第44話 きっと何者にもなれない私


 私は誰なのか。


 そんな問いをずっとしてきた。


 みんなが求めるアメリア=ローズを幼い頃から演じてきた。


 私は物心がついた時から、自分は特別な人間だと知った。


 周りは私をもてはやす。それは幼い自分にはとても気持ちが良かった。褒められて、褒められて、褒められて、私はそのまま育っていった。


 でも私はなぜか……他の貴族の子どものように傲慢に育つことはなかった。


 幼い頃からよぎるのは、ある疑問だ。


 ──どうして、どうして私は褒められているの?


 それ突き詰めると、私自身ではなく、この血統こそがその対象なのだと理解してしまった。


 決してアメリアは重要ではなく、ローズ家の長女としての私が重要なのだと……そう理解した。


 でもそれでも、他の三大貴族であるレベッカさんやアリアーヌはそれを受け入れた上でのびのびと成長している。決して驕ることもなく、ただ現実を見つめて、三大貴族のあるべき姿を体現するかのように。


 私は焦った。


 だって私にはそんな風に振る舞うことはできないから。


 どうしても、自分を偽ってしまう、取り繕ってしまう、仮面をつけてしまう。


 それはもうどうしようもなかった。だから私は二人の見様見真似をし、親や友人が求めるような貴族を演じてきた。


 礼儀作法、習い事、勉学、魔術。


 その全てを完璧にこなしてきた。だって、そうしないと私が私で無くなりそうだから。


 そもそも、自分を偽っていると言っても、本当の自分などいない。


 本当に自分の欲するものなど分からずに、ただ偽物を演じている、それ以上でもそれ以下でもない何か。


 それこそが、アメリア=ローズだった。



「アメリア訓練兵ッ! よくやっているようだなッ!」

「レンジャーッ!」



 いつものように敬礼をしてから、彼との訓練に励む。


 この訓練が始まった当初は、まだ良かった。だって私に悩む暇などなかったから。それほどまでにこの訓練は過酷だった。


 あまりにも過酷で逃げ出す時もあった。


 でも私は結局戻ってきた。


 それは逃げてはいけない、前に進むのだから……という気持ちもあったが、私は別の感情もあったことを知っている。


 私は、見捨てられたくなかった。


 彼に置いていかれたくなかった。


 そんな後ろ向きな気持ちで、レイと訓練に励んでいたのだ。



「よしッ! 休憩とってよし!」

「レンジャーッ!!」



 夏の日照りが容赦なく私を照らす。すでに蝉の鳴き声も大きくなり、本格的に夏がやってきた。透き通るような青い空に、どこまでも澄んだ空気。そして私を焦がすように照らしつける日差し。


「……」


 レイから離れて、トボトボと蛇口のある場所へと向かう。


 じっと地面を見つめると、日差しが強いからか、いつもよりも濃い影ができていた。そしてそれを見て思った。


 彼は太陽で、私は影に過ぎない。


 レイは眩しい。のびのびと、自分の思うままに生きている。どこまでも自由で、眩しい存在。


 一方の私は貴族、血統という鎖に縛られた存在。貴族とはかくあるべきだと、この身で示しているも……それはそうせざるを得ないからだ。決して自由などなく、ただ機械的に生きているだけ。そんな私は影に過ぎない。


 だからレイを見ていると、私の影は一層色濃くなっていく。でも影は光がないと成り立たない。そして影も光になれるのだと、夢を見る。


 籠の中の鳥に過ぎないのに、そんな不遜な夢を見て……そのまま灼け落ちていく。偽物は結局偽物で、本物にはなれはしない。


 それでも夢を見てしまう私は愚かなのだろう。


 いつか彼のようになりたいと、夢を見てしまう。



「……ふぅ」



 頭から冷水を浴びて、少し冷静になろうとする。


 この暑さの中での冷水はとても気持ちが良かった。そしてタオルで水気をふき取ると、その場に座り込む。


 自分の手を見ると、震えていた。その震えは、迫っている魔術剣士競技大会マギクス・シュバリエへのものだ。今までは自分という存在をここまで誇示するものはなかった。でも、魔術剣士競技大会マギクス・シュバリエでは私という存在が浮き彫りになり、勝敗という形で魔術師にレッテルが貼られる。


