第171話 停滞と前進


 フォルクさんの書斎から、俺たちはアリアーヌの部屋へと移動した。


「そう言えば、レイはアメリアとレベッカ先輩の家にも行ったことが?」

「あるな。二人の部屋にも、お邪魔させてもらった」

「そ、そうですの……」

「どうかしたのか?」


 彼女は急に顔色が悪いというか、焦っているような様子になる。


「レイ。今日うちに来た話は、特にその二人に話してはいけませんわ」

「? 何か理由でも?」


 アリアーヌの家に訪問したことを、アメリアとレベッカ先輩に言ってはいけない理由。


 もしかすると、彼女は何か大きな秘事でもしているのだろうか。


「これは乙女からの忠告ですのよっ!」


 廊下にいるにもかかわらず、彼女はズイっと顔を寄せると人差し指をトントンと俺の胸に当ててくる。


 その様子が本気なことから、特に理由は不明だが、了承することにした。


「忠告、感謝する。よく分からないが、二人には黙っておこう」

「えぇ。それがいいですわ」


 踵を返す。


 その後を追いかけるようにして、辿り着いた。


「では、どうぞ」

「失礼する」


 軽く一礼をして、アリアーヌの部屋に入っていく。


 初めの印象としては、簡素な部屋。というものだった。


 アメリアやレベッカ先輩はある程度は内装にもこだわっていた。決して派手ではないが、そこは確かに貴族の令嬢らしい部屋だと思った。


 一方でアリアーヌの部屋は質素だった。ベッドにテーブル。それに、クローゼットがあるくらいで、特筆すべきものは何もない。


 強いていうならば、部屋の隅にあるダンベルなどの筋トレ道具が目立つ。


 だがそれも、この部屋を華やかにしているわけでもない。


 アリアーヌはどちらかと言えば、派手な印象だがあまり内装にはこだわっていないだろうか。


「意外と質素だな……という顔をしていますわね」

「すまない。顔に出ていたか?」

「いいんですの。わたくし、自分に関してはしっかりとオシャレなどはしますが、部屋は別に寝ることができたらいいと思っていますので」


 ニコリと優しく微笑む。


 アリアーヌ=オルグレン。


 俺は彼女を知っているようで、まだよく知らないのだと改めて認識した。


「では、かけてくださいまし」

「失礼する」


 テーブルを挟むようして、俺たちは向かい合う。それと同時に、ドアが丁寧にノックされる音が響く。


「入っていいですわよ」


 アリアーヌがそう言うと、扉が静かに開く。


「失礼します。お嬢様方、お紅茶とお菓子を持ってまいりました」


 その場で丁寧に一礼をするメイド。


 彼女はテーブルに紅茶とアフタヌーンティースタンドをその場に置く。そして、そのスタンドに綺麗にお菓子を盛り付けていく。


 ケーキにクッキー。それに、俺は知らない小さなお菓子もある。


「それでは私はこれで失礼いたします」


 再び一礼をして、この場から去っていく。


「では少しいただきましょうか」

「あぁ。ありがたく、頂戴しよう」


 アリアーヌとこうして、ゆっくりと過ごすのは初めてだった。


 軽く彼女の方を見ると、とても優雅な所作で紅茶を飲み、お菓子にも手をつけている。


 三大貴族の令嬢は伊達ではなく、おそらく教育がしっかりとしているのだろう。


 今日のアリアーヌは、いつもよりもお淑やかでとても魅力的な女性に思えた。


「? どうしたんですの? わたくしのことをじっと見て」


 まずい。


 少し見惚れてしまっていたか。


 ここは素直に謝罪をする。


「すまない。あまりにもアリアーヌの所作が優雅でな。見惚れていた」

「……なっ!」


 ポロっとその場にクッキーを落としてしまう。


 そんな彼女は少しだけ桜色に頬が染まっていた。


「……レイ。あなたは誰に対しても、そうなんですの?」

「もちろんだ。誰に対しても、誠実でありたいと思っている」

「はぁ……あの二人が苦労するのも、分かりますわ……」

「あの二人?」

「こちらの話ですわ」


 その後、ささやかなティータイムを過ごすと、アリアーヌはとある話題を切り出してきた。


「レイ。少し相談がありますの」


 いつになく真剣な様子。


 その双眸はジッと俺のことを射抜いてくる。


「話を聞こう」


 それからしばらくの間を置いて、彼女はこのように切り出してきた。


「わたくしは……その。まだ成長の余地が、あるのでしょうか?」

「……」


 潤む瞳。


 それは確かに揺れていた。


 アリアーヌに成長の余地があるのは、俺の目から見ても明らかだった。しかし、このような質問をしてくると言うことは……本人は成長を感じることができていない、と思っているのだろう。


