「スーパー銭湯に行く」後編
スーパー銭湯のお食事処で「ゲームをしましょ」と持ちかけてきたゆみ子さん。彼女は一体何を目論んでいるのだろうか……。
「ゆみ子さん、それでどんなゲームをするの?」
「高橋君が目をつむって刺身を食べて、なんの魚か当てるゲーム」
「ん?」
「何、不満?」
「いや、普通に何そのゲーム。というか、プレーヤー僕ひとりなの、おかしくないですか。それに目つむって刺身食べるって結構難しいよね」
すると向かいに座っていたゆみ子さんは、おもむろに隣の席に移動してきて僕の耳元で静かにささやいた。
「私が口まで運んであげるから、いいでしょ」
ゆみ子さんの指示通り目をつむって待っていると店員さんの声とお皿が置かれる音がした。どうやら刺身の盛り合わせがテーブルまで運ばれてきたようだ。
「高橋君、言い忘れてたけど、もしこのゲームにあなたが全て正解できたらこれからもずっと愛してあげる。その代わり、ひとつでも間違えたら私たちは終わり、お別れよ」
そんな大事なゲームなのこれ!?
「それから薄目で見てたりしたら、ズルってことで一発アウトだから気をつけてね」
そんなのちゃんと目をつむっていても、ゆみ子さんが「高橋君、ズルしてたでしょ」って言ったらズルしてたことになっちゃうよね!? ゆみ子さんの意のままじゃん!
なるほど、僕は気がついた。
これは完全な出来レース。最初から勝敗は決まっているんだ。彼女は僕と別れたいと思っているものの、そのきっかけを見つけられずにいる。だからこうしてゲームと称し、別れる口実を作ろうとしている。
だが!
この勝負、負ける気がしない! ゆみ子さんは知らないようだが、僕の祖父母の家は千葉県銚子市にあるのだ! 銚子港は日本一の水揚げ量を誇る港であり、しかも祖父はそこの元漁協職員である! 家族で祖父母の家に遊びに行けば必ず魚、魚、魚と飽きるまで魚を食べるこの僕がこんな勝負に負けるはずがないのである!
そして、さらなる秘策が僕にはある。
「ゆみ子さん、僕の首にかかっているタオルで目隠ししてくれない?」
「え、うん、わかった」
こうすれば、ゆみ子さんの必殺奥義「高橋君、ズルしたでしょ」を封じることができるのだ! ただ、これ、周りから見たらめっちゃヤバいカップルだよな……。だが、背に腹はかえられない。
「はい、できたわ。ゲーム、はじめるわよ。3本勝負ね」
さあ、来い。僕は全神経を舌に集中させて口に刺身が運ばれてくるのを待った。
「ヒェッ」
冷たい何かが僕の頬をなでた。
「あ、高橋君ごめんなさい」
「いや、わざとだよね!?」
「人の口に運ぶの慣れてなくて……」
気をとりなおして……。今度はちゃんと口に運ばれてきた。僕は鼻に抜ける香りや舌の上で溶ける感触をしっかりと確かめた。
フッ、簡単!
「これはマグロ」
「じゃあ、次に行くわ」
「答えは!?」
「全部終わってから発表するから」
「はあ」
「さ、次は」
「あのゆみ子さん、もしよろしければ、醤油を軽くつけてくれるとうれしいんだけど」
彼女が口に運んできてくれたマグロ(と思しき何か)には醤油がついていなかった。醤油なしの刺身は流石にちょっとつらい。
「わかったわ。はい、今度はちゃんと醤油をつけました。さあ、どうぞ」
今度はなんだ、なんの魚だ……。うっ、しょっぱい……。
「ゆみ子さん、しょっぱいです……」
「え、だって醤油つけてほしいって言ったじゃないの」
「僕、軽くって言いませんでしたっけ?」
「あなた、軽いとか重いとか、そういうのは人によって変わるの。恨むなら曖昧な指示を出した自分を恨みなさい」
まったく意地が悪すぎる。とはいえ、僕だって伊達に漁業関係者の孫はない。
「カツオ」
「次」
さあ、最後の問題。
「はい、口開けて」
来た……。ん……!
「ううう…。かりゃい……。辛いよこれ!」
やりよった。ゆみ子さん、やりよったよ。強烈に鼻に来るツーンとした辛さ。
「え、どうしてかしら」
「どうしてって、これ絶対わさび大量にのせたよね!?」
「さあ」
僕は手探りでお冷やを手にし一気に流し込んだ。見えないのをいいことにこんなことをするなんて。ゆみ子さんはどこまで僕をいじめれば気が済むんだ……。
「それで答えは?」
はっ、しまった、わさびの辛さから逃れるためにお冷やで刺身もろとも飲み込んでしまった! ゆみ子さんの方が一枚上手だったか……。いや、諦めるな高橋。推理しろ高橋。マグロ、カツオと来たら、あと何がある? サーモン、カンパチ、ハマチ、サバ、タイ、ダメだ、絞れない。
「で、高橋君、答えは?」
クソッ! わからない、こうなったらもう運に任せるしかない!
「サーモン!」
僕がそう言ったあと、しばらく沈黙が続いた。
「ゆみ子さん?」
「正解、全問正解」
「ほんと!? やった、よっしゃ!」
「目隠し外していいわよ」
勝った、勝ったぞ、母ちゃん! 僕は恋人の悪質極まりない意地悪に打ち勝ちました! 僕は嬉々として目隠しのタオルを外した。
「あれ?」
目の前のテーブルにあったのは、マグロ、カツオ、そして、ブリと思しき刺身たちである。おかしい、どこにもサーモンはない。僕が食べてなくなってしまった可能性もなくはないが、ゆみ子さんが食べていた気配もないし、サーモンだけ一切れだったなんてこともないだろう。それに何よりブリがそこにあるじゃないか。
「ゆみ子さん、本当に最後のサーモンだった?」
「え、私が信じられないの?」
「いや、でもこれどう見てもブリの刺身じゃ……」
僕がそう言うと彼女は静かに立ち上がり、僕の耳元でこうささやいた。
「とにかくあなたの勝ち。これからもずっと愛してあげるわ」
そんなこんなでその日の"ゲーム"は幕引きとなった。僕は帰りの送迎バスの車内で、うとうとしているゆみ子さんを横目で見ながら、なぜ彼女は僕が勝ったことにしたのだろうか、と考えた。
彼女はやはり不安なのか……?
朝の"怪文書"、そしてさっきの"ゲーム"。もしかしたら彼女の心の扉の向こうに僕との関係を心配する気持ちがあるのかもしれない。しかし、もしそうだとして、果たして僕に、その扉を開けてその気持ちを解きほぐすことができるのだろうか。
そんな難問の答えが簡単に見つかるはずもなく、間もなくバスは駅前に到着した。
【今回の余談】
高橋 「最後の刺身、あれ実際なんだったの?」
ゆみ子「あれはね、エビ」
高橋 「エビ!?」
ゆみ子「殻付き」
高橋 「殻付き!?」
【次回】
第3話「映画館に行く」前編
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