09 ゆめのあと先

 久しぶりに夢を見た。


 今はもういない人たちがそこにはいて、今はもう見ることができない笑顔を向けてくれる。

 名前を呼んでもらえる。

 手を伸ばせば彼らに触れることさえできる。

 他愛のない話をして、何気ない生活を営み、ただ彼らとともにいることができる。

 現実ではもう繰り返すことのできない、ささやかだけど幸せな時間がそこにはあったのだ。


 夢だとわかっていた。

 けれど、楽しい夢。

 けれど、幸せな夢。


 あまりに幸せで、もう目覚めたくないと思うくらいには、幸せな夢だった。

 この時間と空間にこそ、自分が望んでいた全てがあったのかもしれないと思うくらいには。


「ねえ、ここに居ようよ」

「ずっと一緒にいてよ。ここならそれができるんだよ」


 夢の住人たちは自分を望んでいて、自分も彼らを望んでいる。

 ここには永遠がある。

 それを振り切ってまで目覚める必要が、何処にあるというのだろう。

 心地よい微睡みから抜け出すのは、つらく苦しいものなのだから。



――でも、夢はいつか覚めるものだ。


 ならば何故今その言葉が浮かんだのか。自分でもわからなかった。

 しかしその言葉は心の中に忽然と現れたのだ。袖を引かれて立ち止まっていた心に走る、稲妻のように。


「ああ、ごめん皆。もう、行かなくては」


 彼は引き止める人たちの手を振り払って歩き始めた。


「どうして」

「どうして」

「どうして」


 悲しげな声が追いすがってきても、歩みを止めることはない。

 夢はいつか覚めるから、夢なのだ。


「でも、心地よい、いっときの微睡みをありがとう」


 楽しい夢だった。

 幸せな夢だった。

 ああ、良い夢を見たなと言って目覚める、それが夢というものなのだ。



 夢の世界から抜け出した彼は、少しの寂寥と痛む心と、優しい満足感を抱いていた。

 生きていればまた夢を見て、夢の中でならまた彼らに会うこともできるかもしれない。

 なくしたものは二度と戻ってはこないけれど、心の奥の深いところにずっと残って眠っている。


 夢の傷痕をひと撫でして、彼は現に対峙する。

 生きねば。

 次は、未来を夢見るために。

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