カルピス属性付与店の夏

村井篤浩

エンチャント・カルピス

 

 フリーペーパーに、近所の『カルピス属性付与店』の求人が掲載されていた。

 アルバイト。属性付与手伝い及び接客対応。シフト制。週三日勤務から。時給八二〇円。主婦、学生歓迎。

 主婦でも学生でもない身分だが、応募の電話をした。会社を辞めてから三ヶ月が経つ。そろそろ稼がなければ、生活が立ち行かなくなる。

 それから四日後の午前九時。お世辞にも綺麗とは言い難い一発書きの履歴書を片手に、桜並木の小路を歩いて、店舗へ向かった。

 真っ白な外壁に、ビビッドな青に塗られた看板。角の丸いゴシック体で、『エンチャント・カルピス』とあった。

 扉を開けると、どこからか入店を知らせる電子音が聞こえた。これまた真っ白な内装と、大袈裟に漂う爽やかで甘い香りが、なんだか落ち着かない。少し待ってみたが誰かが現れる様子もないので、やや張った声で奥の方へ呼びかけてみる。

「すみません」

 ほどなくして、白い制服に身を包んだ中年の男性が歩いてきた。厚い瞼と無精髭が、くたびれた雰囲気を醸し出している。赤い半透明のフレームの眼鏡が、やけに浮いて見えた。

「はいはい」

「面接に伺った者ですが」

「ああ、望月さん。僕が店長で、属性付与師の和田です。じゃあとりあえず、こっちに」

 促されてついていった二階は、事務作業と、従業員が休憩するためのスペースとなっていた。おそらく昼食を取るための、やや大きいテーブルを挟んで座る。

「望月さん、ね。二十三歳。地元もここなんですね。高校卒業後に就職……で、辞めたと」

「はい」

「何かあったの?」

「いえ、ただ、忙しくて……やりたいことが出来なかったといいますか」

「なんか将来の夢とか、そういうこと?」

「まあ、そんなところです」

「そっか。なんか、いいね。うん」

 微笑を浮かべた穏やかな表情で、和田さんはそう言った。

「まあバイトだし、うちは、是が非でも長く働いてくれなんて言わないので。合う合わないはあると思うしね」

 面接は滞りなく進み、その場で採用が言い渡され、来月の四月頭から出勤となった。学生アルバイトが複数人、卒業やら就活やらで辞めてしまったので、人手が急に不足してしまっているとのことだった。

「あ、そうだ。わりかし大事な質問なんだけど」

「ええ」

「カルピスは好きですか?」

「好きか嫌いかでいえば、好きです」


 *


 迎えた四月一日。制服、というか、アルバイトにはエプロンと帽子が支給されるらしい。派手でなければ何でもとのことだったので、無難に黒のテーパードパンツと白いワイシャツ、スニーカーで向かった。

「おはようございます」

 今日からは従業員なので、そう奥へ呼びかけた。ほどなくして和田さんが顔を見せる。

「望月さん、おはよう。次は、裏口からで大丈夫だから。メモ帳は……あるね。それじゃ早速、案内します」

 なかは広めのクリーニング屋のような構造になっている。入口にはカウンターがあり、レジがあり、お客さんの座るベンチがある。サービスはものによっては短時間で済むので、その間待機してもらうこともある。そのため、コンセント付きの小さいテーブルが三つと、コーヒーサーバが用意されていた。コーヒー以外の飲み物……アイスティーとオレンジジュースは、注文があれば別途運ぶ。

 奥に進むと、カルピス属性を付与エンチャントする工場――和田さんは作業場と言っていた――があり、基本的に僕は接客をするが、状況に応じて、作業場での手伝いもすることになるらしい。中央には三畳ほどの大きさのコンテナが設置されており、この中で属性の付与が行われる。横にはカルピス原液の入ったタンクがあり、そこから太いパイプが接続されていた。

