第66話 守るべきもの
「アメリア、落ち着いたか?」
「うん。そ、その……ありがとう、レイ」
「俺としても、君の力になれたのなら嬉しい」
「う、うん」
顔を真っ赤にしながら俯く彼女は恥ずかしいのか、俺から視線を逸らしながらそう言葉にする。
その一方でアメリアと俺は依然として指を絡ませるようにして、手を握っていたが……どうやらもう、そういうわけにもいかなくなった。
というのも、本戦の三位決定戦が終了したからだ。また新人戦の方は、表向きはアルバートが負傷のため不戦敗となっている。そのため、時間は予定よりも前倒しになっている。
そして試合が終了したのは弛緩した雰囲気と、大歓声によって理解できた。
俺たちは、試合前の最後の会話を交わす。アメリアの背中を押すためにも。
「アメリア。ついに決勝だ」
「うん」
「アリアーヌは強いだろう」
「……うん。そうだね」
「あの
「……うん」
「アメリアなら、戦える。立ち向かえる。俺は君に全てを教えた。それに……」
「それに?」
「いや、ここから先は至る者にしか分からない。その時が来れば、俺の言葉の意味が理解できるだろう」
「……そっか。うん。レイが言うならそうなんだろうね」
よく見ると彼女の手はまだ震えていた。
俺はそんなアメリアの震える手を再びそっと握りしめる。優しく包み込むようにして、彼女のその手を握って熱を伝える。
「大丈夫だ。アメリア。俺は見ているから。それに、俺との特訓に日々は絶対に君の成果になっている。だから、信じている。きっと君なら勝てると」
「うん……っ!!」
その顔は涙の後で真っ赤になっているも、もう……
「──ッ」
瞬間、気配を感じる。本当にごく僅かな気配。いやこれは殺気。それこそ、俺にしか分からないようにしているのか……アメリアは気がついていないようだった。
しかしこれは誘っているのだろうか。いや、そうとしか思えなかった。
──なるほど、このタイミングで来たということか……。
そして俺は同時に、昨日の部長との会話を思い出していた。それはこの大会の裏に潜む
「アルバートが行方不明ですか?」
「あぁ。医務室に運ばれてから、その行方を追えなくなったらしい。これでより確実になったのは、明らかに貴族を狙っていると言うことだな」
「そうですか……アルバートが……」
あの試合の後に医務室に運ばれ、そこで誘拐されたのか。
俺はただただ許せなかった。どれだけの想いで、気力で、戦っていると思っている。その想いを踏みにじるかのように、
だがここで感情に任せても仕方ない。まずは冷静に対処していくべきだ。それに師匠たちも動いているのだ。それを信頼すべきだろう。
まずは自分に何ができるのか、その確認だ。
「レイいいか。落ち着いて聞け。おそらく、誘拐された生徒たちはまだこの会場のどこかにいる。一箇所に集められている可能性が高いな。そして大会終了に紛れてそのまま連れ去っていく予定だろう。まぁこちらは学院長たちが対応している」
「はい」
「だからこそ、俺たちが対応すべきは、今後の被害を防ぐことだ。おそらく……現在一番危ないのは、三大貴族とクラリス=クリーヴランドだろう」
「クラリスですか?」
「あぁ。上流貴族の中でも、クリーヴランド家は最も三大貴族に近いとされている上流貴族だ。実はアメリア=ローズとクラリス=クリーヴランドにはかなりの数の護衛をつけている。だがレイは彼女たちと接する時間が多いだろう?」
クラリスの家の話は、師匠の家に行った時に詳細を聞いた。
それは俺が予想しているよりもはるかに大きい貴族の家らしい。
曰く、三大貴族の次点にはくるとか。と言うことは、クラリスもまたアメリアと同様に大貴族のお嬢様なのだ。狙われる理由はそれだけでも十分だという話だった。
「はい」
「だからこそ、お前にも警戒してほしい」
「了解しました」
