第125話 ささやかな時
ついにやってきた文化祭。
俺はいつものように、目が覚める。現在の時刻は、朝の五時。すでにこの学園は、祭りの当日ということでかなり盛り上がっている。
前日も内装を整え、さらには正門には大きな装飾がなされている。正門から校舎へと続く道には、屋台もすでに用意されており、準備は万全。
「ふぅ……いい天気だな今日も」
今日はランニングはせずに、一人で散歩をしていた。
俺は純粋に興味があった。祭りごとに参加するのは初めてだ。書物を読むことで知識としては知っているが、体験するのは初ということで心が躍らずにはいられない。
クラスでの準備。それに生徒会での準備も万端。
出来ることは全て行った。全力を尽くしたと言ってもいいだろう。
そして俺が向かうのは、自然とあの場所だった。この祭りが始まる学内を進んでいくと、辿り着いたのは俺が一学期に作成した小さな庭だ。
今日は水を与える当番の日なので、やってきた次第だ。部室から持ってきたジョーロに水を溜めて、それを花々に与えていく。朝日と相まって水滴が綺麗に反射され、照らされる。
だがその朝日は、もう夏のような強さはない。
秋特有の、優しい光とでもいうべきか。そして水やりを終えた俺は、まだ時間があるなと思って目の前あるベンチに腰掛けると、自作したサンドイッチを取り出す。
なぜだろうか。今日はふと、ここで朝食を取りたかったのだ。
「レイさん……どうしてここに?」
「レベッカ先輩」
右手側を見るとそこにはレベッカ先輩が立っていた。まるで信じられないものでも見たかのような表情。それは俺も同じだった。
偶然にもこのタイミングで先輩に出会うことなど思っても見なかったからだ。朝起きて、なんとなくした行動。
本当にこれは偶然とでもいうべきだろう。
だがそれと同時に、レベッカ先輩とよくここで一緒に昼食を取っていたことを思い出す。もしかすれば、無意識のうちに考えていたのかもしれない。
レベッカ先輩が、ここにやってくるかもしれないと。
「自分はそうですね。水やり当番のついでに、朝食でも取ろうかと思いまして」
「え……? 本日は私の日ではなかったですか?」
ポカンとした顔になる先輩。だが俺の記憶が正しければ、今日の当番は俺のはずだ。
「お言葉ですが。確か今日は自分の日だと思います」
「……そ、そうですか。すみません。間違えてしまったみたいで」
髪の毛を忙しなく触りながら、そう謝罪する。もちろん俺がそれを咎めることはない。
「先輩も座ってはどうですか?」
「そうですね。折角きたのですから。失礼します」
俺の隣に腰掛ける際に、フワッと柑橘系の香りが鼻腔を抜けていく。おそらくそれは、先輩が使用している香料。とてもいい香りだ。
また、いま座っているベンチはちょうど二人用なので、距離が近い。それこそ、肩が触れそうな程に。
そして俺は、隣にいる先輩に自分の持ってきたサンドイッチを渡すことにした。一人で食べていても仕方ないしな。
「朝食はまだですよね?」
「はい」
「ではこちらを」
「これは?」
「サンドイッチです。作ってきました」
サンドイッチ。レタスとチーズ、さらにはスクランブルエッグを挟んだものだ。それにパンの表面もカリッとする程度に焼いてあるので、きっと気に入ってもらえると思う。
「……レイさんの手作りですか」
「嫌でしたか?」
「いえっ! それでは、いただきますね」
視線が交差する。そして、破顔する先輩。
そこに陰りなどなく、いつものように美しい笑顔だった。でも俺は図りかねていた。マリアとの件を経て、レベッカ先輩に何かあるのは間違いない。
それを隠し続けている先輩。踏み込むタイミングを逸すれば、間違えてしまえば、全てが終わる。
だからこそ俺は慎重に先輩との距離感を測り続けていた。それにカーラさんからの情報も、もう少しで手に入る。行動を起こすのはそれからだろう。
「……んっ! 美味しいですね!」
「ふふ。それは自分の中でも得意な料理の一つなので。と言っても料理と言うには簡素すぎますが」
「いえ。十分素晴らしいものだと思いますよ?」
「恐縮です」
二人で並んで、朝日を浴びながらサンドイッチを頬張る。それは先輩との在りし日々を思い出させる。
最初は確か、レベッカ先輩が座っていて一人で食事を取っていたのだ。そして、ともに同じフルーツサンドを頬張っていた。