「それで、彼女がバイトリーダーの清水さん。細かい業務内容は清水さんから教えてもらってください」

 コーヒーサーバの豆を補充していた女性が、こちらを向いた。背が高めで、スラッとしている。暗いチョコレート色の茶髪がよく似合っていて、寒色のアイラインが目立つ。

「はじめまして、清水です。よろしく」 

「それじゃあ清水さん、後はよろしくね。望月さん、ちゃんと覚えないと叱られちゃうからね。清水さん怒ったら怖いから」

「ちょっと和田さん。誤解を生むようなこと言わないでくださいよ」

 和田さんの冗談に、清水さんは笑った後、僕についてくるよう言った。

 とりあえずということで、朝一で出勤してからの行動を教わり、開店準備を終えると、時刻は九時五十分。じきに店が開く。


  *


 お昼時になり、清水さんと僕は一緒に二階へ行った。他の従業員も二人ほどいたが、お先にどうぞ、と言われた。

 扉を開けると、台所に若い男が立っていて、何やら煮込んでいるようだった。

「お疲れ。あっ、新人さん」

「はじめまして、望月です」

「よろしくねー。俺、三澤っていいます。オーナーって言っていいのかな。まあカンタンに言うと、このお店を経営してる人って覚えてもらったらいいよ。基本はどっか出かけたり、ここで事務作業してるから、あんまり会わないかも」

 和田さんは雇われ店長ということなのだろうか。属性付与はある種、職人仕事のような側面もある。資格も必要だ。小規模な店舗でも、このようにして共同経営をしてるケースも珍しくはないと思う。

「あ、あとまかない作るのも俺の仕事」

「きょうは何ですか?」

 人当たりの良さそうな笑顔でお玉を動かす三澤さんに、清水さんが問いかける。

「ロールキャベツ。いいでしょ。いまよそうから」

 二人分のロールキャベツをテーブルに出した三澤さんは、その足で鞄を引っ掴み「じゃ」といって、階段をばたばた降りていった。

「いただきます」

 美味しかった。家庭的というには少し、味が際立ちすぎている。隠し味とかそういう類がふんだんに使われているのかもしれない。しばらく黙々と食べていると、清水さんが不意に口を開いた。

「三澤さん、いくつだと思う」

「……三十代前半ってところでしょうか。三十二で」

「三十九」

「お若いですね」

「和田さんが四十二だから、そんなに変わらないんだけど、なんか違って見えるよね」

「そうですね」

「ちなみに二人とも独身なんだよ」

 ほどけてグズグズになったキャベツの切れ端を処理して、作り置きされていた麦茶を飲む。

「私はいくつに見える?」

「二十後半くらいに見えます」

「おっ嬉しい。三十ちょうど」

「お若いですね」

「望月くんは二十三でしょ? いいなあ」

 人は、あまり親しくない歳下の人間と対面すると、たいてい年齢の話しかしないものである。


 *


「うーん、今日の原液は調子悪いなあ」

 六月のある日、和田さんはタンクの蛇口から出るカルピス原液を、一匙舐めて呟いた。作業場で作られている原液の管理は、和田さんの大切な仕事だ。原液が高品質のものでなければ、属性が付与されたものも良い出来にはならない。

「そんなこともあるんですね」

「まあね。濃い目の注文が来たら、ちょっと困るな」

 幸いなことに、その日は客足もあまり無く、注文は食パン一斤に風味をつけるものと、アロマキャンドルが一点。デオドラントスプレーに香りをつけるものが数点といったところだった。このデオドラントスプレーへの属性付与は、直近では最も数の多い注文である。ソーシャルネットワークサービスや雑誌で取り上げられてから、中高生の間で流行しているらしい。

 間もなく閉店という時間になり、半端な空き時間を店先の掃除に使っていると、ワンピースを着た若い女性が現れた。

「あの、まだやってますか」

「ええ」

「属性をつけてもらいたいものがあって」

 古びた小さな鍵、だった。おそらく自転車のロックに使うものだ。

 属性付与の対象は、何も有機物に限らない。無機物を依頼品として持ち込むお客さんも少なくはないようだった。

「こちらでお間違いないですね。無機物への属性付与ということで、少々お時間を頂きます。一ヶ月を目処としていますが、進捗により前後しますので、追って連絡致します」

「わかりました、お願いします。楽しみにしてます」

 無機物への属性付与は、和田さんに一度相談する案件だと清水さんに教わったことを、その後に思い出した。彼女の寂しげで遠い目付きを拒否するのは、どうも罪な気がして、急いで請け負ってしまったのだ。おそらく大丈夫だろう。以前にも、小さな子どもからビー玉への属性付与を頼まれていたことがあったらしい。

