第173話 鬼ごっこ


 肉体強化の訓練も大詰めになってきており、エインズワース式ブートキャンプもかなり進んできた。


 夏にアメリアを鍛えた時には、学生用に師匠がアレンジしてくれたものを使用し、負担としては比較的軽いものになっていた。と言っても、今まで訓練などしたことのないアメリアには本当に苦痛だったようだが。


 今回の大規模魔術戦マギクス・ウォーに関しては、その時のものよりもより軍人に近いものにしてある。内容としては、基本的なランニングに加えて、筋トレ。さらには、内部インサイドコードで強化した身体を、限界まで追い込む。


 内部インサイドコードを使用した際には、疲労感は通常のものの倍以上になるだろう。それは、肉体的な疲労だけではなく魔術領域もかなり酷使するからだ。エインズワース式ブートキャンプの真髄はここにある。


 魔術と肉体を同時に鍛える。これを徹底してこそ、白兵戦などにも魔術を活かすことができる。それに加えて、魔術師にはメンタルの問題も必ずしもつきまとう。心の状態が不安定になってしまえば、魔術もまた不安定にあってしまう。


 心技一体。それこそが、師匠がよく俺に教えてくれたことだった。



「二人ともッ! まだいけるぞ!」

「んにゃあああああああああああッ!!」

「ですわあああああああああああッ!!」



 悲鳴に近い声を上げる二人。


 現在はカフカの森の中を、疾走している。二人の後ろから発破をかけている俺だが、アメリアとアリアーヌ共に限界が近いのは間違い無いだろう。


 それでも気力を振り絞って、二人は走り続けている。


「これ以上のトレーニングは、嫌だああああああッ!」

「絶対に逃げ切ってみせますわあああああッ」


 必死な様子で走っているが、今回の訓練は鬼ごっこを課していた。


 一時間という制限時間の間で、捕まることがなければ本日の訓練は終了。一方で、捕まった瞬間にはさらなるトレーニングが待っている。


 その話をした時、アメリアの顔は青ざめ、アリアーヌの顔も引きつっていた。


 また、アメリアとアリアーヌの二人には内部インサイドコードでの身体強化を許しているが、俺は魔術の使用はしない。


 この肉体のみで二人を追いかけ続けている。


 この程度のハンデは必要だからな。というのも、二人はジャングルなどには慣れていないからだ。


「アメリア、二手に分かれますわよっ!!」

「ひぃいいいいい! 私の方に来たらどうするのっ!?」

「その時はその時ですわっ!」


 散開。


 アリアーヌは右に、アメリアは左に進行方向を変える。


「どちらを狙うか……」


 ぼそりと呟くが、どちらを狙うにしても悩みどころだ。アリアーヌはその圧倒的な身体能力を活かして、逃げている。一方のアメリアはアリアーヌには劣る。


 だが、彼女はこの森のことを熟知している。あの夏の時、よくここで訓練をした結果だろう。


「こっちだな」


 狙うのはアメリアだった。順当にいくならば、アメリアを確保した後にアリアーヌに行くべきだろう。


 彼女の経験を踏まえても、この森での逃亡はアリアーヌに軍配が上がる。俺としても、先に楽な方を済ませておきたい。


「ヒイィいいいいいいいい! こっちにきたぁあああああああッ!!」


 アメリアは絶叫しながら、颯爽と森の中を駆け抜けて行く。しかしスピードは流石に、魔術で強化しているアメリアの方が上だ。


 いくら動くのが得意とはいえ、魔術なしでは追いつくことは叶わない。と言ってもそれは、森の中ということならば話は変わる。


 森の中では、ただまっすぐ進めばいいというものではない。


 木々を避けながら、さらには現在は落ち葉が大量に落ちている。それに足を取られないように、走り続ける必要がある。ここでわずかな差が生まれる。もちろん俺は、その差を徐々に縮めて行く。


「んにゃああああああああああああっ!!」


 全力疾走。全てをかなぐり捨てるようにして、疾走するアメリアだが……。


「あ……」


 あまりにもガムシャラに走り過ぎたため、落ち葉に足を取られてしまう。ズルッとその場で横転すると、アメリアが倒れないようにそっと抱き止める。


「捕まえたぞ、アメリア」

「あ……う、うん……」


 横抱きする形になってしまったが、仕方がないだろう。アメリアも打って変わって、なぜか落ち着いているようだしな。問題はないだろう。


「では、森の外に出ていてくれ。アリアーヌを確保した後、アメリアには別のメニューを課す」


 そう伝えると、俺は颯爽とその場から離脱。

 

 その際に後ろからはアメリアの「もう、やだあああああああああああっ!」という叫び声が聞こえて来た。



「さて、アリアーヌを探すか」


 絶対不可侵領域アンチマテリアルフィールドを使用すれば、位置を特定することなど造作もないのだが、今回は俺は魔術を使用しない条件だ。


 ということは、自力で逃げたアリアーヌを発見する必要がある。


 まずはアメリアと別れた場所に戻ると、そこから走って行った方向へと進んで行く。地面を見ると、誰がか走った後がしっかりと残っているが……それが急に、途中で消えたのだ。


