第85話 いつかその先の未来


 パーティー会場のさらに奥にある扉。俺はそれを軽く二回ほどノックすると、室内から声が聞こえてきた。


「入って構わない」

「失礼します」


 中から男性の声が聞こえると、ゆっくりと扉を開けてそのまま室内に入って行く。


 こちらはパーティー会場とは異なり質素な雰囲気だった。長めのテーブルを挟むようにして、ソファーが向かい合うように並んでいる。


 テーブルの上には二人分のティーカップが置いてある。それはこの鼻腔を微かに抜ける匂いから、紅茶だとわかった。


 そしてそのソファーに座っていた男性はスッと立ち上がると、俺の方を見てその顔を綻ばせる。


「レイ! 久しぶりだな!」

「会長。申し訳ありません。協会に赴くのが遅くなってしまって」

「いやいや、構わないさ。もともと、七大魔術師は来る方が珍しいんだ。こうしてレイが来てくれるだけでも、私は嬉しいよ」


 黒と白が混ざった灰色の髪をオールバックにまとめ、黒を基調としたスーツを着た男性。身長は175センチほどだが、まだ体にはしっかりとした厚みが残っている。そんな俺を出迎えてくれるのは──。


 魔術協会、会長。

 

 名は、グレッグ=アイムストン。


 三大貴族の家系ではないが、上流貴族に名を連ねる方で、俺は過去に何度か交流があった。その時に色々とお世話になったのだが、こうして実際に会うのは数年ぶりだ。


「さてレイ。七大魔術師として、どうだ? もう三年にもなるだろう」

「そうですね。もう三年も経過したのだと思うと、時間の経過が早く感じますね」

「そうか……当時は冰剣を継ぐ魔術師がいる、とリディアに言われた時は驚いたものだ。まだ十二歳の子どもが、七大魔術師を継ぐとは前代未聞だったからな。もともとレイの存在は、裏ではまことしやかに囁かれていた。あの冰剣に弟子ができたとな。それがまさか、今となってはあの冰剣になっているとは……」

「懐かしい話です。私としては、よく協会が認めてくれたものだと」


 俺がそう言うと、会長は少しだけ思案するポーズをしてさらに会話を続ける。


「あの当時は、そうだな。リディアが負傷したことで、冰剣は七大魔術師から外すべきかと言う声が上がっていた。しかし、新しく七大魔術師になることができる魔術師はいなかった。七大魔術師は象徴だ。魔術師の頂点に立つものとして、欠けることは許されない。そこで、リディアからある提案がなされた」

「それが自分だった……ということですね」

「そうだ。元々、存在は知られていた。リディアが極東戦役で助けた少年を手元に置いているという話は協会の方にも来ていたからな」

「……」


 当時のことを思い出す。


 七大魔術師の引き継ぎ。それは今まで行われなかった前代未聞の事態だったからだ。


 そもそも七大魔術師は引き継がれるものではない。それは七大魔術師の能力とは唯一無二のものであり、模倣するなど不可能と考えられていたからだ。


 そのため七大魔術師が入れ替わる時は、自ずと全く別の魔術師になる。


 そのような背景があるのに、あの冰剣が引き継がれるという前代未聞の出来事。


 当時、師匠はそのことでかなり上から色々と言われたらしいと聞いている。そして俺は今の実家で会長を含めた、魔術協会の魔術師たちと会うことになり、そこからその能力を見極められて今に至る……ということだ。


「いや懐かしいものだ。あの時の少年が今はこうして学生をしているとはなぁ……当時、私は全くレイのことを信用していない、というよりもリディアは極東戦役で頭でもやられてしまったのかと思ったものだ。元々、あいつはおかしなところがあったからな。そんな私は渋々向かったのだが……君の存在は、魔術師の存在意義を覆すものだった」

「……恐縮です」

「いや、それほどまでに我々は驚いたのだよ。魔術師の家系でもなく、三大貴族でもない、一般人オーディナリー出身である十二歳の少年が……まさかリディアの能力を全て引き継いでいるだけでなく、全く新しい魔術すら会得していたのだからな」

対物質アンチマテリアルコードは、師匠の教えがあったからこそですが」

「だが、リディアは使えない。あれはこの世界でもレイだけの魔術だ。それは素直に感嘆すべきことだろう」

「いえ、自分は……」

「いや謙遜しなくてもいいさ。だが、レイ。今は学生ということで冰剣のことはできるだけ伏せておくが、この先はどうするんだ?」

「この先、ですか」

「あぁ。君の行く道は、我々にとっても無関係ではないからな」


 思案する。


 俺はこの先どうしていくのだろうか。


 七大魔術師はそれぞれ自由奔放に生きているのは、師匠やキャロルを見ればよく分かる。アビーさんのように真面目な人もいるが、そちらの方が稀だ。


 そのようなことを踏まえて、俺が思うのは……あの時にクラリスに話した内容だった。


「きっと自分は仮にこの魔術領域暴走オーバーヒートが完治しても、軍人に戻ることはないと思います。魔術を自衛のために使うのは理解できます。しかしやはり……この手は、血に染まり過ぎています」

