被害者に吊るされた男(ハングドマン)⑧
男は『掃除屋』を名乗っていた。
ある時は掃除が苦手な主婦の部屋を。またある時は、街が処理しきれない下水道を。
男は、何の掃除でも引き受けた。
汚れの掃除を、ゴミ掃除を、害虫駆除を、害獣駆除を。
そして──
「あら、トムさん。今日はどこのお掃除?」
太った中年女性が、男に話しかける。男は荷車を引いて歩いていた。
「おはようございます。今日はね……ちょっと大変なお掃除なんだ。一日がかりの仕事になりそうで」
トムは苦笑いを浮かべながら頭をかく。
「そんな大がかりなお仕事も、ひとりでやるの? 大変ねぇ」
女性は心配そうに、トムの引く荷車を見て頬に手を当てる。荷車の大荷物には布がかかっており、そこから木の柄がはみ出している。
「やっぱり、私が自分で全部やらないとね。他人に任せたところに粗があっては、お客様に信用してもらえませんから」
トムは女性に微笑みかける。
「さすが、プロは違うわねぇ。私もまた、お願いしようかしら。暖炉のお掃除」
「喜んで煤まみれになりますよ」
「あらやだ。そんなに汚れてるかしら? ふふふ。じゃ、頑張ってねぇ」
女性と別れたトムは、その後も数名に声をかけられつつ、目的地を目指す。
半日かけてたどり着いたのは、森の中の大きな屋敷。どの領地も持たず、表立った交流も無い……見た目だけを貴族の屋敷風に取り繕った様な屋敷。今日は、ここを掃除する。
「やっと着いたな……」
トムは荷車からはみ出した木の柄を掴んで引き抜き、地面に突き立てる。そして、荷車の布を外すと、そこには、荷車いっぱいの……
……爆薬。
「さて。これでどこまで〝掃除〟できるかな」
トムは荷車に布を結び直し、足で押しやると、すかさず呪文を唱える。彼の手から突風が吹き、布が風を受けて荷車を加速させる。荷車は金属の格子門を突き破り、真っ直ぐに邸宅の正面玄関へ走っていく。
「おや、結界もないとは不用心だね……」
トムは薄く微笑むと、さらに風魔法。豪邸の庭を、突風が吹き荒れる。
荷車に気付いた庭師が、驚いて声を上げる。
中から衛兵の様な鎧姿の男たちが出てくる。幸い、魔道士や弓使いは居ない様だ。衛兵達は慌てふためきながら荷車を追ったり、受け止めようとするが、荷車の勢いは止まらない。
衛兵を振り切り、撥ね飛ばし、荷車は真っ直ぐに進んで、正面玄関を突き破る。
トムはタイミングを見計らい、指を鳴らす。
荷車の底に仕掛けられた魔法陣が光る。
「ボン」
トムの呟きと共に、邸宅が大きく揺れる。部屋の窓から、火が噴き出す。
ガラスの割れる音、鍋が落ちる音。皿が砕ける音。怒鳴り声。悲鳴。
様々な〝音〟が、鳴り響く。
トムはその音を聞き分ける。
「ターゲットは……残念、生きてるな」
トムはそう呟くと、突き立てた木の柄を地面から引き抜いた。
先端には刃物。
「さて、始めますか」
──人間駆除を。
翌日。
トムはまた荷車を引いて歩く。
「あらトムさん。今日も大掃除? 昨日だけじゃ、やっぱり終わらなかったのかしら?」
昨日も声をかけてきた婦人が、心配そうにトムに話しかける。
「いやいや。昨日のぶんはきちんと終わってます。今日は別のお宅でしてね」
「さすがねぇ。そうそう、聞いた? 遠くの森の中のお屋敷で、大火事が起きたんですって。街から随分離れているから、誰にも気付かれなくって、みんな焼け死んでしまったそうよ……悲しいお話ねぇ」
「それは気の毒に」
「だからトムさんもお掃除中は、火元に気をつけてね」
「はい、ありがとうございます」
トムは荷車を引く。今日は、定期的に依頼をくれる相手の、家の掃除だ。バケツに洗剤、ブラシに雑巾。掃除道具一式を引いて、目的地を目指す。
たどり着いたのは、街の中心にある、古い家。
「掃除屋のトムです」
中から現れたのは、腰の曲がった、年老いた男。
「いらっしゃい……」
老人は微笑むと、トムを中に招き入れる。
「ガトーさん、いつもご依頼、ありがとうございます」
「あぁ……いつも通り、頼むよ」
ガトーはトムにそれだけ告げると、暖炉の前のロッキングチェアに座る。
トムは掃除を始める。いつも通り、キッチンの汚れを落とし、洗濯をして、風呂を磨く。
そして、居間の掃除にとりかかる。
「最近、ふと思うんだ」
ガトーが独り言の様に呟く。
「何をです?」
トムは窓を拭きながら相槌を打った。
「私がもし、生まれつき現世の人間だったら、君は私の依頼を受けてくれていたのだろうか、と」
老人は、ロッキングチェアの上で静かにゆっくりと揺れている。
「私の掃除には、貴賎も無ければ、現世人も異世界人もありませんよ、カトウさん」
「そうだったな。トム……いや、ハリー」
「……そういえば今度の依頼……〝周辺掃除〟は要らないって聞きましたが……良いんですかね?」
ハリーは依頼内容を改めてカトウに確認する。
「いいんだ。そもそも今回掃除してもらうのは……珍しく〝一部屋〟でね」
「だとしても、周辺も掃除しなければ、足がつくのなら……」
「いや、相手は異世界人だ。周辺なんぞ、無い」
「カトウさん、貴方……」
ハリーは目を見開いて驚いた。カトウが同胞の〝掃除〟依頼をするのは、初めて依頼を受けた10年前から今までで、初めての事だったからだ。
「ついに、この日が来てしまったよ……」
「王からの、依頼ですか?」
ハリーはテーブルを拭きながら、カトウの顔を見た。カトウは、穏やかな表情を崩さなかった。
「いや。現世人の画家からの依頼だ。表向きはな」
「……『掃除屋カトウ』ともあろうものが、ポリシーに反する依頼を、どうして断らなかったんです?」
「……断れば、この国に災いを振りまくからだ。今回の汚れは、かなりしつこい」
「分かりました。細心の注意を払います」
「気を付けてくれよ」
「……随分、心配しますね」
ハリーは怪訝な顔になる。彼は今まで、カトウからの依頼を、一度も失敗した事などなかった。掃除した中には、魔道士や剣士もいた。ハリーはそれでも、失敗する事はなかったのだ。
「ハリー、君は身体能力、魔法……どれをとっても今までの『掃除用具』の中でも天下一品だ。それに、その〝耳〟は唯一無二。どんな依頼を受けようと、失敗するはずもない。だが……今回ばかりは、それでも心配だ」
カトウはロッキングチェアから立ち上がり、ハリーの肩をつかむ。
「しくじるなよ」
「……カトウさん、私が失敗しない秘訣を?」
「……その〝耳〟以外になにかあるのか」
「自分の能力を決して過信しないのが、失敗しない秘訣です。これって案外、難しいものなんですよ」
そう言ってハリーは掃除道具を片付け、依頼書を手にカトウの家を出ていった。
「……ハリー、君はもう、息子も同然なんだ。どうか、どうか死なないでくれ……」
暖炉の炭がパチリと弾け、テーブルの天板を焦がした。それはカトウの祈りを聞き入れたかの様に、黒い十字架の形を成していた。
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