第17話 記憶痕跡



 師匠は真面目な目つきで、俺に問いかけてくる。


「魔術は脳のどこで発生している?」

「前頭葉では? 前頭葉は人間の理性的な部分を司る器官です。そこからさらに発達して、そこでコード理論が使用されている……いわゆる魔術領域のことですね」

「その通りだ。でも考えてみろ。前頭葉でコード理論により、コード……つまりは内部情報形式が処理される。それはいいだろう。でも、そのコード理論を使うためには魔術を記憶として保持しなければならない。それこそ、一種のメンタルモデルとしてな。そうしなければ人は魔術をすぐに忘れてしまう。私も脳という観点に立ち返って二重コード理論を生み出したからな。さて、私が脳という部分に着目して研究したことが明らかになると……この世界のムーブメントは、魔術そのものではなく、脳に行き始めた。今や、魔術と脳は密接な関係にあると言ってもいい」



 その話を聞いて、得心がいった。俺は頷くと、さらに師匠と話を続けていく。



「なるほど……そこで、記憶痕跡エングラムの登場なのですね」

「あぁ。普通は記憶は海馬に貯蓄されると思うだろう? しかし魔術の場合は違った。神経細胞の中に特定の記憶を蓄えるものが発見された。それこそが……」

記憶痕跡エングラムというわけですね」

「あぁ。記憶痕跡エングラムとは魔術記憶と表現してもいい。脳の回路、神経細胞に存在するものは何か。突き詰めると、一体魔術とは何か、脳とは何か、そして……人間の根源とは何か。それこそが、今の研究の流行なのだが、ここで問題が発生した」



 俺はその話を聞いて師匠が何を言いたいのか、おおよその答えを得ていた。


 人の脳を研究するのが、魔術の解明につながる。


 ならば、その脳の研究はどうすればいい? どうやって脳を調達すればいい?


 答えはやはり……予想した通りだった。



「非人道的な実験をするものが出たのですね?」

「そうだ。奴らは魔術で脳内を読み取るよりも、直接切り開いていじる方がいいと判断したのだろう。しかしそれは……人の尊厳を奪う危険な思想だ。私とて、未だに聖級グランドの魔術師であり、自分が異常者だという自覚はある。しかし、超えてはいけない一線は弁えているつもりだ。そんな時だが、私にある連絡が来た」


 そういうと、師匠はポケットから手紙を取り出した。


「それは?」

「手紙だ。何でも、私を勧誘したいらしい。組織名は優生機関ユーゼニクスだ」

優生機関ユーゼニクス……文字通り、優勢思想に染まっているのですか?」



 優生思想。それは生物の遺伝構造を書き換え、より優秀な遺伝子を残し、劣勢なものは排除していくという危険な思想だ。その考えの前では、全てが遺伝子で決まる。つまりは、人間に人権など存在しなくなるということだ。


 それを掲げている組織が立ち上がるとは……馬鹿げていると思う反面、それも人間の性質の一種。ある種これは、時代の流れなのかもしれないと俺は思った。



「あぁ。最高の環境を提供すると書いてあるが、こんなものは無視だ。人の尊厳無くして、人類の発展はあり得ない。それこそ、その先に待っているのは、暗黒郷ディストピアでしかない。ま、奴らにとっては理想郷ユートピアなのだろうが……」

「……なるほど。そんな組織が台頭しているのですね」

「そうみたいだ。そこで奴らは、ダークトライアドシステムなるものを完成させたらしい。噂程度の話だが」

「ダークトライアドシステム? 人間の暗黒面の話でしょうか?」



 ダークトライアド。


 それは人間の心理の暗黒面。それは3つに分類され、ナルシシズム、マキャベリズム、サイコパシーと呼ばれている。



「その通りだ。ナルシシズム、マキャベリズム、サイコパシーの3つを魔術的に応用したらしい。ま、詳細は知らんが決して良いものではないだろう。魔術の真理がどうとか言っているが、奴らは正真正銘の狂人だ。とまぁ……色々と言ったが、実は七大魔術師にも声がかかっているらしい。キャロルのやつがそう言っていたからな。つまりは……」

「俺にも声がかかると?」

「そうだ。だからこそ、忠告だ。耳を傾けるなよ、奴らの言葉には」

「もちろんです。師匠。そんな非人道的な実験に加担するほど、俺は落ちぶれてはいません」

「ま、そうだろうな。お前は私の一番弟子だからな。でも、弟子を心配する気持ちもわかってくれ。今となってはもう、私にレイを守ってやれる力はないのだから」

「……はい」



 師匠は話を終えて疲れたのか、背もたれにグッと背中を預けるとそのままフォークをパウンドケーキに刺して口に運ぶ。


 俺もまた今は糖分が欲しい気分になったので、同じような所作を行う。


 ──うん。美味いッ!