「……」


 俺が淡々と語る言葉を、会長は真剣な眼差しで見つめてくれている。だからそのまま俺は、自分の想いを言葉にする。


「だからこそ思うのです。今度は、自分は魔術によって人を傷つけるのではなく、人を守り、そしてその成長を見守る立場になりたいと。自分が師匠にしてもらったように、自分も誰かにとっての師匠のような人間になれたらいいと……そう思うのです」

「ならば、教師の道に進むのか?」

「今のところはそうですね」

「立派な心がけだ。レイは本当に素晴らしい人間に育ったようだ」

「師匠や、それに数多くの素晴らしい人が自分の周りにはいましたので」

「そうか……レイは恵まれたな」

「はい」


 互いに一息ついて、紅茶に口をつける。


 芳醇な香りが鼻腔を抜ける。俺はそのまま紅茶を流し込み喉を潤してから、カップを机の上に戻す。


 そして、会長は新しい話題を切り出してくる。

 


「そうだ、レイ。一つだけ頼みたいことがある」

「なんでしょうか?」

「アメリア=ローズについてだ」

「……因果律蝶々バタフライエフェクトについてでしょうか」

「そうだ。すでにあの能力の詳細はこちらにも上がってきているが……あれはいま確認されている魔術の中でも、世界最高峰のものだろう。それこそ、虚構きょこうと同等のな」

「自分も同じ認識です」


 因果律蝶々バタフライエフェクト


 それは、この世界の因果律に干渉することができる固有魔術オリジン


 今のアメリアの技量ならば、まだ脅威には値しないが……問題なのは、その制御だ。


 あの圧倒的な能力を持つ固有魔術オリジンが暴走してしまえば、この世界がどうなってしまうのか分からない。


 俺もまた、自分自身の制御を失い魔術領域暴走オーバーヒートを起こしてしまったが、アメリアには同じ轍を踏んで欲しくはない。


 あれは成ったものにしか理解できないが、慢性的な痛みが伴い、地獄のような苦痛が続く。俺も魔術領域暴走オーバーヒートを発症した直後は、そのあまりの痛みに何度も気絶を繰り返し、堪え難い痛みにずっと耐えていた。


 強力過ぎる能力には、それ相応の代価が伴う。


 アメリアにはまだそのことについて詳しく言及していないが、いや恐らくは会長の口から語られるのだろうが、問題は彼女の日常的な生活の方だろう。


 ということで俺は会長が何を言いたいのか、すぐに理解した。


「それで、だ。レイは学院ではアメリア=ローズと同じクラス。さらには友好的な関係を築いていると聞き及んでいる」

「その通りです」

「彼女が道を外してしまわないように、見守っていてほしい。おそらく数年後には、彼女もまた七大魔術師の候補に上がっている可能性が高いからな。ここで優秀な魔術師を失うのは惜しい」

「は。了解しました」

「すまないね。本来は我々のする仕事なのだが」

「いえ。自分も友人のサポートが出来るのでしたら、嬉しい限りです。率先して任務に当たります」

「いやこれは任務ではない。個人的なお願いさ」

「……そういうことでしたら、そのように理解しておきます」

「あぁ。それでは時間を取らせてすまなかったね。また会おう、レイ」

「はい。本日は有意義なお話ができて、自分も楽しかったです」


 二人同時に立ち上がると、握手を交わす。


 そうして俺は恭しくその場で一礼をすると、この部屋を去っていくのだった。



 ◇



 パーティーは既に終わりを迎えそうだが、まだ談笑をしている魔術師は数多くいた。


 そんな中、俺が協会を出ようと扉の方へ向かうと……いくつかの視線が交錯する。


 見られているのは、間違いなかった。


 今日の予定としては、目立つつもりなど無く、すぐに会長に挨拶をしてから帰る予定だった。そのために、会長には別室での面会を希望したのだ。


 大佐との会話も、まだ人がほとんどいなかったので良かったのだが……問題はやはり、オリヴィア王女のあの発言。それにその後に、アメリアの母上とも会話を交わした。あの場所で、魔術界でも有名な人物たちと交流したのは流石に目立つ。


