理に抗う隠者(ハーミット)③

パネロース国の城下町から少し外れた廃屋の中で、エルリックは目をさました。


「クソッ……あの野郎……モエ! モエ!?」

エルリックは柱に縛り付けられている。モエを探して声を張り上げた瞬間、彼は安堵のため息を漏らした。モエは特に拘束もされずに、エルリックのそばにあるベッドに寝かされているだけだった。幼い寝息が聞こえてくる。


「お目覚めですか……」

男が奥の部屋から現れる。


「おい、てめえなんのつもりだ! あのバーテンだろ、薬を入れたのは!」

エルリックは身体をよじって暴れるが、ロープはびくともしない。


「……落ち着いて。私は知りたい事があるだけです」

男は虚ろな目のまま、エルリックの目の前にしゃがみこむ。


「なら正直に聞けば良いだけだろ、こんな真似しやがって……」

エルリックは男から目をそらして悪態をついた。廃屋の床の木材が、動こうとするたびにギシギシときしむ。


「エルリック・ヤーゴ。異世界人レジスタンスの協力者。そんなあなたが、正直に仲間の居場所を言うとは思えません」


「……そこまで知ってて、探し人の居場所はわかんねえのか」


「私の協力者たちは、あの悪魔の様な男を恐れています。だから教えてくれなかったのでしょう」

男は疲れた苦笑いをエルリックに向けた。


「へっ。仲のよろしい事で」


「私も拷問などは趣味ではありません。ただ教えて頂ければ良い」


「……俺が知ってる奴なら、いいぜ?」

エルリックは口端を持ち上げる。


「アーノルド・ボウ。彼は今、どこにいる?」

男はエルリックを鋭い眼光で睨みつける。


「……誰だ? それ」


「とぼけるなら……仕方ありませんね」

男はポケットからナイフを取り出し、エルリックではなくモエの方を向く。


「ちょ、ちょっと待て! やめろ! モエに手を出すな!」

エルリックの抗議など一切聞き入れず、男はゆっくりとベッドに近づく。


「わかった! わかったよ! アーノルドは今はトンブライにいる!」

エルリックが応えると、壊れた人形の様に首を回して、トゥーサックが振り返る。


「トンブライ……ですか?」


「ああそうだ」


「よりによって我が祖国とは……無駄足か……」

トゥーサックは大きなため息をつく。


「あんた、トンブライの人なのか」


「ええ、まあ……」


「あの国は近々、大きな戦争を起こす。アーノルドも命がけで潜入してんだ。近づかない方が良い」


「内政にしか興味がない王が、大きな戦争?」


「ああ。ガリリュースを潰そうとしてる。アーノルドは今、世論や噂を集めにトンブライに行ってるんだ」


「なるほど……ありがとうございます。ですが、トンブライにはもともと私の家がある。帰るだけですよ」


「戦争に巻き込まれるぞ!」


「貴方、その子の事がよほど大事なのですね。戦争が起きそうな国から、遠ざかる様に旅をしているのでしょう?」

トゥーサックは疲れた顔のまま、ベッドの方を向いて微笑んだ。


「……」

エルリックは鋭い眼光をトゥーサックに向ける。


「そんなに怖い顔をしないでください。私はあの悪魔さえ始末できれば、異世界人だろうが現世人だろうが興味はありません。ナイフを置いておきます。その子が目を覚したら、助けてもらって下さい。ありがとうございます」

そう言うと男はテーブルにナイフを置き、廃屋の戸口に向かう。


「おい待てよ、アンタ、銀筆を持ってたよな。画家なんだろ? レセント・ボヘミアを知ってるか?」


「光る絵画のレセントですか。彼はあんな小細工をしなくても、いい絵を描く」

男は振り返って、何かを懐かしむ様にふっと微笑んだ。


「ああそうだ。彼に会えたら、南回りで西に逃げろと伝えてくれ」


「……会えたら、伝えておきます」


「それから……」


「なんですか?」


「アーノルドは、あんたじゃ殺せねえ。どうしても殺りたきゃ、殺し屋でも雇うことだ」


「ご忠告、痛み入ります。それでは」

そう言うと男は廃屋を出ていった。




「おい」

男が去った後、エルリックは窓の外に声をかける。


「期せずして、不穏分子を排除出来そうですね」

廃屋の中に、ローブを着込んだ女が入ってくる。


「お前の言うとおりにしただけだ。お前狙ってやってんだろ。性格悪いよな。とにかく、早くこれを解いてくれ」

エルリックは身体をよじりながら、女に不満を漏らす。


「あんまり文句を言うと、炭酸水に溺れてもらいますよ」

女は真顔のまま、エルリックの足元に両手を向ける。


「おいおい、アンタの異能に落とされたら死ぬしかねえだろ。冗談でもやめてくれ。アコ」


「私だってグリンデルからわざわざ来たんです。あまり手を煩わせないで下さいね」

アコと呼ばれた女は鼻で笑うと、エルリックの拘束を解いた。


「あー、肩凝っちまったよ」

エルリックは寝息を立てるモエを見て一安心の表情を見せ、肩を回す。


「これで世界がどう動くか……庵野さんの言うとおりに、なりますかね」


「アンノの兄貴は、ユリエさんの予言で俺らに指示してる。間違うなんて、天地がひっくり返っても起きねえさ」


「それなら、いいんですけどね……」


廃屋の窓から差し込む満月の光が、三人を照らしていた。

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