第150話 虚構の魔術師
リーゼロッテはエヴァンが失踪した後、その真相を魔術協会に伝えた。
そして彼女は会長である、グレッグ=アイムストンにある提案をした。
「君が代わりになると?」
「はい」
「しかし……」
「私の魔術でしたら、代用可能です。それに……」
「それに?」
「今、上流貴族が
「……」
グレッグは腕を組んで考える。
確かに今回の問題は、かなり特殊であり、世間に広まるとかなり問題だ。
リーゼロッテの魔術ならば、それを隠蔽することも可能。基本的には体調不良ということにして、あとはパーティーに適宜顔を出してもらえばいい。家族のことも、彼女と同じような魔術を使えるものを時折使えばいいか……。
そう考えて、グレッグは彼女の提案を許可した。
全ては魔術師の世界に平穏をもたらすために。
そこから先、リーゼロッテは自分でいる時間がさらに少なくなった。エヴァンに成り変わるだけではなく、他の人間にも成り続けた。
彼女は人の心を知りたかった。
確かに、リーゼロッテは人の気持ちが理解できないため、
だが、彼女には決定的に違うものがあった。
それは……
人の心は分からない。けれど、人の心を分かりたいと願ったのが、リーゼロッテだった。
「こんにちは」
「俺はそう思いますけど」
「いや、それはどうですかね」
「私はいいと思います」
「あはは! 確かにその通りだ!」
「え〜? それってどうなの〜?」
あらゆる人間を演じた。
自分の想像する人間を、ずっと演じ続けた。
また彼女は、小説を書くことにした。
人の心をもっと知るためには、人の心を描けばいいと思ったからだ。
「……こんなものかな」
人の心は分からない。だから、人の心を描く物語を誰よりも上手く書くことができた。
それは他の誰よりも、人の心を想像できたから。焦がれることが、できたから。
リーゼロッテが書いた恋愛小説は、たちまち王国で話題になり、世界的なベストセラーになった。
人間は虚構を信じて生きている。
分からないから。
分からないからこそ、彼女の願いは、本物を超えた。
だから人々は、彼女の虚構に魅せられた。
「……」
だがやはり、その心が完全に満たされることはなかった。
空虚で、
その本質は、どれだけ人の心を求めても……変わることはなかった。
それからまた数年が経過した。
彼女は魔術の研究に取り組み、ときおり魔術協会の依頼をこなすことで生活を送っていた。
そんな時に耳に入った噂。
曰く、この王国の裏に魔眼収集家がいるとか。
「まさか……エヴァンが、帰ってきたの?」
情報を整理し、たどり着いた真実。
彼はレベッカ=ブラッドリィが
それはいわば、エヴァンからの挑戦。
彼は明確に、リーゼロッテに突きつけていた。
十年前の因縁を果たす……と。
その時にちょうど、ブラッドリィ家から依頼が入った。
ブルーノ=ブラッドリィが娘であるレベッカ=ブラッドリィを助けて欲しい……と。
そしてリーゼロッテは、まるで小説を書いたときのように今回の流れを作った。
レベッカを追い込み、最終的にはレイ=ホワイトを使って、その魔術領域を封印すればいい。
相手もまた、そうなったレベッカを求めている。今のままでは、壊れてしまうのは自明。
おそらく、封印した上で解剖したい……という算段なのだろう。
それを敢えて、相手にやらせるというエヴァンの策。
チェスでもしているかのような攻防。顔は見えないけれど、お互いの思惑は進行する。
互いによく知っているからこそ、その攻防はうまく噛み合う。
そうしてついに……邂逅。
二人は向かい合う。
リーゼロッテは人形のような表情で、エヴァンは憤怒に支配されている表情で。
「リーゼ。やっとだ、やっとここまできた」
「エヴァン。あなたは……」
「リーゼ。死んでくれよ、なぁ?」
「……」
「お前がいると僕はダメなんだ。ずっとお前が、心を支配する。その存在が、俺をかき乱し続ける。だから……死ねよ」
「……エヴァン。私は」
対話を試みようと。
そう思っていたけれど、もう自分の心は届くことはないのだと、リーゼロッテは悟った。
「──ダークトライアドシステム、
戦闘が始まる
エヴァンはダークトライアドシステムを起動。
周囲にあふれる漆黒の
この時に際して、リーゼロッテは囚われているグレイからその情報を引き出していた。
だから、その対処法は既に心得ている。
「死ねえええええええええええええええッ!!」
異形と化したエヴァン。
グレイの時とは異なるが、その体は全体が紫黒に染まり切っていた。そして、漆黒の
──知っているよ。エヴァン。ダークトライアドシステムのことは。
人間の暗黒面を増長して、魔術領域を一時的に膨張させる能力。だがそれは、諸刃の剣でもある。使用すれば、元に戻る補償はない。
いわば、人為的に
それこそが、ダークトライアドシステムの真価。
「……」
リーゼロッテは、変わり果てた元恋人を見つめる。
その瞳は、わずかにも揺れない。