「あぁ。レイのことは信頼している。よろしく頼む。俺たちも裏で動くが、一応警戒は怠るなよ。何があるかは分からないからな」
「は。了解しました」
昨日の会話からするに、間違いなく
ここから先は決勝戦だ。
選手達も、観客達も待ち望んでいるのだ。
行かないわけには、行かない。
そう考えると、俺は彼女に改めてこう告げる。
「アメリア、すまない。君の試合……どうやら、少しだけ遅れていくことになりそうだ」
「? 運営委員の仕事?」
「あぁ。そんなところだ。でも絶対に、見にいく。その勇姿を焼き付ける。だから待っていてくれ」
「ふふ……レイが来る前に、勝っちゃうかもよ?」
微笑む。
それは今までのものとは違う。アメリアの本当の心からの笑顔だった。
純粋にそれは美しいと、俺は思った。
「そう言えるのなら、大丈夫だな」
「そう……かな? 私、大丈夫かな?」
上目遣いで、じっと俺のことを見つめて来るアメリア。それは何かを欲しているようにも思えた。そうして彼女はしばらく黙っていると、意を決したのか……こう言葉にした。
「もう一度。もう一度だけ、抱きしめてもらっても……いい?」
「もちろんだ」
互いの距離を詰めると、今度は優しくアメリアを包み込むようにして互いの体を抱きしめ合う。熱が伝わる。鼓動が聞こえる。その全てが伝わってくる。
今、俺たちは確かに生きている。こうして感じ合うことができている。言葉を交わすことなく、俺たちはその存在を互いに刻み込む。
そして、ほぼ同時にスッと体を離す。
「行って来るね」
「あぁ。優勝してくれ、アメリア」
「そうね。きっとそうなると思うわっ!」
「あぁ。アメリアなら、きっとたどり着けるさ」
ニコリと微笑むと、アメリアは悠然とこの場から去っていく。その背中は今まで見た彼女の中でも、一番大きなものに見えた。
それは自信に満ち溢れた、そんな人間の姿だ。
だからきっと大丈夫だ。
アメリア、君なら……きっとたどり着ける。その場所にきっと。
君はもう、籠の中の鳥じゃない。飛び立てるだけの翼を、もう持っているのだから。
「ふぅ……さて、と」
──俺も行くしかないようだな。
そう覚悟を決めて、俺は違和感を覚えた地下へと向かうのだった。
◇
「……」
地下室へ向かう道の途中。そこは明らかに死の匂いがした。特別何か魔術的な要因があるわけではない。ただ俺の今までの経験からして、ここには死を纏わり付かせた何かがいると感じ取ったのだ。
すでに能力はある程度解放してある、あとは接敵するだけだが。
慎重に歩みを進めていると……視線の先に見慣れた顔が見えた。
「クラリスッ!? どうして、ここにいるッ!?」
クラリスには護衛がついているはずだ。それは事前に部長とも確認した。だと言うのに、今は完全に一人だ。今まで後方に潜んでいたはずである護衛の魔術師の気配は、完全になくなっていた。
──まさか……敵にすでにやられてしまったのか……?」
そう思案するも、クラリスはいつものように話しかけてくる。彼女自体は、この異常事態に気がついていないようだった。
「レイ! アメリアは大丈夫だったの……?」
「あぁ。それは大丈夫だ。先ほど、無事に決勝戦に向かった」
「そっか。それなら、私も安心したわ」
「でも、どうしてこんなところにいるんだ。運営委員の仕事はないはずだろう」
「え? 急な運営委員の仕事があるって、先輩に聞いたからよ。ちょっと地下に行ってくれないかって。そのすぐに終わるからって、言われて……」
「……なるほど。そういうことか……」
確実にこれは誘っているのだろう。だが解せない。どうして俺に気がつかれるような真似をした。今までのように潜んでいればいいものを。このタイミングでどうして……。
と思案する暇もなく、俺は魔術の気配を感じ取る。
それはこの地下空間を覆うように広がっていき、完全に閉じてしまう。
「広域干渉か……仕掛けて来たな」
「え!? え……!? 急に薄暗くなったけどっ!? 停電!?」