「上か……」


 そして俺は、上を見上げると木へと飛び移った。


「……なるほど」


 アリアーヌもなかなかに考えたものだが、木の上にもわずかな痕跡は残る。それに、魔術を使っている為に、第一質料プリママテリアは残存してしまう。


 彼女の第一質料プリママテリアの跡を追いかけながら、木々を飛び移るようにして移動すると……岩陰から、白金プラチナの髪がわずかに出ていた。


 見つけた俺は、木から飛び降りるとそのまま大地を駆け抜ける。アリアーヌが気がつく前に、捕まえてしまいたいが……。


「……もう来たんですの!!?」


 流石に降りる際に大きな音を立ててしまったので、気がつかれてしまう。


 バッとその場から立ち上がると、アリアーヌは再び俺からの逃亡を図る。


 アメリアとは違い、アリアーヌの身体能力は魔術を込みという点で考えれば、学生の中でもトップクラスだろう。


 おそらく、軍人にも匹敵するほどの身体能力をすでに兼ね備えている。


 そんな彼女を確保するのは、至難の技ではあるが……俺とは違い、彼女には森での経験が浅い。アメリアと同様に、つけ込むならばそこしかないだろう。


「逃げ切ってみせますわっ!」


 駆ける。


 それと同時に、俺は手首につけている腕時計をちらりと見る。残り時間は、十五分。かなり短いが……すでにアメリアは確保している。残りのリソースを全てアリアーヌに費やせばいいので、勝算はある。


 そして俺たちは、最後の鬼ごっこを開始するのだった。




「はぁ……はぁ……はぁ……ううぅ……ギリギリ負けましたわぁ……」

「ふぅ。本当に、ギリギリだったな」



 勝敗は、俺の勝利。


 残り時間は、十秒。


 そこでアリアーヌはわずかにバランスを崩してしまい、そのよろめいた瞬間に俺は彼女にタックルを仕掛けた。走っていてはギリギリだと思っての行動だったが、なんとか間に合った。


 今は、俺がアリアーヌに被さっている状況だ。しかし、俺も疲労がかなり蓄積しているのですぐに息を整えるのは難しかった。


「すまない。抱きしめるような形になってしまって」

「え……? あぁ。ま、まぁ別にそんなに気にしませんので……」


 ぼそりと、「アメリアに見つかったらまずいですけど……」と言っていたのは聞き間違いではないだろう。おそらく、自分の敗北した姿を見せたくないのだろう。


 アリアーヌらしい言動だ。


「さて、戻るか」

「えぇ」


 呼吸も整ってきたところで、立ち上がると彼女に手を差し伸べる。


 グッと体重を支え、アリアーヌがその場に立ち上がる。一見すれば、アリアーヌは体重があるように思えるが、とても軽いと思った。


「レイは魔術を使っていないんですよね?」

「あぁ」

「凄まじいですわね……」


 並んで歩みを進める。アリアーヌはかなり驚いている様子だった。


「いや。俺としては、二人ともにすぐに捕まえられると思ったが……ここまでギリギリになるとは思ってもいなかった」

「そうですの?」

「あぁ。だから誇ってもいい」

「レイにそう言われると、嬉しいですわね」


 汗をかいて、髪は乱雑に乱れているが、その中でもアリアーヌの笑顔は輝いて見えた。


 そして二人でカフカの森の外に出ると、アメリアがこちらに駆け寄ってくる。


「あ! ど、どうなったの!」

「わたくしの負けですわ」

「と言っても、残り時間は10秒だったからな」

「……やっぱりアリアーヌはすごいわね」


 割と始めの方にあっさりと捕まったアメリアは、本当に賞賛しているのだろう。それは、その声色からはっきりと分かった。


「さて。では、二人にはペナルティを課すか」

「望むところですわっ!」


 と、アリアーヌが大きな声を上げている後ろで、そぉ〜っと移動しているアメリアが視界に入る。


「アメリア訓練兵!」

「れ、レンジャー!」


 条件反射で、彼女はビクッとその場で敬礼をする。


「逃亡は重罪だ」

「い、いやぁ〜ちょっと休憩でも……と思って」

「アメリアには時間があっただろう。その一方で、アリアーヌはすぐにでも次の訓練に移行する気概がある。見習うべきだ」

 

 そう言われて、アリアーヌはその豊満な胸をグッと張る。


「ふふん! アメリア、わたくしのことを見習ってもいいんですのよ?」

「いや……二人は脳筋だし……」

「ということで、次に行くぞ!」

「レンジャー! ですわ!」

「れんじゃ〜」

「声が小さい!」

「レンジャー!」


 そうして俺たちは次のメニューへと移行するのだった。


 もちろん、アメリアの悲鳴はその後も、森の中で反響するのだった。

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