「ある。アリアーヌはまだまだ途上だ。俺だってそうだ」

「……あなたが途上なのでしたら、ほぼ全ての魔術師は途上だと思いますけど」

「そうだ。完成されている魔術師などいない、と俺は思っている」

「……そうですの」

「もしかして、アメリアのこと……いや、因果律蝶々バタフライエフェクトだろうか?」


 単刀直入にアリアーヌの悩みの原因を尋ねてみる。


 参ったと言わんばかりに両手をあげると、自嘲気味にアリアーヌは笑う。


「ふふ。お見通しみたいですのね。少しだけ、過去のお話をしましょうか」


 ふと、窓越しに外を見つめる。


 そして、アリアーヌはその過去を語り始める。


「わたくしとアメリアは、歳が同じと言うことで昔からとても仲が良かったんですの。でもアメリアは、貴族の在り方に悩みを持って……わたくしから離れていってしまった。どんな言葉も、届くことはなかったんですの」

「……」


 俺は黙って、その話を訊く。


「それからわたくしは、アメリアのために努力するようになりました。彼女の目標であり続けることが、自分にできることだと信じて」

「……そうか」

「しかし、いざこうしてアメリアが自分の先に行ってしまうと……わたくしは、ちょっとだけ挫けそうになってしまいますの。あぁ……きっと、アメリアが感じていた想いはこれだったのだと……最近になって気がつきましたの」


 俯く。


 その行動は、いつもの彼女らしくはなかった。


 初めてみるアリアーヌの弱さ。しかし俺はそれを、決して馬鹿にしたりはしない。


 人はみな、弱い生き物だ。たとえ七大魔術師であろうとも、それに変わりはない。


 今まで多くの人の心に触れてきたからこそ、俺はそれが正常なことだとわかる。そして自分も、さまざまな人に助けてもらってきた。


 だからきっと俺は、それに報いるためにもこれからは誰かを助けていきたいと──そう思っている。



「わたくしはただ、熱く、前に進むだけでいい。それが正しいと分かっているのに、どうしても迷ってしまう。このままでいいのか? このままでわたくしは成長できるのか? 早熟な魔術師の話も、つい訊くようになってしまいました。幼い頃は天才。しかし、成長するにつれて凡庸になる。わたくしはそれがたまらなく怖いのです……」



 自分の肩を抱き、わずかに震えている。


 三大貴族の令嬢たちと触れ合ってきて、思うのは……彼女たちは大きな圧力プレッシャーに常に晒されていると言うことだ。


 彼女たちは、三大貴族として在るべき姿というものを求められているのだろう。


 それは、アメリアやレベッカ先輩を見てきて感じたことだ。


 アリアーヌもまた、まだ迷っている。自分を信じて、進んでいても、いつかは立ち止まってしまう時が来る。


 それは俺にだって、あったことだ。


「アリアーヌ」


 立ち上がる。


 そして、彼女の側に近寄ってそっとその両手を包み込む。


「誰にだって、そのような時はある。俺にだって、停滞する時はあったさ」

「そう、ですの?」

「あぁ。しかし、その時には周りに助けてくれる人たちがいた。だから俺は、【冰剣の魔術師】という地位にたどり着くことができた。人は、一人では生きてはいけない。だから、俺はアリアーヌの力になろう」

「……いいんですの?」


 揺れている瞳を、見つめる。


 俺は毅然とした態度でアリアーヌに応じる。


「もちろんだ。今回の大規模魔術戦マギクス・ウォーで俺たちとチームを組みたいと言ったのは、そのためだろう?」

「そう……ですわね。アメリアの秘密を知りたかったんですの。どうして、あんなにも成長できたのか。そこでたどり着いたのが、レイでした……」

「そうか。ならば、優勝を目指そう。きっとその先に、アリアーヌの求めているものがあるはずだ」

「そう……でしょうか?」

「あぁ。間違いない。俺を信じろ」


 改めてギュッとその両手を握りしめる。


 するとアリアーヌは、その場に勢いよく立ち上がる。


「よしっ!」


 パァンと自分の頬を思い切り叩く彼女を見て、俺は少しだけ驚いてしまう。それは間違いなく、手加減などしていなかったから。


 見ると、頬は赤く腫れ上がっていた。


「もう、ウジウジするのはやめますわ。レイについていきますの。だからわたくしを導いてくださいまし。よろしくお願いしますわ」


 アリアーヌはそうして、深く頭を下げてきた。


 もちろん俺は、それを受け入れる。


「こちらこそ、改めてよろしく頼む」

「えぇ」


 握手を交わす。


 その目には、強い意志が宿っていた。


 きっと俺という人間は、これからも多くの人の想いに触れていくのだろう。その度に、他者と心を通い合わせて、共に成長していく。


 やはり思う。


 人は、一人では生きていけないのだと──。

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