絶望と踊る恋人(ラバーズ)⑨

「おまたせ」

やってきたのは……スパイの男だった。


「……やっぱり、あなたが来たのね。タカシ君は?」


「彼は所用があってね。俺が伝言を預ってきたよォ」

間延びした声で答えるスパイ。


「伝言?」


「あァ……そうさ。奴は、あんたの事なんて忘れたから、会いたくないってヨ。ククク……残念だったねェ……」


「嘘よ。タカシ君も、私の事を思い出していたはず」


私がそう言った瞬間、スパイの男は懐からナイフを取り出した。どうやって持ち込んだのかはわからないけど、この男も何かの異能を持っている事には違いない。

私は冷静を装って絵を描き続ける。この絵さえ、上手く描けたら……


……それまでの辛抱だ。なんとか、時間を稼ぐしかない。


「そんなチャチな武器で、私を殺せるとでも?」


「ヘヘヘ……アンタ、強力な魔法を使うらしいじゃねえか。だが俺のチカラの方が上だ」

男は不敵に微笑む。


「そう? 試してみる?」

私は乾いた絵筆を逆さに持って、柄の先端を男に向けた。


「いやいや……アンタ。強力な魔法が使えるなんて、嘘だろ?」


「いいえ。使えるわ」


「フン……」

男はナイフを構えたまま、じりじりと近付いてくる。


「あまり近付くと、燃やし尽くすわよ」


「へへっ。俺の異能は、このナイフを瞬時に巨大化するチカラだ。炎魔法なんて、使われる前にアンタは真っ二つだ」


「じゃあ、すぐに使えばいいじゃない」


「いや。いつでも殺すことは出来る。だがな。俺は一つ、どうしてもアンタに確認したい事があるんだ」


男の知りたい事とは、私……いや、レイ姫が復活した理由だろうか。恐らく五大国はカムラ様の跡継ぎが途絶えたという情報を持っていたはず。そんな中、突然のレイ姫復活の知らせだ。どの国もスパイを送り込んだに違いない。さらに、私とタカシ君の関係……異世界人とのつながりというスキャンダル。


この男の目的は、ガリリュースを内部崩壊させる事だろうか。それなら、この男の任務は失敗だ。私が影武者とバレようが、レイ姫が異世界人と恋仲にあろうが、カムラ王の体制は崩れない。彼の代わりなど、この世のどこにもいるはずなどないのだから。

それこそ、カムラ様には跡継ぎなどいなくても、不老不死となって国を維持する事すら出来る様な気がしている。


こんな見当外れのスパイは適当にあしらって、衛兵が来るまで耐えるのが賢明だ。既に、連絡用の魔水晶は起動してある。


「私に何を聞きたいの? はっきり言って、私はただの箱入り娘よ。王からは何も継承していないの」


「そんな事を聞きたいんじゃねえんだよォ……俺が聞きたいのは、カムラとモーニ・プラスの事だ」


「王と、モーニ先生の?」

つい先日、亡くなったばかりのモーニ先生の事を知りたい……? この男、何を知っているのだろうか。


「言っておくが、モーニ・プラスが死んだことは知ってるぜ? 塔を燃やしたのは俺だからな」


「なっ……」

こんな弱そうな男がモーニ先生を? あり得ない!


「あんたの先生はな、情けない声で助けを求めながら、あっけなく燃え尽きたよ……ククク……」


「嘘よ! モーニ先生が、あんたみたいなやつに負けるはずが無いわ!」


「だからさァ、モーニ・プラスがいくら強くたって、俺の異能にかかりゃザコだよ。いやぁ、大したことなかったな」

男は手元のナイフをクルクルと回しながら鼻歌を歌う。


「……」

私は休まず絵筆を動かす。


「……こんな時だってのに、アンタは絵を描くのをやめないんだね」


「こんな時だからよ」

モーニ先生が亡くなる前……彼を見つけたその日から描き続けてきた絵が、もうすぐ完成しようとしていた。


あとは……瞳の色を重ねるだけ。

美しい、鳶色の瞳を。


「アンタの絵、怪しいね……それがアンタの魔法かい?」


スパイの男はゆっくりとナイフを持たない方の腕を持ち上げ、キャンバスを指差してつぶやく。


「まるで、異世界人の異能みたいだ」


「……」


「フン……まあいいや。俺が聞きたいのはサ。モーニのやってた人体実験と……カムラの魔力の事さ。カムラはもう、まともに魔法を使えないんだろう?」


「何を言ってるの……?」


カムラ様が……あの大魔導士カムラが、魔法を使えないですって? それに、モーニ先生が人体実験?


