第149話 人の心を私は知りたい
「やっとだ……やっとここまで来た……」
殺意を込めた視線で、リーゼロッテを射抜くエヴァン。
二人の出会いは、学生の頃だった。
互いに性格が合う。それに魔術に対する適性も高いので、魔術の話も弾む。
容姿も互いに美男美女。
自然と惹かれ合うのは、時間の問題だった。
「ねぇ、エヴァン」
「どうした。リーゼ」
アーノルド魔術学院に存在する地下空間。ここは、ある鍵が必要なのだが、リーゼロッテはそれを教師からくすねていた。それを彼女の魔術で複製すると、エヴァンにもそれを渡した。
ここは、二人にとっての秘密の場所だった。
恋人となった二人は、そこで逢瀬を重ねていた。周囲の視線が鬱陶しいため、ここは最適の場所だったのだ。
エヴァンは学生の頃から、人を集めるカリスマ性があった。周囲の人間から頼られ、確かな人望を築いていた。
一方で、リーゼロッテは孤高だった。
魔術師として、すでに学生にして
魔術師としての実力もそうだが、その容姿と性格もそれに拍車をかける。
真っ白な肌に、真っ白な髪の毛。サラサラと流れるその長髪に真っ赤な瞳は、不気味と思う生徒の方が多かった。
彼女はアルビノだった。
魔術師の中に稀に現れるアルビノ。それに彼女は寡黙な人間だった。お喋り自体は好きなのだが、相手がいなくとも毅然と振る舞える。寂しいと思ったことは、一度もない。
それも相まって、リーゼロッテは孤独だった。
だが、彼女は受け入れていた。その全てを、今の状況を、受け入れていた。
そんな時に現れたのが、エヴァンだった。
彼はそんな孤高な彼女に惹かれた。どこか神秘的な雰囲気を兼ね備えている、リーゼロッテに恋をした。
そして二人は、恋人になった。
「魔術には、まだ先があると思うんだ」
「また魔術談義か?」
「うん。私はね、コード理論にはまだ秘密があると思っている」
「俺には皆目、見当もつかないが」
「だから私は、研究者にでもなろうかな」
「進路、か」
「エヴァンはどうするの?」
見つめる。
リーゼロッテは、何の感情も宿っていないような瞳でエヴァンを見つめる。
彼女は基本的に無感情だ。喜怒哀楽が薄く、他人の感情を読み取ることも難しい。
限りなく、サイコパシーが高く、彼女は完全なるサイコパスだった。
だからこそリーゼロッテは、人の心を理解したいと思うのだ。
エヴァンと付き合っているのも、自分の心を確かめるためだった。
自分はちゃんと彼に惹かれていて、恋をしているのだと。
「……俺は、大学に進む。が、その先は家を継ぐだろうな」
「そっか」
「今は見合いの話も出ている……」
「うん」
分かっていた。
この関係は、一時的なものであると。
いつかきっと、別々の道を歩んでしまうと。
言葉にはしないが、二人は知っていた。
上流貴族。それも、優秀な魔術師となれば自由恋愛は難しい。これは学生時代の中の、夢のようなものである。
リーゼロッテもまた、優秀な魔術師。貴族の家柄ではないが、それでも周囲は優秀な彼女の遺伝子を求めるだろう。
「ねぇ。エヴァン……」
「リーゼ……」
歩みを進めて、彼にゆっくりと近づいていく。
そしてリーゼロッテは、優しく口づけを交わす。
それは互いにとって、初めてのキスだった。
しかし、二人のキスはそれが最初で最後になった。
彼女は知りたかった。自分の心を、人の心というものを。
──私は、恋をしている……そう思いたい。
この時、彼女はまだ知らなかった。
エヴァンの視線の中に、嫉妬と憎悪が混じっていることに。
時は巡る。
リーゼロッテは魔術師としての技量をさらに上げる。そしてついに、彼女は七大魔術師の地位に至ることになった。
【虚構の魔術師】
それが、彼女の二つ名。
因果律に干渉する初めての魔術師。
魔術師たちは、手放しで彼女を褒め称えた。出向いたパーティーでは、リーゼロッテは数多くの貴族に手厚く迎えられた。
髪をアップにして、真っ赤なドレスを着て、化粧も不器用ながらに頑張り、魔術協会主催のパーティーに珍しくやってきた。
本当はならば、彼女はこのような場所にはやって来ない。それは言い寄ってくる人間が鬱陶しいからだ。
しかし今回やってきたのは、エヴァンに会うためだった。
きっと彼なら、祝福してくれるに違いない。
今はもう恋人ではない。だが、手紙でのやりとりはしていた。
今日のこの日も、来ると手紙に書いてあった。
だが……エヴァンが姿を現すことは、なかった。
「エヴァン……」
ボソリと呟く。
そしてリーゼロッテは、彼の家に向かうことにした。
南区にある貴族街。そこにエヴァンの家はあったはずだと、リーゼロッテは自分の記憶を呼び起こす。
夜になり、月明かりが世界を照らす。
街灯はあるが、この周囲は光は小さく、かなり薄暗い。それは普通の人間ならば、不気味と思うだろうが彼女は何の迷いも無く、そのまま進んでいく。
リーゼロッテは、ドレス姿のまま一人でやって来た。
今は無性に彼に会いたいと、思っていたからだ。
「……いない?」
