第170話 ぶつかり合う筋肉


「それにしても、少し肌寒くなってきましたわね」

「そうだな」


 秋も深まりを感じてきて、もうすぐ冬がやってくるのだろう。


 今思えば、去年の今頃はこのような生活をするなどとは夢にも思っていなかった。


 確か、去年の夏から春にかけてはずっと勉強漬けの毎日だった気がする。俺は軍人時代に、魔術に関する知識などは豊富になったが、一般教養などはさほど教えられてはいない。


 極東戦役でそのような知識は必要なかったからだ。


 それでも、師匠、アビーさん、キャロルなど周りの大人たちは色々と教えてくれたものだったが。


 それから一年。


 俺はかけがえなの無い友人たちができて、こうして毎日の生活を送っている。


 本当に人生とは、分からないものだ。


「どうかしましたの?」

「いや。何でも無いさ」


 その後。


 アリアーヌと他愛のない話をした。アメリアの話だったり、【冰剣の魔術師】の話だったりと、話題は尽きなかった。


 そうして話しているうちに、南区の貴族街に入った。


 思えば、三大貴族の内、すでに二つの家にはお邪魔させてもらっている。そして最後は、オルグレン家。


 聞けば、当主のフォルクハルト=オルグレンは厳格な人間だと聞く。


「では、案内しますわ」

「よろしく頼む」


 門を潜ると、広がるのは噴水が中央に置かれた広い庭。左右には木々や花々が植えられているが、夏のような元気さは見えない。


 季節が変わっていることを、それを見て改めて認識する。


「レイ。オルグレン家へようこそ、ですわっ!」


 彼女はそう言って、扉を開いた。


 造りとしては他の三大貴族のものとは遜色がない。おそらく、同時代の同時期に同じ建築士が設計した家なのだろう。


 室内は、古めかしさを感じつつも、どこか現代的な要素も取り入れらている。


 俺はアリアーヌの後ろへとついていく。


 途中、彼女の帰宅を知ったメイドが案内を替わると言ったが、それを断ってアリアーヌに案内してもらっている。彼女らしい振る舞いである。


 辿り着いたのは、おそらく書斎だろう。


 コンコンコン、と三回ほどノックする。


「お父様。急な訪問になりますが、レイを連れてきましたの」


 と、その言葉を聞いた瞬間……室内から「……何っ!?」と大きな声がこちらまで響いてきた。


 バンっと扉が開くと、そこに現れるのは……巨躯。


 白金の髪を刈り上げ、爽やかな印象ではあるが……やはり特筆すべきは、その圧倒的な筋肉量だろう。


 話では、五十代に入ったばかりらしいが、それでもこの体を維持しているのは素直に感嘆すべきことだろう。


「お初にお目にかかります。レイ=ホワイトと申します」

「おぉ! 君がそうか……! 私はフォルクハルト=オルグレン。娘の友人なんだ、是非フォルクと親しみを込めて呼んで欲しい」

「では自分も、レイとお呼びください。フォルクさん」


 スッとその分厚い手を伸ばしてくるので、俺もそれに合わせて自分の手を伸ばしてしっかりと握手をする。


「ふ……噂に聞いていた通りの、好青年だな。まぁ、入ってくれたまえ」

「失礼します」

「お邪魔しますわ」


 書斎……ではある。本棚が敷き詰められているここは、書斎と形容して間違いないだろう。


 しかし、一点だけ他の三大貴族の家と異なる点がある。


 それは綺麗に揃えられたダンベルやバーベル。それにタオルなども用意されている。


「さて、かけて欲しい」

「はい。失礼します」


 机を挟んで、ソファーに座る。俺の隣にはアリアーヌ、正面にはフォルクさんが座る。


「ふむ……なるほど」


 じろり、と見られるので俺は何か粗相でもしてしまったのかと考える。


「何か失礼なことをしてしまったでしょうか?」

「ふむ……いや、そんなことはないが……うむ。とりあえず、脱いでもらおうか」

「なるほど。得心いたしました」


 これは、あの時と同じだろう。


 一学期に部長が俺の体を見定めた時のように、フォルクさんも俺という人間を測りたいのだろう。


 筋肉を愛するものにとって、お互いの筋肉を見ることは時に言語以上の情報を伝える。それは、熟練したトレーニーの間では有名な話だ。


 筋肉でしか分からないこともあるからな。


「レイ。別に無理をしなくても、いいんですのよ?」

「いや。構わないさ」