 やはりカーラさんのケーキの腕前は王国一だと思う。ここにきて良かったと思える一つでもある。


 しかし魔術の真理を極めようとする集団か……一応、気にかけておくか……。師匠の言葉にもあるように、俺はもう自分の身は自分で守る必要がある。今までのように、師匠に守ってもらうことはできない。


 それは、車椅子に座っているその姿が如実に物語っている。


 だからこそ俺は、これからは守ってもらうのはなく、守る側になりたいと……そう願った。



 ◇



「少し外に出ないか? 今の時間だと、森林浴が心地いいんだ。今日はレイと一緒に行きたい」

「わかりました。師匠」

「外出用の車椅子はこっちにある」

「はい」



 俺は室内の隅にある外出用の車椅子を持ってくる。


 そして師匠の体を抱きかかえると、そのままそっちの車椅子に移動させる。もちろん抱きかかえる際に体は密着するので、色々と思うところはあるのだが、瞬間フワッとした香りが鼻腔をつく。


「香水、つけてるんですか?」

「あぁ。今日はレイに会うからな。特別だ。それに服装も、髪型もイケてるだろ?」

「えぇ。初めはどこかの令嬢と思いましたよ。師匠は容姿はいいですから」

「あ? 容姿は、って何だ?」

「い……いえ。性格も美しいですよ?」

「だよな〜? 分かってるじゃないか」

「はい……」



 とまぁ、頭が上がらないのはいつも通りだ。


 そうして俺はカーラさんに外出してくると伝えると、外に出ていくのだった。



「おぉ……気持ちいいですね」

「そうだろう?」



 車椅子を押しながら、俺たちは森の中を進む。昔はただ見上げるだけだった背中が、今はこうして上から見下ろすほどになってしまった。


 本当に時の流れとは早いものだ。



「あぁそういえば……そろそろ6月だろう?」

「はい」

魔術剣士競技大会マギクス・シュバリエが近いな」

「えっと、確か3つの魔術学院が競い合う魔術剣士の、大会……ですよね?」

「そうだな。一対一の正々堂々とした戦いだ。私はちなみに、4連覇だぞ? 正真正銘の無敗だ」

「流石ですね、師匠」

「レイも出れば絶対に、連覇できると思うが……」

「無理でしょうね」

「だろうな。あれはトーナメント戦で、しかも連戦になることもある。今のお前では無理だろう」

「はい。しっかりと養生したいと思いますが……友人がきっと出ると思いますので、そちらの応援を」

「お、それは誰だ?」

「アメリア=ローズと言って、三大貴族筆頭のローズ家の長女です」

「あぁ……見たことあるぞ、そいつ」

「そうなのですか?」

「ちょっとしたパーティーでな。でもそうか、同い年の友人ができたか。お前は年上に囲まれてばかりだったからな」

「そうですね。まだ友人は少ないですが、一人一人との関係を密にしていこうと思います」

「ふむ……では、これを渡しておくか」



 師匠はそういうと、胸元に手を入れてある資料を取り出した。


「これは? って……見覚えがありますね」

「そうだ。エインズワース式ブートキャンプ。学生にも使えるように、アレンジバージョンもある」

「そ、そうですか……」

「お前はきっと、そのアメリアとやらの力になるんだろう? その時は使えばいいさ」

「機会があれば……参考にしたいと思います」

「ふふふ、そうだな」



 そうして俺と師匠は木漏れ日の降り注ぐ、森の中を歩いていく。悠然に、そして優雅に。あの在りし日々を思い出しながら、こんな日がずっと続けばいいと。


 そう思った──。

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