呼び鈴を鳴らしても音がしなかった。
それに部屋の中は暗いままで、人の気配もしない。
家のドアの鍵も開いたままだった。
リーゼロッテは、恐る恐る室内に入る。すると、足元からべちゃと言う水音がした。
下を見る。
水でも溢れているのだろうか。
初めは彼女はそう思っていたが、よく見るとそれは……。
「……血? どうして?」
驚くことはなかった。
リーゼロッテはそれよりも、疑問を抱いた。
無用心に鍵が開いたままで、家に明かりは灯っていない。
それに部屋に漏れている血液。
可能性としては、強盗の類が入ったのか。
しかし、彼女がその先で見たのは信じがたい光景だった。
「……エヴァンなの?」
ある一室。
そこには家族と思われる人間の身体があった。地面に横たわり、血溜まりの中にいる。
一方でその前にいるエヴァンは、ただじっと虚空を見つめている。
「どうしたの? もしかして、それは……」
この状況。
それに、ここにはエヴァンのものと思われる、
リーゼロッテは悟る。
これは全て、エヴァンの仕業であると。
「……リーゼ?」
振り向く。
その双眸は、虚空のように真っ黒な闇を映していた。
髪も乱れ、いつも綺麗に容姿を整えているエヴァンとは程遠い姿だった。
「……エヴァンどうして?」
改めて、尋ねる。
すると不適に嗤いながら、彼は声を上げる。
「どうして、だと? それをお前が言うのか?」
「……え?」
「……ずっとお前が憎かった。僕の先を進み続けて、ついには七大魔術師に至った。初めは確かに、恋をしていた。でもそれは、憎しみに変わっていった。僕は、上流貴族であるベルンシュタイン家の長男だ。もっと高みへ、行かないといけないんだ……」
知らなかった。
彼女は、そう言われて初めて気がついた。
自分の何気ない言動が、彼を傷つけてしまっているなど思いもしなかったから。
しかし、やはり彼女の心は動かない。
まるでこの物語をどこか遠くから見つめているような、そんな感覚。
明確な殺意を向けられ、憎しみを向けられても尚、リーゼロッテの心は動かない。
そんな自分に、彼女は──。
「僕は
「……あの組織に? 馬鹿げている。そんな……」
もちろん、彼女にも誘いはあった。
だがそれは到底、許容できるものではない。
あらゆるものを犠牲にして、倫理という
リーゼロッテは分かっているからこそ、断った。
それをまさか、エヴァンが受け入れているとは……思いもしなかった。
自分が。
自分のせいで、こうなってしまったのか。
それは彼女が初めて抱く、後悔だった。
「なぁ、リーゼ。お前さえいなければ、僕は幸せに生きることができた……その才能に、嫉妬することもなかった」
「……」
「だから死んでくれよ」
始まった。
魔術戦。
それも、エヴァンは殺すという意志を明確に持ってリーゼロッテに挑んだ。
だが現実は非情である。
どれだけの感情があろうとも、すでに七大魔術師の地位にたどり着いているリーゼに届くことは決してなかった。
その実力は、もはや子どもと大人というレベルではない。
天と地ほどの差が、そこにはあった。
その現実をリーゼロッテは突きつけた。何の感情もなく、淡々と。
「ぐ……う……がはっ……」
吐血。
顔には大きな傷ができ、出血している。骨も何本か折っている。
──手加減しても、この程度なのか。
淡々と、心の中で分析をする。
手加減してこの程度。
リーゼロッテはそして、エヴァンに告げる。
「エヴァン。ダメだよ。その程度の力で、真理にたどり着けるわけがない」
「うるさいッ!! お前は全てを持っているから、そんなことを言えるんだッ!! 才能を、能力を持っているやつに、僕の気持ちなど理解できはしないッ!!」
瞬間。
煙幕が室内に展開される。
それと同時に、もう一人誰かが室内に入ってくると、エヴァンを連れて消え去ってしまう。
もちろん彼女は追跡する。この程度で振り切られる彼女ではない。
たどり着いた先は、アーノルド魔術学院にある膨大な地下空間。
「エヴァン……」
血を追ってここまできた。綺麗にまとめた髪は崩れてしまい、ドレスも乱暴に走ってせいで、所々裂けてしまっていた。
そして、ここでもまたもう一人の魔術師によってうまく撹乱されてしまう。
おそらく相手はこの手の逃走に関しては、自分よりも上なのだろう。
リーゼロッテはそう考え、そこで追跡を諦めることにした。
「……そっか」
そっとしゃがみ込み、彼の血を指先でなぞる。
自分で傷つけたというのに、リーゼロッテは特に感じることはなかった。
ふと、考える。
人の心が分からない。
ならば、自分がその人になりきってしまえば、いつか理解できる日が来るのかもしれない。
そう思い、リーゼロッテはそれから自身の魔術を他者に成り変わることに使い始めた。
こうして、彼女は人の心を追い求め続け始める。
いつかこの先、人の心が理解できるのだと信じて──。
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