 颯爽と衣服を脱ぎ去る。


 流石にアリアーヌがいるので、下まで脱ぐわけにはいかないが俺は上半身裸になると、その場に立ち尽くす。


「まぁ……っ!」

「なんと……ッ!」


 日頃は線が細いとよく言われる。しかし、その下に眠っているのは圧倒的な筋肉量。


 俺は着痩せするタイプであり、さらには変態メタモルフォーゼの使い手。


 自分自身の体を意のままに操作することなど、朝飯前である。


 特に、筋肉のボリュームに関してはそれなりに自信がある。


 今日は特に大胸筋の調子が良く、二人とも驚いているのが良くわかる。


「あ、圧倒的なその筋肉量……ふふ……ふははは! なんということだ! アリアーヌ見ているか!」

「も、もちろんですわ! これは生半可な努力では到達できない領域……! 少し、触ってもよろしいですの?」

「もちろんだ」


 ゆっくりと近づいてくると、アリアーヌはまず大胸筋に触れる。


「……ふわっ! なんという分厚さなんでしょう! お次は……」


 次に移るのは、腹筋だ。綺麗に六つに分かれているそれに、なぞるようにしてその細い指が触れる。


「……ふわわっ! この腹筋も……すさまじいですわね……ふぅ。堪能しましたわ」


 と、アリアーヌが触り終わると同時に目の前には……同じように、上半身の衣服を脱ぎ去ったフォルクさんが立っていた。


 互いに見つめ合う。

 

 もう言葉などいらなかった。


 俺たちはそのまま近づいていくと、がっしりと握手を交わす。


 筋肉に国境はない。互いの体を見れば、どれほどの努力をしているのか容易にわかってしまう。


 俺も自分の筋肉に自信はあるが、フォルクさんのものも相当な筋肉量。


 なるほど。オルグレン家は、武闘派だとは耳にしていたがそれは間違いなさそうだった。


 その後、落ち着いた俺たちは衣服を着てから再び向き合う。


「ふむ。レイ=ホワイト。いや、【冰剣の魔術師】で間違いは?」

「ありません。自分が当代の【冰剣の魔術師】です」


 三大貴族の当主には、すでに知られているとは思っていた。そのため、俺は特に焦ることはなかった。


「その筋肉を見れば、七大魔術師なのも納得がいくというものだ……保有されている、第一質料プリママテリアも桁違いだ」

「分かるのですか?」

「ふ。相手の筋肉を見れば、おおよそな」


 ニヤリと笑うその姿は、悪巧みをしているというよりは、悪戯をしているようなものだった。


 しかし、筋肉を見ることで相手の第一質料プリママテリアの保有量がわかるか。なかなかの特殊技能ではある。


 そんな人には、今まで出会ってきたことはなかったからな。


「さて。それで今回は、アリアーヌと大規模魔術戦マギクス・ウォーに出ると話は聞いている」

「はい。アメリアも同じチームです」

「アメリア嬢か。なるほど。悪くない選択だ」


 腕を組んで頷く。そして彼は、思いがけないことを口にするのだった。


「娘のことだが、よろしく頼む」


 頭を下げる。


 流石にこの行動は予想していなかったので、俺は焦るが……それよりも、アリアーヌが慌てていた。


「ちょっと! お父様!? それはどういう意味ですのっ!?」

「む……もちろん、大会に際して鍛えて欲しいという意味合いだが?」

「あ……そうでしたの」


 赤くなっているアリアーヌだが……何かと勘違いしたのだろうか?


「もちろんです。しかし、三大貴族の当主ともあろうお方が、一般人オーディナリーである自分に頭を下げるなど……」

「構わぬ。そもそも、我々は血に縛られている。凝り固まった伝統に、血統主義という悪き習慣。大規模魔術戦マギクス・ウォーも意識改革の一環。我々は、次の世代のためにやるべきことをなすだけだ」


 打って変わって真剣な声色。


 気さくな人だと思っていたが、そこは流石の三大貴族当主。貫禄が違う。


 それに彼は、伝統を重んじるよりも革新的な思想を思っている人なようだ。


「……分かりました。娘さんのことは、お任せください」

「うむ。君に一任しよう」


 改めて、握手をする俺たちだがアリアーヌは隣で「あわわ……これは、アメリアとレベッカ先輩には絶対に言えませんわね……」とボソリと呟いていた。


 こうして俺たちはその後、アリアーヌの部屋に移動するのだった。

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