「和田さん、新規注文です。これがお預かりした品です」

「はいはい。お、無機物か」

「すみません、確認するべきだったことを忘れていました」

「いやいいですよ。大丈夫」

 机で、鍵を採寸したり何やらメモをしたりしている和田さんに聞いてみる。

「どうして自転車の鍵なんか持ってきたんでしょう」

「……たまにあるんだ。こういうの。望月くんは最近、自転車に乗った?」

 思えば自転車なんてしばらく乗っていない。田舎暮らしはとにかく車社会で、駐車場が狭くなければ、ここへも車で通勤していたことだろう。

「いえ、ここへは徒歩ですし、買い物も車で行ってます」

「そうだよね。最後に乗ったのは?」

「高校生の時です。自転車通学でした」

「そっか。うん、古い鍵だ、これは。お客さんはある意味、この鍵自体にカルピス属性をつけてほしいんじゃない。カルピスっぽくなった鍵を、きっかけにしたいんだと思います」

 目を細めて、ひとしきり鍵を見つめた後、いつになく優しげな声で彼は言った。

「香りっていうのは特に残りやすいものでね。聴覚や視覚に関係する情報は、いずれ薄まって忘れてしまうものだけど、香りだけは、嗅げばすぐに思い出せるものなんです。お客さんにとって、自転車の鍵とカルピスの香りは、結びついた記憶なんですよ、きっと」

「カルピスの、香り」

「かくいう僕も同じで。仕事柄もう慣れきっちゃったけど、それでもやっぱりふとした瞬間に、若い頃を思い出すよ。この香りのなかにいるとね」

「和田さんもですか」

「うん。あの頃に戻りたいなあ。勢いだけで生きていられた日に、なんて」


 *


 僕らは、思い出という属性も扱っているんです――。

 少し得意げな和田さんの言葉が、やけに美しく尊いものに聞こえて、その日は遠回りをしてゆっくり歩いてから帰宅した。

 あの女性客だけじゃない。和田さんだけじゃない。僕がカルピスを飲んだのも、きっと高校生のときが最後だ。部活帰り、小さな港の横を、自転車を押しながら歩いて、程良く疲労した身体に白く甘い液体を流し込んでいた。

 店のカルピスの香りと、あの日々の潮風の香りが、頭の中を漂った。

 翌日、出勤した僕は、自宅から持ち込んだストラップを和田さんに渡した。新規の注文だと言って、レジに金を入れた。


 *


 七月中旬。夏の暑さが本格化し、注文も若干増加していた。流行に便乗して、三澤さんが割と大袈裟に広告を出したのだ。

 しかし現状、属性付与師は和田さんしかいない。彼はいつも以上に忙しなく、コンテナからやっと出てきたかと思えば、疲れ切った顔で溜息をついていた。衛生上、作業場は温度管理がされており、外の暑さとは無縁の場所だったが、それ故の夏バテみたいなものもあるのかもしれない。

 自転車の鍵への属性付与が完了し、白っぽくなった鍵を保管庫に入れて、注文した女性客に受け取り可能となった旨を連絡する。属性のついた無機物をお客さんに手渡したことはまだない。僕の出勤日に来てくれたら、喜ぶ顔が見られるのにと思った。

 そんななか、閉店業務も終わり、制服を二階のロッカーに戻していたところを三澤さんに呼ばれた。

 一応ほかの皆にも言ってるんだけどさ、と前置きして、普段どおりの軽い口調で、三澤さんは続けた。

「実は今月末に、清水さんと結婚することになったんだよね」

「それは、おめでとうございます」

「だから何が変わるってわけでもないんだけど。和田さんなんて盆休みが明けたらお祝いだーなんて張り切ってたけど。まあ、ご報告までってことで」

 店を出る際、作業場に寄って和田さんにお疲れ様ですと言おうと思ったが、どうやらコンテナのなかにいるようだった。


 *


 それからまた月日が経ち、盆休みが明けた久々の出勤日に、それは起こった。

「おはようございます」

 裏口から入り、そのまま二階へ上がるには作業場を通過する。そこで先に来ていた清水さんに呼び止められた。

「おはよう。望月くんさ」

「はい」

「店長――和田さんから何か連絡受けてない?」

 開店一時間前には、作業場にいる和田さんが見当たらないのだという。店は昨日まで、四日間の夏季休業となっていた。その間も和田さんと連絡をとっていた人はおらず、状況が全く分からないとのことだった。

