第151話 良き人生を


「──赫冰封印パンドラ


 顕現するのは、赤く染まる冰剣。


 それらが地面から生成されると、相手に集まるようにして、三百六十度全ての角度から迫る。


 量は決して多くはない。せいぜい、二十本程度。先ほどまでの冰剣ならば、軽くあしらわれてしまうだろう。


 しかし──


「ぐ……ごほッ……!」


 鮮血。


 鮮やかな血液が、宙に舞う。


 なんとか防御はしているみたいだが、もはやそれは無いに等しい。この魔術の前では、全てが無意味になってしまうのだから。


 プロセスの過程に、圧縮コンプレッションを加え、魔術を圧縮。


 今回圧縮したのは、本来は大規模連鎖錬成エクステンシブチェインに匹敵する膨大なコード。


 それを圧縮し、魔術圧縮ピクノグラムという新しい種類の魔術によって顕現したのだが、この赫冰封印パンドラ


 質料領域マテリアフィールドすら貫通する、絶対不可避の冰剣。


 そして、赫冰封印パンドラで生成した冰で暴食パラトロゴの体を徐々に包み込んでいく。


 近寄る。


 右手には、一本の赤く染まった冰剣。


 それは真紅に染まっている。俺の血液を媒介として生まれたそれは、どんな防御も通用しない。


 極東戦役の最終戦で手にしたこの力を、こうして使用できるのはやはり……レベッカ先輩の件があるからなのだろう。



「……終わりだ。暴食パラトロゴ



 互いに身体中から滴る血液。


 俺はそれを拭うことなく、相手に真紅の冰剣を突きつける。


「ハハハハハ!! そうだったのか!! あぁ……分かったぜ……お前がどういう存在なのかなぁ……!! アハハハハハハハ!」


 もう決着はついている。


 もう数分も経過すれば、暴食パラトロゴはこの赫冰封印パンドラに飲み込まれてしまうだろう。


 殺すつもりはない。こいつには、然るべき罰を受けてもらう。



「冰剣、お前は最高だなぁ!!! ハハハハハハ!! これは確かに、先代の冰剣が敵うわけもねぇか!!! ハハハハハハ!!」

「……」



 睨み付ける。


 こいつは、知っているのか。


 いや……どうやら知っているみたいだった。



「お前がどんな道をこれから歩んでいくのか……」

「……」

「──楽しみにしてるぜ?」



 その巨体は、真紅の冰に飲み込まれていった。


 依然として嗤ったまま、暴食パラトロゴは完全に凍りついた。


 終わった。終わったが……自分の手を見つめる。真紅の冰剣を手放して、今の自分の状態を確かめる。


「……そうか。そういうことだったのか」


 見上げる。


 ちょうど雲が流れていき、空には満月が現れる。


 月明かりが、この屋上を照らしつける。


 前のように、意識を手放すことはなかった。


 どこまでも思考はクリアだ。魔術領域も、正常。いつものように抑え込むことができた。


 思っていた。この学院にきてから、妙に魔術領域暴走オーバーヒートの治りが早いと。グレイ教諭と戦い、死神グリムリーパーと戦い、暴食パラトロゴと戦い、普通ならば魔術領域暴走オーバーヒートが悪化していても、おかしくはない。