ただじっと、感情の揺らぎもなく、彼と戦い続ける。
だが残念ながら……決着は既についている。
リーゼロッテ=エーデン。
天才魔術師である彼女には、倫理の枷を外して、ダークトライアドシステムに縋ったとしても……届くことは決してないのだから。
《
《
《
《エンボディメント=
「──
エヴァンの魔術領域に直接座標を指定すると、リーゼロッテは魔術を発動。
もはや、本質を使うまでもない。因果律を操作するまでもない。
ダークトライアドシステムの弱点は露呈している。
おそらくこれは、
リーゼロッテはそう分析するが、それは的を得ていた。
「う……う、うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
絶叫。
発動した魔術は、
自身の有する、崩壊因子を
元は、知覚を変化させる魔術であったがそれを応用し、さらに昇華させた。
ダークトライアドシステムのためだけに、その魔術を生み出したのだ。
全ては……彼との因縁に決着をつけるために。
「う……ぐああああああああああああ……あぁ、あああ……」
その場に伏せるエヴァン。
そのあまりにも無様な様子を、彼女は冷静に見つめる。
同情はしなかった。
ただじっと、
エヴァンは既に、ボロボロだった。魔術領域は、既に焼き切れる寸前。
この十年。エヴァンは自身の魔術領域を酷使し続けた。地獄のような日々を送ってきた。
全てはリーゼロッテを超えるために。
しかし、それが仇となってしまった。魔術領域に直接作用する魔術を、リーゼロッテは有していたのだから。
「エヴァン」
「う……あぁああああ……リィいいいいいい……ゼェえええええええ!!」
這う。
かろうじて動く両腕を使って、彼女のもとに這ってくるエヴァン。
鮮血。
両目、耳、鼻、口、その全てから血が溢れ出てくる。だが止まることはない。
この憎しみは、自分が受けた絶望は……ここで終えるわけにはいかないと、エヴァンは強烈な痛みの中で願う。それはもはや、妄執だ。
元々、死は近いとエヴァンは分かっていた。
だから最後に、リーゼロッテに復讐を果たそうと……そう思っていたが、届くことはなかった。
その才能の壁は、あまりにも大きすぎた。
倫理の枷を外して、非人道的な道に進もうとも、七大魔術師の足元にも及ばない。
「こ……これが、最強の魔術師……虚構の魔術師……な、の……か……ぐっ……ごほっ……!」
ボソリと呟く。
エヴァンは常々思っていた。
最強は冰剣などではない。リーゼロッテこそが、七大魔術師の頂点であると。
だが、彼女はそれを否定する。
首を振って、事実を突きつける。
「違うよエヴァン。最強は、冰剣だよ。それも、当代の【冰剣の魔術師】であるレイ=ホワイトは、格が違う」
「な……何を……?」
「仮に、この世界を支配する魔術師がいるとしよう。私はそのような質問があれば、こう答えるよ」
一瞬。
一呼吸置くと、リーゼロッテは告げた。
「──冰剣の魔術師が世界を統べる、とね」
彼女は自身の知っている事実を淡々と述べた。
レイ=ホワイトは七大魔術師の枠に収まる存在ではないと、知っていたから。
「な……何を……?」
「まぁでも、彼の本当の能力を知る者はほとんどいないからね。仕方ないよ、エヴァンが知らなくとも」
「りぃいい……ぜえぇ……えぇええええええ!!」
喉がヒューヒューと鳴る。既に虫の息。
エヴァンが死ぬまでもう時間はないだろう。
引導を渡すことができた。
彼女はそう思っているが、この胸にある感情はなんだろう。
そう考えながら、そっと近づいてエヴァンの体を抱きしめた。
「もう、おやすみ。エヴァン」
「あ……リィい……ゼェ……お、れ……は……」
そして……エヴァン=ベルンシュタインはそこで命を終えた。
リーゼロッテに嫉妬し、身を堕とし、魂を売ったというのに……届くことは最後までなかった。
その人生は無駄だった。仮に真っ当な魔術師として生きていれば、彼は優秀な魔術師として生きることができただろう。
七大魔術師の地位にたどり着くことはなくとも、安定した人生を送ることができたに違いない。
だが、彼はその人生を想像して……絶望した。
そんなものは、人生ではないと。魔術を探求してこそ、その頂点に立ってこそ、自分は魔術師として生きることができるのだと。
それはもはや、呪いだった。エヴァンは固執し続け、その末に……辿り着いたのは、何も残らない人生。
後悔をする暇もなく、エヴァンはその人生をそこで終えた。
だがエヴァンは確かに、大切なものを一つだけ残して逝った。
リーゼロッテはそっと、人差し指で彼の
瞬間。
一筋だけ、彼女の真っ赤な双眸から涙が零れ落ちた。
「ねぇ、エヴァン。私は、やっぱりあなたを……」
紡ぐ。やっと知ることのできた、本当の想いを。
「──愛していたよ」
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