第172話 因果干渉


 アメリアを半ば強引な形で連行したリーゼロッテは、自宅を目指していた。今は流石に担いでいたアメリアを下ろしているが、彼女は妙にソワソワとしていた。


「あの……」

「どうかしたのかい?」


 無表情かつ、無感情。


 その顔の作りもまた、人形のように精巧である。


 まるで本当の人間ではないかのような振る舞いに、アメリアは少しだけ戸惑いを覚えてしまう。


「その、わざわざありがとうございます」

「いや。別に構わないさ。もともと、君には会いたいと思っていたからね」

「それはどういう……?」

「ついたよ」


 アメリアの質問に答えることはなく、二人はたどり着いた。


 中央区の西側にある建物。煉瓦造りで、モダンなテイストである。曰く、この建物全てがリーゼロッテの所有物だという。


「さ、入ってくれ」

「失礼します」


 ペコリと一礼をすると、アメリアは室内へと入っていく。リーゼロッテの後をついていくと、そこに広がっていたのは……。


「……えっと、机だけですか?」

「ん? まぁね。研究室は地下にあるから、基本的には他の部屋は使ってないよ。ちなみに来客は君が初めてだ」

「そ、そうですか……」


 戸惑う。


 というのも、この広々とした部屋の中央にポツンと置かれているのはテーブルと椅子だけ。他には何もなく、閑散としていた。


 あまりの異質な空間に驚いてしまうが、とりあえずは椅子に座ることにした。


「最近はティーセットを買ってみたんだ。紅茶を入れるから、待っていて欲しい」

「分かりました」


 少しだけ弾むような声で、リーゼロッテがそういうと彼女はキッチンに向かった。最近は心境の変化もあり、色々なことに挑戦しようとしている。


 ティーセットもその一環である。


 もともとはそんなものは買う必要などなく、日頃はもっぱら水ばかりを飲んで生活をしていたが、紅茶を自分で作ってみるのも興味深いかもしれない……ということで購入したものだった。


 だが、次の瞬間。


 陶器が床に落ちて、パリンと割れる音が室内に響き渡る。


「え、大丈夫ですか?」


 流石に驚いたアメリアは立ち上がると、キッチンの方へと向かう。


 そこには、バラバラに砕け散ったカップがあった。


「ふむ……紅茶を淹れる、というのはなかなかに難しいものだね」


 と、割れたカップの前で腕を組んでうんうんと頷いている彼女を見て、アメリアは内心で思う。


 ──やっぱり、とても変わっている人だわ……。


 あの喫茶店であった時から思っていたが、どこか浮世離れしているというか、なんというか。アメリアの第一印象は、概ね外れてはいなかった。


「私がやります」

「いいのかい?」

「はい。紅茶を淹れるのは、慣れてますから」


 アメリアは三大貴族の令嬢。自分で紅茶を淹れる、または調理をすることなどないと思われるが、エレノーラの教育により最低限のことはこなせるようになっている。


 アメリアはお湯を沸かすと、残っているカップを温める。その最中に、茶葉から紅茶を作り出していく。慣れたもので、あっという間に紅茶の準備ができた。


 そこから気をつけながら、ティーポットとカップをテーブルに運ぶと二人分の紅茶を注ぐ。


「はい。どうぞ」

「おぉ! アメリアはとても家庭的だね。将来はいい妻になるに違いない」

「……えっ! そ、そう思いますか?」

「あぁ。素直にそう思うよ」


 ニコリと優しい笑みを浮かべる。


 アメリアがその時の言葉を聞いた時、相手に誰を思い浮かべたのか……それは明白だった。



「さて、と。本題に入ろうか」


 脚を組み直すと本題に入る。


因果律蝶々バタフライエフェクト。発現したのは確か……魔術剣士競技大会マギクス・シュバリエの時だよね?」

「はい」

「それから過度な使用は?」

「していません。レイに止められていましたから」

「それは良かった。因果律に干渉する魔術は、負担が大きすぎる。私も滅多に使うことはないからね」

「そうなのですか?」

「あぁ。私のアトリビュートは虚構。その本質を少し見せよう」


 トントン、と机を叩くと、あろうことかカップをその場に倒してしまう。カップは横になり、テーブルの上に紅茶が溢れてしまう。


「え……ちょ、溢れてますよ!」


 慌てるアメリアだが、それと同時に魔術が発動する兆候を感じ取った。



第一質料プリママテリア=エンコーディング=物資マテリアルコード》


物資マテリアルコード=ディコーディング》


物資マテリアルコード=プロセシング=歪曲ディストーション


《エンボディメント=因果律コーザリティ


「──因果崩壊コラプス


 小さな声で、その名称を呟く。


「溢れている? もう溢れてはいないだろう」

「え……」


 ポカンとした表情を浮かべるアメリア。


 それもそのはず。

 