 だが俺は、逆に良くなってきている。


 限りなく、あの極東戦役の最終戦の状態に近づいている。


 間違いなく喜ばしいことだ。完治するのは、素晴らしいことだ。


 しかし、ある懸念が過ぎる。俺は、あの時の自分になった時、どのような道を進むのか。


 そんなことを、ふと考えてしまう……。



「レイ……」

「レイさん……」


 隅でじっとしていた、レベッカ先輩とマリアの元に向かう。どうやら、レベッカ先輩は意識を取り戻したようだった。


 今はマリアの膝に頭を乗せて、じっと俺のことを見つめてくる。


「レイさん……」

「はい」

「やはり……あなたが、【冰剣の魔術師】だったのですね……」

「はい。今まで隠していて、申し訳ありませんでした」


 膝をつくと、先輩の顔を覗き込む。


 まだ、体内時間固定クロノスロックをしてから、時間はそれほど経っていない。


 先輩は弱々しい声で、話を続ける。


「そんなに血塗れになって……頑張りすぎです……」

「止血は終わっていますので。派手に見えるだけです」

「大丈夫なのですか……?」

「はい。問題はありません」


 すると先輩は、俺の頭に手を伸ばしてきて……優しく撫でてくれる。


「ありがとう。今までずっと辛かったでしょう……私のために……」

「そんな自分は……」

「マリアもありがとう。二人とも、本当にありがとう」


 そして俺たちは、その場で三人で泣いた。


 静かに涙を流した。


 でもこれは、もう悲しみの涙ではない。


 俺たちには、確かな未来あしたが待っているのだから。




 ◇




「レイ。元気か?」

「師匠」



 一応念のために入院した俺は、ベッドで読書をしていた。入院といっても、明日には退院する予定だ。


 それと聞いた話だが、文化祭は後夜祭も終えて、今年も無事に終了したようだった。


 そして、今日はカーラさんはいなく、一人でやってきた師匠。


 その顔はいつものように凛としていた。


「自分は大丈夫です。お伝えしたと思いますが」

「ま、一応顔だけは見ておこうと思ってな」

「……その後、どうなりましたか?」


 暴食パラトロゴは殺してはいない。生かした上で、捕らえてある。


 だが、本物のベルンシュタイン氏は……。


「エヴァン=ベルンシュタインは、虚構が殺した」

「……そう、ですか」

「あの二人の因縁は、詳しくは知らない。だが、奴は淡々と語っていたよ」

「……今回の件、これで良かったのでしょうか」

「こればかりは、私たちにはどうすることもできない」

「……そうですよね」


 王国の裏で起きていた出来事。


 それは全て、エヴァン=ベルンシュタインとリーゼロッテ=エーデンが中心となって起きていたものだった。


 師匠たちは、俺が戦っている間に、エヴァン氏が送り出してきた優生機関ユーゼニクスの刺客と戦っており、それも無事に収束。


 全ては、虚構の魔術師のシナリオ通りに決着した。


「では、私はこれで失礼する。魔術領域の件も、大丈夫みたいだいしな」

「はい。師匠、また近いうちに」

「あぁ」


 軽く手を振るうと、師匠は去っていった。


 それとほぼ同時に、病室のドアがコンコンコンと丁寧にノックされる。


「どうぞ」

「失礼するよ」


 あの夜見たものと同じ姿。


 真っ黒なロングコートにロングブーツ。それに、純白の長髪。それを微かに靡かせながら、やってきたのは──【虚構の魔術師】である、リーゼロッテ=エーデン。


 真っ赤な双眸で俺のことをじっと射抜いてくる。


 そして彼女は、側にある椅子に腰掛けると、ニコリと人の良さそうな笑みを浮かべる。


「体調はどうかな?」

「……明日には退院できるかと」

「そうか。それはよかった」


 暫しの沈黙。


 俺はその静寂を切り裂くようにして、先ほど師匠に聞いたことを尋ねてみた。


「ベルンシュタイン氏は……」

「殺したよ」

「……そうでしたか」

「あぁ。彼もう、手遅れだった。魔術領域は侵食され切っていたからね。せめてもの手向たむけだ。私が終わらせたよ」

「……今回の件。あなたのシナリオだったのは理解しています。しかし、これで良かったのですか?」

「あぁ。あのことか」


 あの夜に聞いていた。


 エヴァン=ベルンシュタインとは恋人であったと。


 だから彼は、自分に任せて欲しいと……そう言ったのだ。


 それはきっと……その時にはもう、殺す覚悟はしていたのだろう。


「エヴァンとは、そうだね。恋人だった。けど、私には愛というものが分からなかった。それを求めていたから、彼と恋人になった」

「……」

「でも、エヴァンが死んで分かったよ。やっぱり私は、彼を愛していたのだと」

「そう、ですか」

「皮肉なものだよ。死んでから、こうして自覚するなんて。私は本当にどうしようもない、人間だ」


 その作り物のような綺麗な顔で語る彼女は、どこか寂しそうだった。


「しかし、エヴァンが異常なまでに私に固執して、おかしくなってしまったのは……彼の弱さだ」

「……弱さゆえに、力を求めてしまったと?」

「そうだ。でも、私や君は持っている側の人間だ。その気持ちは想像はできても、永遠に分かりはしない」

「……」


