「映画館に行く」

「さて、今日は何して遊ぼうかしら」


 その日の授業が終わって時刻は午後4時。初夏の爽やかな風が吹く中、僕とゆみ子さんは学校から駅の方へ歩いていた。


「ゆみ子さん、カラオケとかどうかな」

「映画を観に行きましょ」


 かくして、その日の放課後デートは映画を観に行くことになった。


 彼女は立ち止まってスマホで何か調べはじめた。


「今日やってる映画は……」

「あ、僕、『名探偵ピカチュウ』観たいんだよね、まだ観てないだ」

「『ローマの休日』にしましょ」

「ローマの休日!?」

「高橋君、『ローマの休日』知らないの?」

「観たことはないけど、僕だってタイトルくらいは聞いたことあるよ」

「あのね、高橋君、『聞いたことがある』って言うのは『知ってる』に入らないのよ。『ローマの休日』っていうのは、1953年に制作されたローマが舞台のアメリカ映画。オードリー・ヘップバーン演じるヨーロッパ某国のアン王女が親善旅行でイタリアに立ち寄った際、宿泊先のホテルから抜け出して、新聞記者の男と一緒にローマ見物に……」

「いや、ちょっと待ってゆみ子さん、ストップ、ストップ! あのさ、そこまで内容把握してるなら観る必要なくない?」

「いい、高橋君。古典的名作というのは何度観てもいいものなのよ。それに高橋君の文化的教養を養うのにいい機会じゃない」


 彼女に文化的教養を養われる男……。まあ、ゆみ子さんはそうと決めたら何言っても聞かない人だもんな。


「わかった、『ローマの休日』観に行こう」


 でも、そんな古い映画、映画館ではやってないんじゃないか? そうしたらTSUTAYAでレンタルして、もしかして、ゆみ子さんの家で鑑賞会……!? というのも、僕はまだ彼女の家にお呼ばれしたことがないのである。


「それで、ゆみ子さん、どこで観るの? 古い映画だったら映画館じゃ、上映し……」

「してるわよ。上映してるから観ようって言ってるんじゃないの」

「へ?」

「名画座って知らない? 新作ではなくて昔の名作を流すような映画館。駅前の『キリン座』で午後5時からの回があるわ」

「そ、そっか、ちょ、ちょうどいいね」


 僕はいつになったら彼女の家の敷居をまたげるのだろうか……。




 キリン座の劇場の中は案外賑わっていた。たださすがに僕らのように高校の制服で劇場に来ている人はいなかった。


「それにしても、ゆみ子さん、昔の映画を流すのに、こんなに人が集まるんだね」

「当たり前よ、DVD借りて家で観たってつまらないじゃない。映画館の大きいスクリーンで観ることに意味があるのよ」

「なるほど……」


 しばらくして場内は暗くなり、いくつかの映画の宣伝の後、白黒画面の『ローマの休日』が流れ始めた。




 キリン座を出た途端、彼女は言った。


「それほど面白くなかったわね……」


 あんたがそれを言っちゃダメでしょ!


「私、なんで『ローマの休日』なんて観に行こうって言ったのかしら」


 ほんとだよ!


「映画なんて何度も観るもんじゃないわね」


 古典的名作は何度観てもいい、とか何とかおっしゃってませんでしたか!?


「なんというか、割と普通のストーリー展開よね。高橋君はどうだった? 初めて観たわけだし」

「え?」


 正直なところ、めちゃくちゃ面白かった、ヤバかった、最高! ってほどでもなかった。でも、別に退屈ってこともなかったし、まあ、それなりに面白かったけど……。


 え、これなんて言うのが正解なの、「それほど面白くなかったわね……」って言ってる人に「めちゃくちゃ面白かった、ヤバかった、最高!」とか言えないし、逆に「うーん、それほどでもなかったかな」とか言ったら「高橋君が観たことないって言うかたら連れてきてあげたのに。普通嘘でも面白かったって言うものよね」とか言って、ここぞとばかりに言葉の槍でエイエイ突いてきそうな気もするし。


 うーん、あ、そうだ。


「僕は、オードリー・ヘップバーンに惚れちゃったな」

「え?」

「オードリー・ヘップバーンのことはもちろん、聞いたことはあったけど、やっぱり『聞いたことがある』だけでは知ってるうちには入らないんだな。あれほど魅力的な女優だったとは思わなかったよ」


 映画の感想、それは決してストーリーの面白さだけではない。出てくる俳優や女優の巧拙に関する議論も立派な映画の感想として機能するのである。


「僕はもうオードリーにぞっこんだよ、ぞっこん。なんでもっと早く彼女の魅力に気がつかなかったんだろう。美しいし、かわいいし、もはや愛おしいと思える」


 そして何より、こんな感想を聞かされたゆみ子さんは……。


「何がオードリーよ」


 ほら来た。


「別にゆみ子さんと比べてるわけじゃないんだよ。僕は単に女優としてのオードリーの素晴らしさに気がついたと言っているんだ」

「そりゃそうそうよ。映画なんてのは、スクリーンに映し出された白と黒のシミでしかないのよ。現実に存在する私と虚構の幻影を一緒にしてもらっては困るわ」


 白と黒のシミ! 虚構の幻影! 文化的教養とは……!?


「ゆみ子さん、もしかして妬いてるの?」

「高橋君、馬鹿なことを言うのね。戯言ばかりほざいていると別れるわよ。それにね、映画のオードリーはとてもいいファッションをしているの。さすがハリウッドの衣装部は優秀ね。今日は制服だけど私だってああいう服を着ればオードリーなんて目じゃないわ」


 ゆみ子さん、めちゃくちゃ動揺しているぞ……。


「そうね、高橋君。次の日曜日、楽しみにしていなさい」

「た、楽しみにしています」


 こうしてこの日はお開きとなった。僕はゆみ子さんに対して少々やりすぎたと反省しつつも、密かに日曜日が楽しみなのであった。




【今回の余談】

高橋 「……。(名探偵ピカチュウ観たかった)」

ゆみ子「……。(名探偵ピカチュウにすればよかった)」


【次回】

「父は娘が心配すぎる」

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