだかな?」

「はい」


 改めて向き合う。

 

 視線はリーゼロッテではなく、机の上にあるクイーンの駒。この三日間、嫌になるくらいみてきたその駒はいつもと同じように直立している。


 これを倒すことこそが、アメリアの目的。


 そうして再び魔術を発動しようとするが、リーゼロッテはふと何かを話し始めた。


「アメリア。君は、四原因説アイティアを元にして因果律蝶々バタフライエフェクトを発動しているだろう?」

「はい。そうですけど」

「はっきりいって、それは君の才能だ。私の魔術領域では、おそらく因果律蝶々バタフライエフェクトに耐えうることはできない」

「え……そうなんですか?」


 まさかそんなことを言われるとは思っていなく、呆然とした声を漏らす。


「あぁ。魔術領域は後天的な要素ではない。それはほとんどが、先天的なものであり、才能だ。君のそれは、おそらく魔術師の中でもトップレベルだろう。七大魔術師にも匹敵し得るほどの、ね」

「でも……」


 その先の言葉を言うべきか迷った。


 いくら七大魔術師に匹敵し得る魔術領域を持っているのだとしても、それを扱うことができなければ意味はない。


 端的にいって仕舞えば、宝の持ち腐れではないか……と、アメリアは感じていた。


質量因ヒュレー形相因エイドス作用因エフィシェン目的因テロス。そのすべてを成立させてこそ、因果を統べる蝶がこの世界に具現化する。後はその蝶の行動が起因となって、望む結果が生まれる。カオス理論を踏襲しているであろうそれは、おそらくこの世界にある魔術でも最高峰のものだろうね。私の意見としては、上から三つ目に珍しい魔術かな」

「三つ目ですか。あ、でも上の二つは?」

「他の七大魔術師が持っているね。【比翼の魔術師】。聞いたことは?」


 七大魔術師が一人──【比翼の魔術師】。名前だけ知っている者が多く、リーゼロッテと同様に表舞台に出てくることはない魔術師だ。


 アメリアもまた、【比翼の魔術師】とは会ったことはない。知っているのは、名称だけだった。


「名前だけですね」

「まぁ、彼女、、は滅多に表舞台に姿を表さない。知らないのも無理はないね」


 リーゼロッテは身につけているメガネを外すと、それを布で綺麗にしていく。彼女は普段はメガネをかけていないが、研究の時はこうして身に付けることにしているのだ。


 曰く、その方が気分が乗るらしい。特に視力を矯正する意味合いでつけているものではない。


「でも、【比翼】は上から二番目だね。一番は【冰剣】だよ」

「レイですか?」

「そうだね。私は世界を統べることができる魔術師を一人あげるとすれば、彼を真っ先にあげるだろう。彼は一つの究極だから。そもそも、七大魔術師という同じ括りになっているのも烏滸おこがましいよ。彼の前では、全ての魔術師が無に還る」


 リーゼロッテの声音はいつになく感情的なものだった。


 彼女は一体、レイについて何を知っているのか。アメリアとしては、気になって仕方がなかった。


 【虚構の魔術師】。その実力は、こうして目の前で否応なく感じている。しかし、そんな彼女でもレイの前では無力だと、格が違うのだと言うのだ。


 本当に一体彼は何者なのか……。


 そう思うのは、当然だった。



「レイは……何者なんですか?」



 再度、尋ねてみる。しかし、アメリアが望む答えを彼女は持ち合わせてはいない。


「何者、か。それは私にも分からない。そもそも、私たちは自己の認識すら曖昧だ。魔術だってそうだ。魔術を発動するプロセスに名前をつけて、さもそれが当然のように振る舞っている。しかし、その謎の現象を本当の意味で解明しているものはいない。この世界は、理解できないことだらけだ。何者か、と問われれば我々は皆……その答えを持ち合わせてはいないだろうね」

「難しい話ですね……それにしても、魔術も分からないことなのですか?」

「そうだね。魔術もまた、まだまだ解明されていないことが多い」


 そう言うと、トントンとリーゼロッテは机の上を叩く。


「今の音。聞こえたかい?」

「はい。聞こえましたけど」

「でもそれは、過去に過ぎない」

「過去……?」

「人間の知覚というものは、タイムラグがある。それこそ、音が鳴って届くまでにはわずかな時間が存在する。その他の五感だってそうだ。我々は、見ているもの、感じているものを全てだと思っている。しかし、人間はどうしようもなく過去に生きている生き物だ。それは人の性質上当たり前。魔術という現象も同じだよ。塗り替えた現象を知覚するのは、少なくともタイムラグがある。私たち魔術師は、世界の過去を塗り替えているといってもいい」

「……過去ですか」


 リーゼロッテの話をすべて理解しているわけではない。しかし、どうしてだろうか。彼女の話が、アメリアにとって妙に腑に落ちるのは。


 それは共鳴とも呼ぶべき現象なのかもしれない。


 互いに因果に干渉する魔術師。


 そこから同じような感覚を共有しているな……そんな感覚をアメリアは感じ取っていた。


「魔術師とは、世界に干渉する者の総称だ。これはまだ憶測だが、世界真理アーカーシャに接続している最中は、きっと時間から切り離されているのだと思う」

「時間から?」

「そうだね。そして、私たちはこの世界に不可思議な現象や物質を生み出す。高位の魔術師にとって、時間とは些事に過ぎないのかもしれない。この因果干渉だってそうだろう? 一見すれば、時間が巻き戻っているようにも見える。おそらく、時間そのものに干渉できる魔術師もいつか出るだろうね。ま、詰まるところ魔術とは、万能の力なのさ。極める者が、極めればね」

「それがレイだと?」


 かなり遠回りな話になったが、リーゼロッテが言いたいことはそれであると理解した。


「そうだね。でも、私が知っているのは私の中の知識だけに過ぎない。この世界がどこまで広がっているのか。自分の限界が、結局は世界の限界なのさ。そもそも、世界真理アーカーシャなど存在するのか。全ては憶測だよ。私たちはそれを、勝手に信じているだけだ」

「……そうですか」

「雑談はここまでだ。続きをしよう」

「はいっ!」


 元気よく声を上げる。


 結局のところ、何かをしっかりと理解できたわけではなかった。

 

 それでもアメリアにとってこの時間が、将来の彼女にとってかけがえのない時間になることは間違いなかった。

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