翳りゆく太陽(サン)①
俺の最初の記憶。それは、何も無い草原の、遥か上空に輝く太陽だった。
「眩しいな……」
太陽に手をかざし、光を遮る。そして俺は、自分の名前以外には、何も覚えていない事に気付く。
押し寄せる不安と孤独。思い出そうとして何度も思考を巡らせ、記憶を辿っても、そこにはただ真っ白な空間しか無かった。そして、目の前には緑の草原しか無かった。
地平線まで続く草原が、風に吹かれてざわめく。
自分の顔すら思い出せない。鏡もない。
「どこだよ……いや、それより、俺は誰なんだよ!」
俺は自分の顔を両手でベタベタと触りながら、自分の形を確認する。
「ここはどこ、私は誰……って、なんかのジョークだったよね」
自嘲気味な呟きが、背後から聞こえた。
振り返ると、そこにはスーツ姿の青年が立っていた。黒髪をオールバックにした、きちんとした身なりの、営業マン風の男。
「……そうだな。何かのジョークだったと思う。何も覚えてないけどな」
俺は草の絨毯に座ったまま、青年を見上げた。
「君、叫んだ割に、私には全然動揺しないね」
青年は軽く驚いた様な表情。たしかに、こんな訳のわからない状況の中で、俺は驚くほど冷静だった。
「……そういやそうだな。なんでかな。アンタは、この状況を作ったヤツじゃあないってのが、なんとなく分かったから、かもな」
「……実は、同じことを思ってた。そこで君が今のセリフを叫んだから、声をかけてみたんだ。一応聞くけど……君も、何も覚えていないのかな」
青年は苦笑いを俺に向ける。
「ああ。名前しか覚えていない。俺は庵野。庵野流司。アンタは?」
「千田木。千田木、涼平だ。よろしく」
千田木は俺に手を差し伸べた。
俺はその手を取って立ち上がる。尻が冷えている。気候は春だろうか。
「いい景色だ」
俺は何も考えずに、目の前に広がる光景の感想を青年に告げた。
「そうだね」
千田木も、俺と同じ方向を向いていた。
「俺たち、何者なんだろうな」
「さぁ……少なくとも、仕事仲間ではなさそうだ」
千田木は微笑むと、俺の服装を指差す。俺は、作業服を着ていた。
「俺が現場仕事で、アンタが営業。同じ会社だったかも知れないだろ?」
「ンッフッフッフッフ……確かに」
千田木は妙な笑い方をした。その笑いにつられて、俺も思わず吹き出した。
「アンタ、変な笑い方するなぁ」
「……誰に言われていたのかは、全く思い出せないけど……同じ事を、言われていた気がするよ」
「だよな……さて、これからどうする?」
俺は千田木に、何ともなしに尋ねた。
「冒険の旅にでも出ようか」
「その服装でか?」
「そうだなあ。じゃあ、まずは作業服を手に入れないと」
千田木はふっと微笑んだ。
「それがいいぜ。全く似合わなそうだけどな」
俺の顔も、自然と笑顔になっていた。
「君にだって、スーツは似合わなそうだ」
千田木も笑う。
「ま、記憶を取り戻そうにも、このまま生きていくにもこの景色だ。どこかに行かないと。だから……俺たち二人で冒険する、ってのは決定事項だな」
「そうだね。じゃあ、いつまで続くか分からないけど、よろしく、相棒」
千田木は改めて俺に手を差し出す。俺はその手を握り、歯を見せて笑った。
「いいね、相棒、って響き」
「だろ? 気が合いそうだね」
草原に風が吹く。
この物話は、全てを忘れた俺たちが、親友になり──
「もし、ここが俺達がいたのとは、別の世界だとしたら……どうする?」
「そのときは、君が勇者で、私は賢者になろう。魔王を倒すんだ」
千田木は剣を振るう素振りをした。案外、子供っぽいところがある男だ。
「俺が魔王で、お前が勇者になるかもな。いや、その笑い方なら、お前が魔王か」
「そんなに変かなぁ? 笑い方」
「いや、似合ってるぜ」
「じゃ、私が魔王になったら、一番最初に私のところに来てくれ」
千田木は腕を組んで不敵に微笑む。
「よく来たな勇者庵野よ! なーんてね」
「ハハハ……」
俺達は笑い合いながら、草を踏み、歩き続けた。
そんな日が、本当に来ることなど知らずに。
──そして、この物語は……全てを知ったアイツと俺が、袂を分かつまでの話だ。
太陽は沈みつつあった。
夕陽が、何も知らない俺たちを照らす。
いつまでも、こんな日が続けば良かった。
今では、そう思う。
そうであって欲しいと、願うくらい……いいじゃねえか。
なあ、神よ。
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