「そのんまの意味さ。今のカムラは、魔法なんて使えない。そうだろ?」


「そんなはずはないわ」

カムラ様は私に何度も魔法を見せている。でも……確かに「普通の魔法」を使っているところを見ていないかもしれない。カムラ様の使う魔法はまるで……異世界人の異能だった。


「おやァ? アンタ、本当に何も知らないみたいだな。危険をおかして損したぜ。じゃ、俺はずらかるとするよ」

男は私の瞳をまじまじと見つめると、情報を得られない事をなぜか確信し、潔く諦めて踵を返した。


「ちょっと、待ちなさい!」


「待てと言われて待つ奴が……」

男がドアノブに手を伸ばそうとしたその時──


ゴトリ。


「へっ?」


──男の腕は、床に落ちていた。


まるで、最初からかんたんに取り外しの出来るフィギュアのパーツの様に、男の腕は床に無造作に落とされていた。


「お、俺の腕が……俺の腕がぁあああ!」


「騒がしい男だ」

低く通る聞き慣れた声が聞こえた瞬間、ドアが開き、男は静かになる。そして、鈍い音が私のアトリエに響き渡った。


足元を見ると、


無機質な床に、


男の首が、


落ちて、いた。


私は言葉を失う。あまりにも容易く、あまりにもあっけなく男は死んだ。

離れ離れになった腕と首は綺麗に胴体と分断され、胴体からは鮮血が噴き出している。


「……大丈夫かい? イレーネ」

カムラ王は男の血を浴びながら、優しく微笑んだ。なぜだかその笑顔は、凍りつくほど冷たく見えた。


「は、はい……」


「イレーネ。この男から何を聞かれた?」

かつて魔王と呼ばれ、今は不動王と呼ばれている男は、優しく……底抜けに優しく微笑む。


私は無意識に絵筆を走らせていた。


もうあとひと振りだけ、筆を動かせばこの絵は完成する。


今までで一番、上手く描けた絵が。


「イレーネ。何を、聞かれた?」


「あの……」

腕が動かない。あと、たった一筆なのに。


尊敬する王が。


私を救った人が。


いっときでも私を家族としてみてくれた恩人が。


今は何よりも……恐ろしく見える。


「レイ姫が生きていた理由? モーニの研究内容? それとも、君の異能か? いや……」


魔法大国の不動王は、今までで誰にも見せたことのないであろう、深い森よりも、海の底よりも昏い笑みを見せた。


「私が、魔法を使えないという話かな?」


「っ……!」

あまりの恐ろしさに、私の身体は正直に反応してしまった。


あのモーニ先生に「偽り姫」とまで言わしめた私のポーカーフェイスは、恐怖に直面した途端、まるで使い物にならなくなった。


「……そうか、イレーネ。この男にそんな事を吹き込まれたか」

カムラ王は静かに微笑み続けている。


何度も見てきた表情が、ひどく恐ろしく見える。


「あ、あの……嘘、ですよね?」

私は震える唇から、恐る恐る言葉を紡ぎだす。


「ああ。もちろんだ。この男を倒した魔法を、たった今見ただろう?」


「え、ええ……」


怖い。


「そう。私が魔法を使えないなどと……」


怖い。


「そんな事を考える者が……」


怖い。


「一人として、存在してはならない」


私は最後の一筆をキャンバスに入れる。


直後、私の視界は一瞬にして落下し、眼前には尊敬した男の靴だけが見えていた。その靴はくるりと振り返り、去っていく。


最期に私の視界に飛び込んできたのは──


また、靴。


ただしそれは、よく見慣れた足と靴。


──愛した人の、足元だった。


人として生きた私の記憶は、そこでぷつりと途絶えた。


◆◆◆◆◆


【恋人】入間夏美(イレーネ・ナッツィオ)。彼女に与えられた暗示は──


 ──出会いと恋、そして、裏切り。


 〜絶望と踊る恋人 完〜

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