 肌の焼けた三澤さんは従業員を集め、臨時休業とするから帰っていいと指示したあと、和田さんの自宅へ向かった。幸い、今日が引き渡し日の品は無かったので、個別に謝罪の電話を入れる必要もない。

 帰っていいとは言われたものの、店の施錠は毎回和田さんか三澤さんが行っている。清水さんを含めこの場にいる者には施錠が出来ない。仕方がないので、僕が残りますよ、と申し出て、他の人達を帰した。

 普段はお客さんが座るベンチに腰掛けてスマートフォンを弄っていると小一時間が経過したが、連絡も人も来ない。とりあえず日課の掃除を遂行することにする。

 カウンター周りを済ませ、作業場へと移る。誰もいない様子に何だかそわそわしてしまい、普段出来ないことをやろうと思い立った。紙コップを持ち、タンクの蛇口を捻る。白い液体が流れ出す。水道水をだいたい一対一の割合で混ぜて、口に含む。

 やっぱこれだよな、と独り言をこぼして、掃除用具を片し、いよいよやることが無くなったとき、先月渡したストラップのことが思い浮かんだ。

 コンテナの扉は分厚く大きい。まるで防音室みたいだった。安全のため、鍵は元からついていない設計になっている。

 別に、そこまで気になっている訳ではないが、和田さんのことだから、言えばたぶん、中を見せてくれはしたのだろう。そういえば初日の退勤間際に、結晶を見せてくれたことがあった。属性付与は何も原液にものを漬け込んだりしてる訳ではない。原液をもとに精製された結晶――まるで砂のようだった――を和田さんの手によって、または放置した時間によって、同化させ、浸透させていくのだ。属性付与師による付与の痕跡を、この目で見たことはまだ無い。僅かな高揚を感じながら、扉に両手をかけた。

 重い感触のノブを引くと、言葉通り堰を切ったように、大量の白く輝く砂と液体が足元をさらった。煙が舞い上がり、目の前が真っ白になる。

 理解が追いつかず、数秒経ってから気付く。結晶だ。これはカルピスの結晶と原液だ。眼球と鼻に若干の痛みが走る。近くにあった布巾で口元を押さえ、涙に濡れた目を瞬かせる。

 はっとして、開け放たれた扉の先に視線を移す。

 

 和田さんがいた。和田さんだったものが、そこにいた。

 丸椅子に座っている彼は、かけられた塗料が固まったかのごとく、あちこちが白色に侵食されている。身体が徐々に塩と化して、崩れていってしまう奇病が蔓延した世界を描いた小説を思い出した。

 裏口のドアを開け、換気扇を最大設定で稼働させる。もはや異物といっていいその空間を、一刻も早く霧散させたかった。

「和田さん」

 返事はない。

 裏口から差す日光を透かす、いまだぼんやりとした空気をかき分け、コンテナへ足を踏み入れる。

 さながら、霜の塊がこびりついた冷凍庫になっていた。棚には日付の書かれた付箋が貼り付けられたケースが沢山並べられている。

「……和田さん」

 直感で分かる。瞼を閉じて微笑を浮かべた彼は、もう生きてはいない。

 椅子の近くに、ファスナー付きの小さなプラスチックバッグが落ちていた。なかには紙切れが入っている。

 ――振り返ることにしました。さようなら。

 薄くよれた筆跡で、そう書かれていた。

 和田さんは、自分自身にカルピス属性を付与したのだ。

 清水さんに新生活の様子を尋ねた後、依頼された自転車の鍵を眺めた後、面接の日、僕の経歴を聞いた後。カルピス属性の和田さんは、そのときと同じ表情をしていた。

 

 外から蝉の鳴く声が流れ込む。あの頃の潮騒が、脳を揺らす。

 むせ返るほどの、甘く爽やかな香りのなか、僕はただ立ち尽くしていた。

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カルピス属性付与店の夏 村井篤浩 @ts-train

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