第110話 修羅場


「ねぇ、レイ」

「はい」

「どうして一緒に寝ないの〜?」

「年頃の男女が一つのベッドで寝るのは問題でしょう」

「……」

「どうかしましたか?」

「レイからそんな常識な発言が出るなんて、ボクは驚いたよっ!」

「……自分も最低限の常識は兼ね備えております」

「へぇ〜。成長したんだね〜」


 嘘である。


 俺は実際のところ、数日前までは年頃の男女でも一つのベッドで寝ることに対して何か思ったことはない。ステラとは何度も寝ているし、夏休みにはクラリスとも寝た。


 隣合わせで寝るくらい別にいいだろう。別にそこには男女の差などない。


 俺の認識はそうだったが、数時間前に師匠の家に行った際にきつく二人に忠告されたのだ。



「レイ。あの王女とはどうなんだ?」

「オリヴィア王女ですか?」

「そうだ」

「手紙を早く返してほしいと」

「ほぉ……」

「これは自分の不手際のせいですね」

「レイ」

「はい。何でしょうか」

「オリヴィア王女は狡猾だ」

「それは、そうですね。聡明な方だと思います」

「つまり、既成事実に気を付けろ」

「既成事実ですか?」

「そうだ」


 師匠だけではない。後ろにいるカーラさんもまた、うんうんと頷いている。


 また師匠の視線はかなり鋭いものになっていた。これほどの緊張感を漂わせ、真剣な顔つきをする師匠は久しぶりだ。


「いいか。狡猾な女の武器は、既成事実だ」

「はぁ……」

「つまり絶対にその体を許してはならない」

「なるほど」

「肉体関係にでもなってみろ。レイ、お前はめでたく第二王女と結婚することになるだろう」

「いやいやそんな。まさか……」


 流石にこの王国の王女である彼女が、七大魔術師の一人である【冰剣の魔術師】とはいえ一般人オーディナリーの俺にそんなことはしてこないだろう。


 しかし、依然として師匠の顔つきは真剣そのものだった。


「……え、本当なのですか?」

「間違い無いだろうな。なぁ、カーラ」

「はい。私もそのように考えます。レイ様。油断してはなりません。女とは時に、冷酷な一面を見せる時もあるのです。努努ゆめゆめ、お忘れなきよう……」

「……なるほど。勉強になります」

「レイ。それ件に付随してだが、今後は不用意に女と一緒に寝るのはやめておけ。もちろん、流石にもうやっていないと思うが」

「え」

「「え?」」


 声が重なる。

 

 師匠はさも当然かのように、俺がすでに誰かと一緒に寝ていることはないだろうと言ったが……実際のところは違う。


 俺はそのことについて正直に話すことにした。


「実家に帰った際には、ステラと一緒にお風呂に入って一緒のベッドで寝ました。それにクラリスとも、同じテントで寝ましたが……何か問題がありましたか?」

「「……」」


 その後、俺は師匠とカーラさんに説教をされた。いくら気を許している仲とは、そのようなことはあってはならないと。そのように言われた。


 まぁ師匠に説教されるのは慣れているが、なぜかカーラさんも今回は饒舌だった。というか普通に怒られた。「レイ様は女心を分かっているようで、分かっておりません。一番、性質たちが悪いです」と言われた。


 地味にショックだった俺は二人の忠告をしっかりと胸に留めて、今こうしてオリヴィア王女と向かい合っているところだ。


 きっと二人の忠告がなければ、まぁ一緒に寝るのもいいか……などと思っていただろう。


 しかし人間とは成長するものである。


 俺もまた、一般常識をしっかりと身に付けつつあるのだ。



「ではオリヴィア王女。良い夢を」

「はいは〜い。おやすみ〜」


 明かりを消す。


 俺は結局、ソファーで寝ることになり、オリヴィア王女は俺のベッドで寝ることになった。彼女は一緒に寝ると駄々をこねたが、俺のベッドで寝てもいいというと途端に落ち着いた。「えへへ……レイの匂いだぁ〜」と言いながらベッドにダイブ。


