苦渋味わう皇帝(エンペラー)②

「鶯谷さーん! 今日は配達っすか?」

 若い男が、自転車に乗った壮年の男に声をかけた。現代日本で売られている様なその自転車は、この街の町長の、異能の副産物だ。


 町長縹ヶ谷はなだがやの異能は、街一つをまるごと作り出すという、あり得ないスケールのものだった。彼の力は小国の大森林の中に、秋葉原を模した街が一つ創り出した。その中にあった、誰のものとも分からない自転車は、住人たちの足として重用されている。


「ああ、有江田君。そうなんだよ。今日は妙に注文が来てね。まる一日配達だよ。ああそうだ……」

 鶯谷は自転車を止めて嬉しそうに答えると、カゴからパンを一つ取りだして有江田に差し出す。


「この間、ウチの犬を見つけてくれたお礼だ。受け取ってくれ」


「えっ! いいんすか?」

 そう言いつつ、有江田は既にパンを受け取り、食べ始めていた。


「そのパンは試作品でね。ブロルコル……いや、ブロッコリーとチーズのパンなんだ。感想を聞かせて欲しくて」

 鶯谷は美味そうにパンを頬張る有江田に苦笑いを向ける。


「うん! ブロルコルはこの世界じゃあまり食わないから、もはや珍味ですね!」

 有江田はたったふた口で食べ終えたパンの感想を言うが、良いとも悪いともつかないその内容に、鶯谷は口の端を震わせながら微笑んだ。


「美味しい……って事でいいのかな?」


「あ、はい! めっちゃ美味いっす!」


「良かった。なら今度店でも出すことにするよ。異世界人にとっては、ポピュラーな野菜だから」


「鶯谷さんも異世界人じゃないっすか。ま、今度買いに行きますね!」


「ありがとう。待ってるよ」

 鶯谷は優しく微笑み、ペダルに足をかけた。


「あ、そういえば鶯谷さん」

 有江田は突然真面目な顔になり、再び鶯谷の足を止める。


「なんだい?」


「最近、アキバ街の近くで闇魔法の使い手と庵野さんが戦ったとかなんとか。聞いてます?」


「……いや。知らないな」


「闇魔法といえばあいつですから。ほらあの……あー、ほら、あの……ま、マ……せ?」

 有江田は空を見上げて指をクルクルと回した。


「マクスウェルの……センダギかな」


「あー、それです。大国の摂政が、この近くに来て、誰に用事があったんでしょうねぇ?」


「さあね……ただ、センダギは神出鬼没と聞く。この街の場所が、特定されていてもおかしくないかもね……」

 鶯谷は少し悲しげな顔で有江田を見る。


「ああ、そりゃ困るなぁ。皆、ここの生活にゃ満足してるから……マクスウェルの侵略から逃げるために、街を動かすのは困る。ま、なにより町長に倒れられると、街そのものが無くなっちまうんですがね……」

 有江田は腕を組んで難しい顔をした。


「そういえば、ここは町長の異能で出来ているんだったね」


「ええ。ハナさんも庵野さんみたいに、不老不死になってくれねえかな。そう思いません?」

 有江田はニヤリと笑う。対称的に、鶯谷は渋い顔をした。


「……彼だって、きっとなりたくて不老不死になったわけじゃないよ。じゃ、もう行くよ」

 鶯谷は渋い顔のまま再び自転車のペダルに足をかけ、ゆっくりと漕ぎ始めた。


「パン、あざっした!」

 有江田は、走り去っていく鶯谷の背中を見送る。鶯谷は片手を挙げてそれに応えた。


 鶯谷が角を曲がった瞬間……有江田は両手から真っ白な煙を発した。みるみるうちにその姿が煙に包まれていく。


 やがて煙が晴れると、中から男とも女ともつかない、緑衣の司祭が現れた。


「ふぅ……なるほど、ね……」


 緑衣の司祭は、不敵な笑みをたたえながら、もと来た道へと歩いていく。


「鶯谷、健斗か……この街はまだまだ、楽しませてくれそうだね……」


 司祭がそう呟いたその時。


 たとぅ、たとぅ、たとぅ、と。


 路地から聞き慣れない音が聞こえ、緑衣の司祭はそちらを見遣る。


「本当に飽きないな……この街は……」


 たとぅ、たとぅ、たとぅ、と、木靴の音を路地に響かせながら歩く女性が、司祭の前に立った。


「……見間違いでなければ……変幻自在の虹魔道士……フォギア・ハロルドが私の目の前にいるわね?」

 木靴の女性は、眠たげな瞳を司祭……目の前のフォギアに向ける。


「……私自身の名が売れるのは、あんまり好きじゃあないんだよなぁ……」


 そう言うと、フォギアは後ろに飛び退いて、再び手から煙を出す。


「私は霧島。司祭霧島としてここにいたいんだよ。私を知る者は……ここに必要ない」


「あなた、思ってたよりも……軽率だねぇ……」

 木靴の女はどこからともなく、半透明のヴェールの様なものを取り出した。


「やっぱり、その木靴、包んだものを呪う術……セロファン師のクドウ、だね」


「聞くだけじゃ、分かり難いでしょ……見せてあげるよ……」


 こうして、総てを煙に巻く虹色の魔道士と、あらゆる物を覆い尽くす半透明の呪術士の衝突劇が、静かに幕を開けた。

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