「クラリス……俺の側から絶対に離れるな」
「う、うんっ! だけどこれって……もしかして魔術?」
「あぁ。広域干渉系の魔術だろう。すでにこの空間は外界から隔離された」
「外界から隔離っ!? そんな魔術ってあるのっ!?」
「ある。だが今は静かにしていてくれ……」
「う……うん……」
彼女もこの雰囲気から尋常ではないものを感じ取ったのか、そのまま黙ってついてくる。
本当ならば、クラリスはここから逃がすべきだった。だが話している間にも、相手の広域干渉系の魔術が発動。間違いなく、俺とクラリスが合流したのを見越しての行動だろう。
また外界から隔離されているのは、外にある
そしてさらに奥に進んでいくと、開けた空間に出た。
ここはいつも作業をしている場所である。
見慣れた空間。
でも今はその中央に立った一人だけぽつんと立っているのに気がついた。
周囲は暗くなっているも、まだ点灯している微かな明かりでその相手を認知する。
身長は百六十センチ前後だろうか。それにフード付きの大きなローブを羽織り、さらには仮面。その赤黒い模様の走った仮面には見覚えがあった。
「……キタナ」
「何が目的だ」
「……オマエヲ、コロス」
「俺が目的か……」
「ソッチノオンナハ、ツレテカエル……」
「なるほど。やはり俺たちが狙いか」
まるで人形が話しているかのような、声。その不気味な声に怖がっているのか、クラリスは震えていた。
「ど、どういうこと……レイを殺して……私を連れて帰るって……」
感じ取っている。相手が振り撒くその殺気をクラリスもまた、理解しているのだ。
「レイ、逃げないとっ! 私たちがどうにかできる相手じゃないわっ!」
俺の腕を引っ張って、すぐに後に戻ろうとするクラリスだが……すでにここは相手の領域が展開されている場所だ。
固有名称までは理解できないが、外に逃げるのは骨が折れるだろう、もちろん、
だからもう、戦いを避けることはできない。
「クラリス。すまないが、応戦するしかないようだ」
「で、でもっ!」
「大丈夫だ。任せておけ」
「レイが強いのは知ってるけど、これはやばいわよっ! 分かるのっ! だから早くっ!」
「クラリス。俺は負けない。それにこいつをここで逃すわけにはいかない」
瞬間、俺は
その間を縫うようにして相手は短刀を投げてきた。
俺が完全に戦闘態勢に入る暇すら与えないつもりなのだろうが、すでに準備は済ませてある。あとは適切に事を運ぶだけだ。
本当はクラリスはこの場で待機しておいて欲しいが、敵の特徴なども考えて一人にしておくのはかなり危険だろう。
「きゃっ!!」
「クラリスッ! しばらく喋るなよッ!! 舌を噛み切るぞッ!!」
左腕だけで彼女を抱き上げると、そのまま俺は一気にコードを走らせる。
《
《
《
《エンボディメント=
「──
右手に顕現させるのは、冰剣。それをしっかりと握り締める。
そして敵が投擲してくるその短刀を、冰剣によって叩き落としてそれを凍らせていく。これは漏れる毒性の液体が体に触れないようにするための処置だ。
──身体の動きは、悪くない。それにコードも以前よりも良く走る。
自分の現状を冷静分析して、俺はそのままクラリスを抱きかかえたまま大地を駆ける。
この暗闇の中、おそらく有利なのは敵の方だろう。だが俺もまた夜戦は経験している。
投擲してくる場所からその位置を逆算して割り出す。もちろん適宜移動しているので、その音も頼りにして、薄暗い空間の中で戦闘を繰り広げる。
冰剣を右手に握りしめたまま、宙に浮かんでいる別の冰剣を相手に向かって放つ。その数はすでに五十を超える。今の俺なら、おそらく百程度ならば戦闘しながらでも操作することができる。
「……クッ!」
完全にヒットしたわけではないが、微かに当たったようだ。そこから俺はさらにコードの中に