 敗者になるわけにはいかない。

 

 だって私は、アメリア=ローズなのだから。


 でもやっぱり、頭によぎるのは自信などではない。ただただ、不安という恐怖が私を支配する。


 負けたらどうしよう。

 レイに訓練したもらったのに、負けたらどうしよう。

 レイはきっと、私に失望する。

 いやレイだけじゃない。

 エリサも、クラリスも、エヴィも……そしてこの学院の全員が失望する。

 アメリア=ローズはその程度でしかない……と。


 そんな不安からか、最近はよく手が震える。でもそれをぎゅっと握り締めると、私はレイの元へと戻っていく。



「よし。戻ってきたな。続き、いくぞッ!!」

「レンジャーッ!!!」



 そんな心を知られないためにも、私は今日も仮面を貼り付ける。


 だってそうすれば、私は私のままでいられるから──。


 みんなの求めるアメリアで、私は──。



 ◇



「その……話ってなんでしょうか?」

「ん? まぁとりあえずは座れ。話はそれからだ」



 あの後、私だけがリディアさんに呼ばれて彼女の書斎に通された。他のみんなはリビングで食事をしているらしいが、私はなぜかちょっときて欲しい、と言われた。


 別にそれほど面識はない。今まで会った時も、レイの師匠など思ったこともないので普通にいつものように形式的な挨拶をしていただけだ。


 そして、彼女は机の上にある書類の山をそばに退けると私の目をじっと見つめてこう告げた。



「頑張っているようだな」

「……なんのことですか?」

「さっきも言っただろう。訓練のことだ。レイのことだから、色々と無茶をしていると思うが……そこは大目に見て欲しい。と言っても、絶対に無茶はさせてないだろう? あいつは優しいからな」

「それは……はい。そうですね……」


 要領を得ない。こんな話をするためだけに、私を呼び出したのだろうか。でもそんな私の考えはすぐに無意味なものとなる。


「さてアメリア=ローズよ。どうやら、悩んでいるようだな……」

「なんのことですか?」


 とぼける。知られてはいけない。仮面を、仮面を貼り付けるのだ。


 私はアメリア=ローズであって、みんなの求めるアメリアを演じる。今までは貴族が求めるアメリアを演じてきた。でも今は、仲のいいみんなの求めるアメリアを演じるのだ。レイ、エヴィ、エリサ、クラリス。みんなが求める私は、強くて、気高くて、そして余裕を持っている人間だ。


 だから私は今日も道化を演じる。


「これだ」

「それは?」

「手紙だよ。レイからのな。あいつはこうして時折手紙をよこす。最近はただの近況報告だったが……君との訓練を始めてからどうにも、な」

「どうにも……とは?」

「アメリアが何かを隠しているのは分かっているも、踏み込んでいいか分からない……とのことだ」

「──ッ」


 息を飲む。


 まさかレイがそんなことを考えていたなんて。いや、彼が何かを感じているのは分かっていた。でもまさか、そんな風に考えていたなんて夢にも思っていなかった。せいぜい、訓練で疲れて大変だろうとか、もっと強さを求めたいとか、そんなことだろうと思っていたから。



「レイの過去は聞いただろう?」

「……はい。極東戦役に巻き込まれたとか」

「そうだ。あいつの家系は調べたが、正真正銘、一般人オーディナリーの家系だ。でもあいつには才能があった。私など優に上回る、いやこの世界でも最高の才能を持っていた。あいつは世界最高の魔術師になると……私はそう期待して育てた。でも、レイは私のせいで魔術領域暴走オーバーヒートを引き起こして……今に至る。私の唯一の失敗は、あいつに人の心を十分に教えることが出来なかったことだ」