 自分の匂いをそんな嗅がれるのはちょっと複雑な気分だが、背に腹は変えられない。


 という事で師匠とカーラさんの忠告をしっかりと守った俺は、どこか満足そうに眠りに落ちるのだった。



 ◇



 コンコンコン、とドアが三回ほどノックされた音で目が覚める。現在の時刻は朝の五時半。


 もしかしてエヴィが帰ってきたのだろうか。


 そう思って俺は軽く体を伸ばしながら、扉へ向かう。


「はい。どちら様でしょうか」


 そして扉を開けた先にいたのは、アメリアとエリサだった。


 二人ともに目が真っ赤で、おそらく徹夜したのだろう。今日は休日ということもあり、別にいいのだがどうして徹夜明けに俺のところに来たのか……。


 と、俺はアメリアの持っている服に目がいく。


「レイ……ついにできたのよっ!」

「レイくんっ! できたよっ!!」


 誇らしげな声で二人は詰め寄ってきた。


 そして、恐る恐るそれを受け取り、広げてみると……それは。


「おぉ! ついに完成したのか!!」

「えぇ。試行錯誤を重ねて、エリサと入念な調整をして完成したのよっ! ふふふ……もちろん、スカートの方もバッチリよっ!」

「何と……この短期間で仕上げてくるとは……感嘆すべき事だ。二人とも、本当に凄いと思う」

「えへへ……」

「ふふん! どんなもんよっ!」


 朝にしてはテンションの高い二人。


 しかしそれも仕方がないだろう。これほどのものが出来上がったのだ。自ずと気持ちも昂るというものだろう。


 フリルなどの装飾が増え、さらにはスカートの丈は普通のメイド服よりもだいぶ短い。それに白と黒を基調としているが、そのコントラストがはっきりとするように至る所に小さな装飾が足されていた。


 きっとこれを作るのに、どれだけの苦労をしたのだろうか。


 そう考えると、俺は胸がどこか熱くなるような感覚に陥る。


 なるほど。これが、みんなで文化祭を行うということか……。


 そして三人でこの偉業を喜んでいる最中、俺はすっかり忘れていた。


 昨夜、オリヴィア王女が俺の部屋に泊まっていることを。


「レイ〜? どうしたの……朝からそんなに騒いでさ〜。ボク、目が覚めちゃったよぉ……はぁ……ねむ、ねむ……」

「……」

「……」

「あ……」



 アメリアとエリサは無言。


 俺は思わず、「あ……」という声が漏れてしまった。


 完全に失敗してしまった。オリヴィア王女がいることは秘密にすべきことだ。それは他でもない、俺がよく知っている。王族の人間がお忍びで魔術学院の寮に、それも男子寮にいるのは何かと外聞が悪いだろう。


 しかし不幸中の幸い。


 アメリアとエリサならば、きっと理解してくれるだろう。そう思って俺は弁解をしようと試みる。


「アメリア。エリサ。これは──」

「これは?」


 俺が言葉を言い切る前に遮るようにして、アメリアはただ冷静にそう言った。いや、別にいつものアメリアと変わらないはずだ。


 顔はなぜかニコニコと笑っている。だというのに、その冷たい目は俺をじっと射抜いてくる。その目は、完全に笑ってはいなかった。


 それにエリサもまた、まるで感情が抜けて落ちたかのようにじっと俺を見つめてくる。


 震える。


 まさか、これが恐怖とでもいうのか?


 今まで数々の修羅場を潜り抜けてきた。それこそ、生死の境を彷徨う戦場で俺は戦い抜いてきた。だというのに、この圧力プレッシャーはなんだ?


 俺の本能が警鐘を鳴らしている。


 ──ここで言葉を間違えれば、死が待っていると。


「へぇ……レイくんってば、私たちが頑張っている間にそっか……女の子を連れ込んでいたんだね……しかもすっごく可愛い人だねぇ」

「いや待ってほしいエリサ。これは」

「ふふふ……そうで〜す! レイに連れ込まれちゃいましたっ!」

「ちょ!? オリヴィア王女! お戯れは良してください!」

「え〜? 昨日はあんなにも激しい夜だったのに?」

「いえ。普通に別々に寝たのに、激しいも何もないはずです……が?」


 俺の腕にぴったりとくっつくオリヴィア王女。それを見たアメリアは、震えるような声で会話を続ける。


「ふふ。ふふふ……レイのことは信用してるし、信頼してる。うん、レイがそんなに器用なことは出来ないって分かってるわ。つまりは、オリヴィア王女が押しかけてきた、そうでしょ?」

「おぉ! アメリア、その通り……だが? え?」


 アメリアは急にその冷徹な視線の対象を俺からオリヴィア王女へと変える。


 それはまるで敵対している二人。エリサもまた、なぜかオリヴィア王女を見つめている。


 まるで俺の存在がここにないと言わんばかりに。


「オリヴィア王女。本日は少しお話があります」

「ふふん? いいけど? まぁアメリアが何を言ってきても、ボクは気にしないけどね〜」

「あ……え、ちょっと」


 そして三人は室内に入っていくと、俺は締め出されるような形で内側から鍵をかけられてしまった。


 あ、あれ……ここは俺たちの部屋なんだが?


 その後、その話し合いは数時間に渡って行われた。もちろん俺はそこで何が話し合われたのか、全く知る由もなかった。

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