流石にそれは避けられてしまい、その場に氷塊が生まれるだけになってしまった。しかしこの場はすでに、俺が魔術で生成した数多くの冰で埋め尽くされている。
それが示すのは、敵がどこにいようともその冰の周囲にいれば
「──そこか」
後方、上空。
そこにいた敵の顔面に、俺は容赦なく冰剣を突き刺した。が、その仮面はやはり魔術的な強化が施されていたのだろう。仮面が破壊されて、相手の額から血が滴るだけに
「ぐう……ううぅぅ。ごほっ……やはりお前は、冰剣のようだな……」
その声は、先ほどと異なり機械的なものではなかった。おそらく仮面に音声を変化させる魔術を組み込んでいたのだろう。それが破壊されてしまい、今は完全に素の声になっている。
「やはり、ということは知っていたのか。
「クク……ククク。俺のことも知っているか。しかし……この大会、別に俺としてはどうでもよかったのさ。その女は上の命令だから、確保するが……ただ、七大魔術師が四人も、それに最強の冰剣がいるんだ。ククク……殺さずにはいられないだろう……ククク。滾る、血が滾る。ククク……」
得心する。あの時の視線。それは間違いなく、こいつだったのだ。おそらく大会の開始直後から俺のことは把握していたのだろう。そうして俺が出るしかない状況を作り出して、今に至るということか。
そして、敵は持っているその短刀を舌で舐める。
その仕草を見て、こいつは殺しに慣れていると判断した。
だが……四人目の七大魔術師? この場には、冰剣である俺、灼熱であるアビーさん、幻惑であるキャロル、その三人しかいないはずだが。もう一人とは誰だ?
と、疑問は尽きないがやるべきことは一つだ。
「殺しはしない。だが、それ相応の覚悟はしてもらおうか。
「クク……クククク。世界最強は誰なのか、ククク……教えてやろう」
俺の腕に抱かれているクラリスは、その会話を聞いて完全に呆然としていた。「そんな……レイが冰剣? 七大魔術師の……あの冰剣なの?」と呟いているが、今はその問いに答える暇はなかった。
完全にこれは死闘なのだから。たった一度のミスが死につながる。こいつはそれを決して逃しはしないだろう。躊躇など、容赦などなく殺人を行うのは自明。
懐かしい感覚だと思うが、今はそんなことを感じている場合ではない。
「あれは……」
俺は相手の取り出した武器を見て、ある一つの仮説を抱く。禍々しい
それは、剣そのものに魔術的な能力が付与されており、それが永続的に発生するという古代から存在する代物。普通は道具などに魔術は付与できるが、道具そのものに魔術を定着させることはほぼ不可能だ。
未だに解明できていないそれは、俺もまた見るのは久しぶりだが短刀の魔剣は知らない。
どのような能力なのか、まずはそれを冷静に見極める必要がある。
「クク。ククク……クク……」
反響。
相手の声が、反響する。そして俺は完全に方向感覚を失う。どちらが前で、どちらが後ろなのか。いや、左右もわからない。自分が立っているのか、地面に座っているのか、それすらも分からない。
クラリスを抱きかかえている感覚は残っているが、分かるのはそれだけだ。
すでに明かりは全て消え去った。
何も見えずに、そして相手の魔術が発動している中で、俺は
この暗闇の中で、まともに魔術を使うことなど……普通はできない。
だがきっと、相手はそれを可能としている。元々あの世界最高峰と名高い暗殺組織である
暗闇の中での戦闘はむしろ、奴とはしては望むところなのだろう。
「──死ね」
その声がどこから聞こえたのか、俺には分からない。反響しているこの領域では、音に頼っていては何も理解できない。五感に頼ることは不可能。ならば、五感に頼らなければいいだけだ。
俺はそして、新しいコードを走らせる。
《
《
《
《エンボディメント=
「──
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