それから半年近くが経過し、また同じ場所で同じように共に過ごす。レベッカ先輩と過ごす時間は、とても落ち着いていて心地良かった。
「文化祭」
レベッカ先輩が声を漏らした。それは俺に声をかけたと言うよりも、独り言に近いものだった。
「楽しいものになるといいですね」
「きっとそうなります。自分は今年が初めてなので、楽しみにしています」
「ふふ。そうですか。それじゃあ、絶対に成功させないといけませんね」
「はいっ!」
文化祭。絶対に成功させたい。クラスでもみんなで協力して全力を尽くした。きっと満足するものに仕上がっているだろう。
「自分のクラスはメイド喫茶をやりますので、絶対に来てください」
「あの姿で出るんですよね?」
「はい。一日一時間だけですが、あの姿で出ることになっています」
すでに俺が出ることは噂で流している。
それは意図的にそうしているのだ。アメリア曰く、絶対に集客効果なると言っていた。彼女の熱量は尋常ではない。きっと心からこの文化祭を楽しみたいと思っているのだろう。
「レイさんの女装はもはや、芸術の域ですからね。私も楽しみにしていますよ?」
サンドイッチを食べ終わり、軽く叩いてからハンカチで手を拭くレベッカ先輩。
そして、いつもの優しい笑みとは違う、どこかニヤリとしているような笑み。先輩の表情もたくさん見てきたものだと、少しだけ感傷に浸る。
「ありがとうございます。それにマリアも楽しみにしているようで」
「マリア……ですか?」
「実は……」
俺はレベッカ先輩に
すると、納得したのか「あぁ……なるほど。そうだったのですか」と声を漏らした。
「この前にマリアにリリィーお姉様はどうしているのかと聞かれましたが……そうだったのですね。幸いにも、はぐらかしておきましたけど」
「マリアにはいつか折を見て、いつか言えたらいいのですが……」
「リリィーお姉様ですか。本当のお姉ちゃんは私なのに……ふふ。本当にレイさんは面白い人ですね」
クスクスと声を漏らす。
俺はどこか申し訳ない気持ちだった。それはマリアとレベッカ先輩の確執をすでに知っているから。
マリアはレベッカ先輩に対して劣等感を抱いている。そんな彼女が、リリィーお姉様と慕うのはそれも関係しているのかと考えてしまう。
「それにしても、いつの間にマリアと仲良くなったのですか?」
再び視線が交差する。
その瞳の奥で、何を考えているのか俺には分からない。
「……厳密にいつ、と言うと難しいですが。マリアとはここ最近ですかね」
「そうですか。あの子は男性を毛嫌いしているのですが……」
「そうなのですか?」
先輩は俺から目を逸らして、正面を向く。そして、どこか遠くを見据える。
「はい。あの見た目のことで、過去に色々とあったもので」
「……なるほど」
「しかしレイさんには心を許しているのですね。良かったです。あの子の交友の幅が広がっているようで」
「自分もマリアとは気が合うようで。仲良くさせていただいています」
レベッカ先輩は立ち上がってから翻る。スカートがフワリと浮かび、それが重力に従って落ちていく。
瞬間、風が吹いた。
靡く先輩の艶やかな黒髪。それを抑えることなく、先輩は俺の双眸を覗き込むようにして鋭く見つめてくる。
「マリアのことよろしくお願いしますね」
「先輩……」
「私は婚約した身です。上の兄が家を継ぐので、私は出る形になりますね。だからきっとマリアと過ごす日々はもっと減るでしょう。それにあの子は、私のことが苦手なようですから。だからレイさん。マリアのことをよろしくお願いします。ちょっとぶっきらぼうで、口も悪い子ですが、根は良い子です。とても優しい子なのです」
「はい。でもレベッカ先輩は……」
「私は良いのです。だからこれからも、あの子と仲良くしてください」
踵を返す。
先輩は軽く一礼をすると、そのままこの場から去っていく。
どうして。どうしてなんだ。
どうしてあなたは、悲しそうな
その場に一人残された俺は、あの夏の終わりのレベッカ先輩と今の先輩がどうして重なって見えてしまう。
そしてついに、文化祭が始まった──。
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