「人の心、ですか……」

「あぁ。初めてきた時のレイはこの世の全てを諦めたような少年だった。でも徐々に人としての心を取り戻したが……まだ足りなかった。やはり、私たち軍人では教えることのできる範囲が限られてくる。それこそ、あいつは妙に大人っぽいというか、浮いているだろう?」

「それはまぁ……そうですが……」


 レイは会った時からちょっとおかしい……というか、本当に軍人みたいな人だった。妙に固い感じだし、礼節もしっかりとしているが、どこかちぐはぐな感じで……。


「それが限界だった。私たち大人の……な。だから私はレイに学院に入ることを勧めた。そこで人の心を、そして大切な友人を作って欲しいと。そう思っていた。でも心配だったさ。あのアホがまともに友人が作れるのか? そう思っていたが……杞憂だったな。あいつは立派に、掛け替えなのない友人を見つけたようだ。そして、そんなあいつが人の心の機微を感じ取っている」

「……」

「アメリア=ローズ。君の心のうちに何があるかなど、私は知らない。いやそれはきっと誰も知らない。君以外はな。決してそれを曝け出せとは言わない。ずっと心のうちに秘めたまま、一生を終えるのもまた、選択肢の一つだ。でも、悩み、苦しみ、解放されたいと、今の自分ではない何者かになりたいと願うのならば……友人を頼れ。まぁ……余計なお世話だが、心に留めといてくれ」

「……はい」



 そう言われて、私は呆然としたまま書斎から出ていく。


 私もいつか、この気持ちを、この内心を、吐露できる日が来るのだろうか。


 そんな日がやってきていいのだろうか。


 私はみんなが思っているほど、強くはないし、気高くもないし、貴族らしくもない……臆病者で、とても、とても弱い人間だ。


 臆病で、愚かで、弱虫で、ずっと怖がっている……そんなどうしようもない人間だ。



「あの……お手洗いは……」

「ここをまっすぐ行って、突き当りを左に進んだ先にございます」

「……ありがとうございます」


 途中で出会った侍女の方にそう聞いて、私はお手洗いを目指す。


「……」


 そして中に入ると、壁に頭をこつんとぶつける。


 友人を頼れ。


 その言葉は心に刺さり続けている。


 この想いを、この不安を吐露できれば、どれだけ楽になるのか。解放されたい……もう、こんな自分は嫌だ。今の友人たちなら、それに……レイならきっと受け止めてくれるはず……そう思うも、私の身体はやはり震えていた。


 レイは言った。自分の手は血で染まり、多くの人間を殺してきたのだと。その過去を全て聞いた瞬間に、私は彼に抱きついた。でもそれは、決してその過去に同情したからではなかった。


 その過去を語れる彼の心の強さが欲しかったのだ。


 だから反射的に、私はその強さに惹かれた。


 私も、レイのように……自分の想いを吐き出したい。でも、みんなはきっと失望するに違いない。いや、そんなことは……ないと信じたい。


 そんな矛盾がさらに私を奈落の底へと引きずり込んでいく。


 結局人間は、自分のことしか理解できない。どれだけ心の距離が近い友人であっても、その本当の心は理解できない。そこには、明確な隔たりが存在する。


 だから、私がみんななら大丈夫と思っているだけで……本当はそうじゃないのかもしれない。


 三大貴族の私が、弱い人間だと知れば離れて言ってしまうかも知れない。


 それだけは嫌だった。今の関係が好きだった。みんなの前なら、私も少しは自分らしくいられる気がするから。今までの自分とは違う、別の可能性を夢みることができるから。


 だから、壊すことはできない。


 仮面を貼り付けて、虚像を作って、演じ続けよう。


 それだけが今の私にできる全てなのだから。



「あぁ……本当に、私はどうしようもない……本当に……」



 鏡に手をついて、自分を見つめる。


 そこに写っているのは、一体誰なのか。


 きっともう私は、何者にもなれないのかもしれない──。

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