 確かにそうだ。


 その気持ちは想像はできる。


 だが決して、その人の気持ちを完全に理解できることはない。


「私はね。思うんだ」


 今度は優しい声音で、彼女は話を続ける。


「何をですか?」

「他人を理解した、と思うのが人間の傲慢ではないかと……ね。暴力と言ってもいい」

「……一理あるとは思います」

「他者は理解できないから、他者たり得るのだと。私は今まで生きてきて、そう思ったよ。それに今回の件で、それがよく分かった。私たちは結局、想像することしかできない」

「……」



 リーゼロッテ=エーデン。


 虚構の魔術師は、噂ではなんの感情もなく、まるで人形のような人物だと聞いていた。


 確かにその印象は、ある。その精巧な顔と、純白の髪に、真っ赤な双眸。それに、淡々と話す姿はそう思っても仕方がない。


 だが、俺には……葛藤を持って生きている、人間らしい人だとも思った。



「レイ=ホワイト。君の悩みは知っている。しかし、君がどう進むのか。それは自分にしか決めることはできない。人は結局、自分の決めたことにしか従えないのだから」

「はい」

「君は私のようにならないでくれ。しかし、それは杞憂だろう。君の周囲には、素晴らしい人間が多いからね。リディア先輩もいることだし」

「そうですね。それに関しては、恵まれていると思います」


 師匠のことを先輩、と呼ぶ。そのことに関して、言及はしなかった。師匠たちは、彼女に対して何か思うことがありそうだったから。


 そして、彼女は俺の手元にある本をじっと見つめる。


「それ。読んでいたのかい?」

「はい。恋愛小説は、この作者の物が好きで」


 ルナ=エテル。


 有名な小説家だ。もともとはアビーさんに教えてもらったのだが、登場人物の感情が丁寧に描写されていて、好きな作家の一人だ。


 世界的にも大ベストセラーになった恋愛小説を、俺は擦り切れるほど読み込んでいた。


「それは嬉しいね」

「嬉しい……? それはどういう?」

「作者は私だよ」

「……え」

「ははは! 君もそんな顔をするんだね!」


 高らかに笑う。


 だってそうだ。まさか、作者が目の前にいるなんて……夢にも思わないだろう。



「人には人の顔がある。そして私の物語には、私の想像した顔が描かれている。人は良くも悪くも、顔を使い分けているからね。私はそれを、小説で表現したかったんだ」



 コートの内側に手を伸ばすと、胸元からペンを取り出す。


「サインしてくれるんですか?」

「あぁ。滅多にすることはないが、特別にね」


 ウインクをすると、俺の名前付きで、サインを書いてくれた。


 それを渡してくると、さらに言葉を紡ぐ。


 それはまるで、自分自身に言い聞かせているようでもあった。



「人々は虚構に魅せられている。でも、それが人を人たらしめる要因にもなり得る。私は、物語を書くことで自分の世界を広げている。そして、世界中の人々と同じ虚構に魅入られることで、自己を確立している。存在証明、とでも云うべきかな?」



 人々は虚構に魅せられている、か。


 それは、そうだろう。人は見えないものに、意味を見出す。


 分からないからこそ、知りたいからこそ、虚構を信じて生きていくのだ。


 それがたとえ、本物ではないと分かっていても、人は虚構に魅入られる。


 だから人は、共同幻想の中に生きている。そうすることで、自己を認識する。


 きっとそのように言いたいのだろう。


 分からない話ではない。俺も、同じように葛藤していた人間だから。


 だからその気持ちは、確かに共感できるものだった。



「……すごいですね」

「いや。そんな大したものじゃない。ただ手探りで、この人生にあらがっているだけの……一人の矮小な人間に過ぎないさ。ま、年寄りの戯言さ。聞き流してくれてもいい」

「いえ。依然として若いまで、お綺麗かと。それに、とても勉強になりました」

「ははは、言うじゃないか。年甲斐もなく、照れてしまうね」


 大袈裟に表現するが、その頬は全く染ってはいないし、表情も真顔に近いままだった。


 やはりこのようなところを見ると、どこか浮世離れしているように思える。


 そして、彼女は立ち上がると、踵を返す。


「冰剣……いや、レイ=ホワイト。君の人生も、私の物語のように、希望と光に満たされるといいね。そう、願っているよ」


 少しだけ間を置くと最後にとても美しい、綺麗な笑顔でこう告げた。




「──良き人生を」





 人形でもなければ、機械でもない。


 リーゼロッテ=エーデン。


 虚構の魔術師である彼女は、確かに人間らしいと俺は思った。


 それはその笑顔が、如実に物語っている。


「はい。ありがとうございます」


 俺が頭を下げると、彼女は悠然と歩みを進める。


 そして、その雪のように真っ白な髪を揺らしながら、この部屋を後にした。


 窓越しに空を見上げる。


 夏とは違う、秋特有の澄んだ空。


 もうすぐ冬が近づいてくる。


 季節が巡るように、俺たちの人生もまた巡っていくのだろう。


 そんな風に、俺は思った──。

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