 既に、俺がただの一介の学生では無いと思っているものがほとんどだろう。


「……」


 だが敢えて、俺は何食わぬ顔で歩みを進める。


 その途中で俺の進路に出てくるのは一人の男性。


 中背中肉であり髪は少しだけ白髪が混ざっているが、顔つきはまだ若そうに見える。そんな彼は、ニコリと微笑みながらこう話しかけてきた。


「君が、レイ=ホワイトくんだね」

「はい。初めまして、レイ=ホワイトと申します」

「私はブルーノ=ブラッドリィ。ブラッドリィ家の現当主だ」

「これはご丁寧にありがとうございます。ご息女のレベッカ様には大変お世話になっております」

「はは。聞いているとも。面白い後輩がいると、娘がね」


 その鋭い視線は、明らかに俺を探っているものだった。


 おそらく貴族もまた一枚岩では無い。この様子からすれば、きっとレベッカ先輩の父上は俺のことを調べたのだろう。だが、まだ確信には……俺が冰剣という事実にはたどり着いていないようだろうか。


 今の俺は、彼の真意を図かねていた。


 その人の良さそうな顔からは何も読み取れない。どうしてここで俺に接触してきたのか、その意図は不明だがここは最低限の挨拶はすべきだろう。


 

「なるほど。しかし、自分はまだ浅学な身の上。今後も精進していきたい所存であります」

「……まぁ今日はそうしておこうか。また会えるのを楽しみにしているよ」

「はい。では失礼します」


 悠然と歩みを進める。


 それと同時に悟る。


 三大貴族とは、明らかに他の魔術師と一線を画しているのだと。周りには俺のことを伺うような視線を向けている者がいた。しかし、レベッカ先輩の父上……ブルーノ氏が道を譲ることでその視線も徐々に外れていく。


 まだ貴族の派閥関係は分からないが、確実に裏で何か大きな意志が蠢いている気がしていた。



「レイ、終わったか?」

「師匠。それにカーラさんも」


 協会の外に出ると、待っていたのは師匠とカーラさんだった。カーラさんはいつものように一礼をするので、俺も返しておく。


 一方の師匠は、疲れたような顔をしていた。


「師匠、お疲れですか?」

「ん? まぁ、な。久しぶりに来たからな。積もる話もあったが、面倒なので切り上げてきた」

「はは、師匠らしいですね」

「で、どうだった?」


 並んで歩き始める。


 車椅子に乗っている師匠はそう尋ねてくるので、俺は感じたことをありのままに話す。


「勉強になりました。ファーレンハイト大佐、会長にも久しぶりに会えて良かったです。しかし……」

「ブルーノに話しかけられただろう?」


 青天せいてん霹靂へきれき


 この場合は、そう形容すべきだろうか。


 俺は純粋に驚いていた。


 師匠はあの場にはいなかった。だというのに、俺がブルーノ氏に話しかけられたのを知っていたのだ。


「師匠、なぜそれを?」

「最近は貴族の動きが怪しいらしくてな。派閥争いか、それとも別の何かか……分かっていることは、その渦中にいるのは三大貴族の当主ということだ。三大貴族筆頭はローズ家。だが、ブルーノはブラッドリィ家の地位をさらに一段階上げようとしている……そんな噂がある」


 いつに無く真剣な声で語る師匠。

 

 その言葉を聞いて俺は内省する。


 ──あの時の邂逅は、当然だが偶然では無いということか……。


「ま、冰剣であることはバレていないはずだがな」

「そうなのですか?」

「あぁ。お前の情報は、カーラたちヘイル一族に任せてある。だが、あのローズ家のエレノーラには悟られたがな。全く、とんでもない魔女だ」

「……そうだったのですか」

「別に知られてもいいけどな。キャロルやアビーはオープンにしているし。しかしやはり、時と場合による。特に七大魔術師は、その一人だけで情勢を変えるだけの影響力がある。ま、そろそろ頃合いだな」

「……つまり?」

「お前も、覚悟を決める時だ。魔術師として生きるには、もっと世界を知る必要がある。強いだけじゃ、生きていけない。ということで、今から私の家に来い。そのことに関して、色々と教えよう」

「それはありがたいですが……」

「だがまぁ、申し訳なかったな。本来なら、もっと早くにいうべきだったが……悠長に構えすぎたな。貴族と七大魔術師の関係は、実はかなり面倒なんだ。特に三大貴族から七大魔術師が出ていない現状はな」

「なるほど。勉強させていただきます」



 そして俺は師匠の家に向かい、そこで魔術師の内情を聞いた。だが、三大貴族のことはその深部までは分からないらしい。


 それは諜報を生業としているヘイル一族であっても、知ることができないらしい。


 師匠は言った──魔術師の世界は深淵に似ている、と。


 知れば知るほどその闇に呑まれていき、その闇を抱えた上で生きていくしかないと師匠は語った。


 この先、俺は知ることになる。


 強さだけでは立ち向かうことができないものが、この世界には存在しているのだと──。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る