被害者に吊るされた男(ハングドマン)⑨

「いやぁ、今回の個展も大成功だったよ、レセント先生」

 金歯を光らせながら、男は笑った。


「いえいえ。ゴリニさんのおかげですよ」

 レセントはゴリニに微笑みかける。その顔はどこか淋しげだった。


「光る絵、これからもどんどんお願いしますよ!」


「……わかりました」


「では私はこれで」


「あ、あの……」


「なんです?」


「以前買い取って頂いた、光らない絵ですが……あれは……」


「ああ、あれね! あれも売れましたよ。ええ」


 ゴリニは営業スマイルを見せて、そのままそそくさとレセントの家から出ていった。


「……」

 レセントは絵筆を置いて、窓の外を見る。

 掃除屋が荷車を引いて歩いていた。道具を沢山積んでいるのであろうその荷車をぼんやりと眺めながら、画家は再び絵筆を取り、何となしにその掃除屋の絵を描き始めた。


 夜風が窓の隙間から吹き込む。

 レセントはため息をつき、ゆっくりと通り過ぎていく掃除屋を脳裏に焼き付けた。


「やっぱり、ただの絵には……価値は無い、か……」


 静寂が支配する郊外の夜に、絵筆の擦れる音だけが、静かに響いていた。



 数日後、ゴリニが折入って話したいことがあると言い、レセントは城下町にやって来ていた。

 買い物もほとんど近くの村で済ませていたレセントが城下町に来るのは、数年ぶりの事だった。

 街には緩やかな空気が漂っている。つい先日、王自らが出兵したとは思えない……緊迫感の欠片もない街。


「相変わらず、日本みたいな雰囲気だな……出来損ないのファンタジーアニメみたいだ」


「ニホン、か……」

 思わず呟いたレセントに応えた男の声。レセントは驚いて辺りを見回す。しかし、広場には人が多く、誰が応えたのかは分からなかった。


「どうしたんだい、レセント先生。キョロキョロして。待ち合わせ場所はここで合ってますよ」

 レセントが振り返るとそこには、ゴリニと、見知らぬ男が立っていた。


「初めまして。パクノダ・トゥーサックと申します」


 ゴリニが連れてきた男は落ち窪んだ目を細めて微笑む。男はこの街の平和な空気とそぐわぬ、言いしれぬ不穏さを醸し出していた。


「どうも……」

 レセントは無意識に、ひきつった微笑みを男に向けた。


「で、トゥーサックさんに私を紹介して、次は何を企んでいるんです? ゴリニさん」

 何時までも妙な表情のままでいる訳にはいかないと気持ちを切り替え、レセントはゴリニの方を向いて問いかける。


「いやぁ、それがね。トゥーサックも元画家でしてね。旅先でレセント先生の事を聞いたとかで。私なら画家の事を知ってるってんで声をかけられまして。こうして顔つなぎに来たってだけです。じゃ、私は仕事があるんで」


 そう言うとゴリニはさっさと立ち去っていった。


「相変わらず、金にならん事に興味のない男だ。言葉遣いを稼ぎの如何で分けるのも、奴らしい。さて、立ち話もなんですし……」

 そう言ってトゥーサックは近くのカフェを指差した。レセントはそれを見て思わず鼻から息を漏らす。

 まるでカフェが当たり前に中世ヨーロッパ風のファンタジー世界に存在する違和感。それは、異世界人がこの二百年で築いた文化だ。



「エルリック・ヤーゴから伝言を預かっていましてね」

 席につくなり、よく知った名を出されてレセントは軽く緊張する。


「エルリックが?」


「ええ。トンブライで大きな戦争が起こるので、南回りで西に逃げろ、と」


「大きな戦争、ですか」


「この国も戦火に巻き込まれると言いたいのでしょう。ただ……」


「ただ?」


「いえ。なんでもありません。王は既に出立しています。不死身の肉体を持つダモア王や英雄プインダム将軍が死ぬとは思えませんが……彼らが不在のうちにここが攻め込まれないとも限らない。レナルヴェートの北、ミドスの国を抜けて西のパネロースあたりにでも逃げるといい。奴隷開放を謳う、あの国にね」


「なぜ、奴隷の話を……?」

 レセントの背中に、冷たい汗が流れた。自分が日本人であることが、知られている。


「エルリックは何も言ってませんよ。私は、旅先であなたの絵を見た。あれは魔法絵画の描き方じゃあない。なのに絵は美しく光る。それがあなたの異能……つまり、異世界人ということだ」

 トゥーサックは口端を少しだけ持ち上げる。それは先程までの怪しげな笑みではなかった。師が弟子を褒める時の様に、その不健康な瞳には、優しい光が灯っていた。


「……くだらない力です」


「確かに」

 トゥーサックは即答する。


「確かにくだらないが、あなたの絵は素晴らしい。なのに貴族どもの流行りではないというだけで、売れなかった。そうでしょう?」


「それは……」


「私もそうだった。いくら描いても売れず、妻は出ていき、娘は病に倒れた。そして、贋作絵師になって……あと少しで娘の病気が治るというところで……悪魔に娘を殺された」

 トゥーサックの瞳からは、先程までの優しげな光は完全に失われ、深夜の井戸の中よりも深く昏い色をレセントに見せつける。


「悪魔……」


「そう。アーノルド・ボウ……あの男は悪魔だ。娘は……奴が人を殺すところを見てしまった。それで殺されたんだ。必死に……必死に生きたいと願っていた娘が……あんなやつに……」

 トゥーサックは涙を溢した。


 しかし、その表情はまるで道化師のメイクの様に、満面の笑みを浮かべていた。


「……」

 レセントは言葉を失う。


「すいません。さて。私は行きます。あなたも早く逃げるといい。できれば、これからすぐにでも」


「……あんた、そのアーノルドってやつに復讐する気なのか」

 立ち上がったトゥーサックに、レセントはやっとの思いで声をかける。


「復讐程度では、生ぬるい」

 そう言って、昏い瞳をした男はカフェから出ていった。

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