「父は娘が心配すぎる」
私の名は小野雅治。東京在住52歳。警視庁捜査一課の刑事だ。今まで、数々の難事件を担当し、その多くを解決に導いてきた。仕事柄、様々な心労を抱えているのではないか、そう思われることも多いが、仕事は仕事、慣れてしまえばそう辛くはない。
そんな私にも一つだけ、心配なことがある。それは高校2年生の娘ゆみ子のことだ。
実は先日、私が家に帰るとゆみ子がとても落ち込んでいるようだった。リビングのソファーに体育座りして、顔を膝にうずめて、何かをブツブツとつぶやいていたのだ。
私は刑事だ。ゆみ子の異変に私は事件の香りを感じたのである。そこで、私は刑事として、いや、彼女の父親として、自らにできることをしようと考えた。
「ゆみ子、何かあったのか」
彼女の話を聞くこと、それこそが私の役割。
「父さんには関係ない」
彼女は顔すら上げず、そうつぶやいた。私は、私は彼女の父親として果たすべき役割を……。
本人が直接話さないと言うのなら作戦変更だ。その週の土曜日、私は出かけると言って家を出たゆみ子を尾行した。
彼女は、まず駅前のデパートに行って洋服を物色しているらしかった。彼女に気がつかれぬよう十二分に距離をとって見ていると、彼女が白いブラウスをカゴに入れたのがわかった。そして、次は水色のロングスカートを手にした。ご試着なさいますか? 店員さんが声をかける。あ、じゃあ、そうします、とゆみ子が応じる。そして、ゆみ子はブラウスとロングスカートを持って試着室へ……。
少ししてゆみ子が出てきた。ああ……! あれは、往年の名作『ローマの休日』に登場するオードリー・ヘップバーン、あの姿によく似ている。
忘れもしない、あれは30年前、妻との初めてのデートで観に行った映画だ。駅前のキリン座でふたり並んで観たあの日が懐かしい。そして、新婚旅行はローマに行ったんだったな。そうか、あれから30年か。
はッ、ゆみ子は!? しまった、去りし日々の思い出を懐かしんでいたら、ゆみ子を見失ってしまった……! あ、会計を済ませて店を出て行く……! ゆみ子、次はどこへ向かうんだ。
私はデパートを出るゆみ子を追った。
ゆみ子は商店街のはずれにある美容院に入っていった。髪を、切るのか……! いや、美容院に入ったのだから髪を切るのは当たり前であるが、しかし、ゆみ子の艶のあるストレートの黒髪を切ってしまうなんて。私は男だから無論女性がどういうタイミングで髪を切るのかは承知していないけれど、しかし、髪を切るのか。
もしや、失恋したんじゃないか。
髪を切る。それは過去との決別を暗に示しているのではないだろうか。髪というのは、まさに時間の蓄積、いままでその男に注いだ時間の分、髪の毛を切り落として、新しい自分に生まれ変わろうとしているんだ。
そうだ、洋服もそうだ。ゆみ子はこれまで、どちらかというと落ち着いた色というか、暗い色の服ばかり着ていたような気がする。でも、さっき買ったまさにオードリーのような服装は、それらとは大きく違う。爽やかで明るい。おそらく彼女は、洋服だけでも明るいものを着ることで、少しでも元気を出そう、そう考えているんではないだろうか。
ゆみ子、つらかったな…。もっと私が早く気がついてあげていれば、君の助けになってあげられたかもしれないのに。でも、もう今の君は、昨日までの君じゃない。髪を切り、素敵な洋服を手にして、過去の自分とはさよならした新しいゆみ子なんだ!
突然携帯に連絡が入った。どうやら、事件が起きたらしい。私は行かなくてはならない。私は警視庁本庁へと急いだ。
私は部下の田中君と共に警視庁地下の駐車場から覆面パトカーで現場へ向かった。
「田中君、『ローマの休日』って知ってるかい。まあ、若い子は見たことないだろうな」
「知ってますよ、あれですよね、ヨーロッパの国の王女様がホテルを抜け出して新聞記者の男とローマ観光するやつ」
「田中君、それ違う映画と間違えてるんじゃないか? 『ローマの休日』は失恋した田舎の娘がローマに感傷旅行に行く話だろう?」
「えぇ? それ小野さんがなんかの映画と間違えてますって」
「そんなことあるわけ……、あるわけない」
そんなことあるわけ、ないだろう。思い出の映画なんだから。
【今回の余談】
雅治 「『ローマの休日』観にいったよな」
洋子(妻)「観にいってません。他の女の子じゃない?」
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