 その場に横になって、中の紅茶を垂れ流していたカップは元に戻っていたのだ。


 まるで時間が巻き戻ったかのように。


「時間が戻った……?」

「厳密には時間の逆転現象ではないけどね。現代魔術では、まだ時への干渉は不可能だよ」


 人差し指を上げると、もう一度カップをその場に倒す。溢れ出る紅茶は机に広がっていく。だが……。


「ほら。もと通りだ」

「因果を結びつけるのではなく、結果を発現しないようにしているのですか?」

「おぉ! 流石は因果律の魔術を発動しただけはある。直感で理解できているようだね」


 彼女にしては珍しく、声を弾ませる。


 もともと、因果律に干渉できる魔術はリーゼロッテだけのものだった。しかし今は、アメリアもまた二人目の因果律に干渉できる魔術師だ。


 自分と同じ存在、ということでアメリアに対して親近感を抱いていた。


「私の本質は歪曲ディストーション。この世界の全てを歪曲させる。物質、現象。そして、それがたとえ、因果律であってもね。虚構はその結果に付随して生じる結果に過ぎないのさ」

「なるほど……つまりは、私とは逆の能力なんですね」

「そうだね。ただし、魔術には干渉力というものがある。アメリア。試しに、因果律蝶々バタフライエフェクトでカップが倒れるという結果を生み出すといい」

「分かりました」


 微かに頷くと、すぐに魔術を発動させる。



第一質料プリママテリア=エンコーディング=物資マテリアルコード》


物資マテリアルコード=ディコーディング》


物資マテリアルコード=プロセシング=四原因説アイティア質量因ヒュレー形相因エイドス作用因エフィシェン目的因テロス


《エンボディメント=因果律コーザリティ



因果律蝶々バタフライエフェクト


 顕現するのは、一匹の蝶。その蝶が舞い上がると、目の前のカップが勝手に倒れ始めた。まるで、そのカップが意志を持っているかのように。


因果崩壊コラプス


 と、アメリアの因果律に介入するリーゼロッテの魔術。互いに因果律に干渉した時。どちらの魔術が成立するのか……。


 その答えは、明白だった。


 目の前には、元通りになっているカップがそこにあった。


 そして、アメリアの発動した因果律蝶々バタフライエフェクトから生じた蝶は第一質料プリママテリアへと戻ってしまう。


 その場には、パラパラと真っ赤な粒子が溢れる。


「理解できたかな?」

「発動はしました。でも、結果だけを切除されたような……そんな感覚です」

「いいね。君はやはり、魔術適性が高い」

「あ、ありがとうございます」


 七大魔術師に褒められたということで、アメリアも少しだけ嬉しかった。もっとも、手放しで喜ぶことはない。それは、強大な魔術にはそれ相応のリスクが伴うと理解しているからだ。


「因果律に干渉する。しかし、因果律などこの目で捉えることはできない。では我々は因果律と定義している何かに干渉していることになる。それはなんだと思う?」

「因果律と定義している、何か……ですか」

「そう。君も私も、無意識のうちにそこにアクセスしている。これは私の仮説なのだがね」


 紅茶に軽く口をつける。


 そして、少しだけ間を置くとその仮説を語り始める。


世界真理アーカーシャ。おそらく私たちは、そこに干渉している」

世界真理アーカーシャと言えば、世界の全ての記録があるという場所のことでしょうか?」


名前自体はアメリアも知っていた。それはおとぎ話で聞いたことがあったからだ。


「よく知っているね。そう。世界真理アーカーシャは空間であり、存在であり、概念でもある。ま、要するによく分からないということだ。でも、過去の文献から登場しているそれは、魔術師にとって重要なものだ。曰く、魔術師はそこにある情報を書き換えることで、世界に魔術という現象を起こしているとか」

「それでは、全ての魔術師が世界真理アーカーシャに干渉できるということですか?

「そうなるね」


 アメリアは口元に手を持っていく。


 そのような話は、初めて聞いた。レイからも聞いたことはないものだ。


 しかし、そう考えると色々となものに辻褄が合う気がするのだ。あくまで直感的な推測に過ぎないが。


「魔術師の力量とは、詰まるところ……世界真理アーカーシャに対する干渉力ではないか。それが私の仮説だ。そして、世界真理アーカーシャには因果律も存在している。この世界に生じる、原因と結果。それを私たちは世界真理アーカーシャを通じて操作しているのかもしれない」

「なるほど。興味深い話です」

「ま、まだ仮説に過ぎない。それに論文にもまとめていないしね。まだまだ集めるべき情報は多いよ」

「レイはこのことを……?」

「知っているさ。というよりも、おそらくこの世界で世界真理アーカーシャへの干渉力は随一。彼の右に出るものはいないよ」


 レイ=ホワイト。


 アメリアは友人として接してきているが、思えば彼はおかしな点が多すぎる。


 一番は、一般人オーディナリーだというのに七大魔術師に至るほどの魔術適性があるということ。


 今回の話を聞いて、思う。


 ──レイにはもしかして、まだ秘密があるのかもしれない。


 そう考えるのは、必然だった。


「彼のことは……そうだね。私の口から言うべきではないだろう。本人から聞くといいさ」

「はい。分かりました」



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