生命冒涜する塔(タワー)①
陳腐な言葉を使うのならば。
まさしく、運命とは皮肉なものだ。
これは、そういう物語だ。
その少女は、とある小国の貴族家の庭先に、突然現れたという。いつの間にか庭にいたのではなく、文字通り突然、現れたのだ。
庭木は丁寧に手入れされ、清掃の行き届いた東屋、太陽の光を反射しきらめく噴水。働き手が心を込めて手入れしている事が良くわかる、美しい庭だった。
少女はその庭をぼんやりと見渡し、首を傾げた。
庭木の手入れをしていた庭師は、その少女が現れた瞬間を目撃し腰をぬかしたが、やがてゆっくりと微笑み、彼女を主人のもとへ連れて行った。
突然、町中に現れた少女は、普通なら魔の者であることを疑われるはずだった。なぜなら、この世界に突然現れるのは異世界人か魔の者しかいない上、異世界人は普通、おおよそ13歳以上の姿で現れるからだ。
その少女はどう見ても、10歳にも満たない姿でこの世に降り立った。もし、他の場所に現れたなら尋問を受けるか聖水の浴槽に沈められるところだが、彼女を見つけた庭師とその主人は、そんな事はしなかった。
少女にとって幸いな事に、その庭の持ち主はこの国の中でも大変な良識派で知られていた。少女は記憶が無く、何も思い出せなかったため、貴族の家で保護されて暮らすことになった。
「モエちゃん、ここのお家にやって来て、良かったわねぇ」
下働きの女性が少女に笑顔を向ける。
「うん!」
少女も笑顔で応える。
「他の貴族様だったら、あなたはきっと、下働きで……それも私達と違って無賃で使われていたところさね」
「むちん?」
「まだわかんないわよね。とにかく幸せってことよ」
女性は少女に優しく微笑んだ。
やがて少女は自分の境遇が恵まれている事を知り、8歳という年齢でありながらその貴族に恩義を感じた。そして自らすすんで下働きをする様になった。
そんな少女を見て、貴族は感激し、雇われている従業員達も彼女を暖かく指導した。
少女が笑顔になると、皆が笑顔になった。
優しい人たちに囲まれ、少女は幸せに育った。
──が、しかし。
「神よ……我々が……何をしたというのです……」
血まみれで倒れる貴族の男。周囲には、優しかった人たちだった、肉の塊。
「神だァ? 寝惚けてんのかオッサン! この世にゃあな……」
そう言うと、異世界からやってきた首輪付きの男は、剣に付いた血を貴族の服で拭い、そのままその首を刎ねた。
「……神も悪魔も、いねえのよ」
男は満面の笑みを浮かべる。
大国の奴隷兵士は稀に、戦争から逃げ出して山賊になる者がいる。この男の率いる一団も、脱走奴隷兵士の寄せ集めだった。
貴族の暮らす家は炎に包まれ、庭木は荒らされ、屋敷は煤だらけ。薄曇りの空の下で、噴水は濁った水を吐き出す。美しかった庭は、もはや見る影もない。
奴隷兵士達は異能をもつ者が多く、大国の睨みがきかない場所では、現世人の町一つを蹂躙するほどの力を持つ者も少なくない。今回は、この貴族の暮らす町が、犠牲になった。
「さぁて、お宝お宝……お?」
男がクローゼットの扉を開けると、そこには少女が一人、眠った状態で押し込められていた。
「ぁんだよ。ガキか。めんどくせえから殺しとくか」
男が剣を振り上げた途端、少女が目を覚ます。
「おやおやお姫様。お目覚めかい? またおやすみしましょうねぇ。ヒャハハハハ!」
「おじちゃん……こわい……」
少女は恐怖に震える。今にも泣き出しそうなその顔には、絶望の色が浮かんでいた。
「へへへ……そんなこと言ったって……うっ……うっ……うぁ……」
剣を構えた男の顔がみるみる青ざめていく。
「なんだ、これ……怖えぇ……やめろ……やめてくれぇ!」
男は剣を落とし、うずくまって震えだす。まるで突然、恐怖と絶望に苛まれたかの様に。
「お頭ァ! どうですか!? ……って、お頭?」
階下から現れた男の部下が、異変に気づく。
「おしまいだ……もう終わりだァ……」
うずくまって震える首領を見て、部下の男はただならぬ気配をクローゼットの中に確認する。
「何モンだ……?」
剣を構える男の前に、クローゼットの中から現れる少女。
「……ガキ……?」
彼女は、父の如く慕った貴族の男の亡骸を見て、歯を食いしばる。
「ごしゅじんさまをころしたの、おじちゃん?」
「あ?」
「ねえ! ころしたの!?」
「うるせえな! それがどうしたってんだ!?」
少女の怒りに呼応するかの様に、男も怒りだす。
「ひどいことしたら、ばちがあたるんだから!」
少女はなおも怒り続ける。
「うるっせえんだよぉ!」
男もそれに応えるかの様に怒り狂い──
「あぁもう! こんなガキ一人に! お頭が情けねえからだよ! クソが!」
──自分の首領の背中に、剣を突き立てた。
「ぐはっ! て、てめぇ……!」
首領の男は怒りのあまり痛みを忘れて立ち上がり、部下と斬り合いを始めた。
その隙間を縫って、少女は男達の間を抜け出す。
男達は少女に目もくれず、怒り狂いながら殺し合いを続けた。
少女は世話になった、優しかった皆の無残な姿を見て最初は怒っていたが、やがて、皆に二度と会えなくなった事を理解し、目から涙をこぼす。
「うぇぇぇ……ぐすっ……」
泣きながら歩く少女を、他の山賊が見つけて近寄った。
「へへ……ガキが一匹……うぇ? えっ……あぁ……うぐっ……うぉぉぉぁぁ……」
少女に近寄った山賊は、突然泣き始めた。悲しみが彼の全身を襲い、感情をコントロールできなくなってその場にしゃがみ込み、嗚咽を漏らす。
「悲しいかね」
泣きじゃくる男の背後から、人間のものとは思えない、ザラついた声。
「なんだがよぐわがんねえ……悲しいんだよぉ……」
山賊の男が泣きながら声のする方を振り返ると、男とも女ともつかない服装に、仮面をつけた人間が立っていた。
「やれやれ……カムラ様の命とはいえ、こういう仕事は気が進まなかったが……研究材料確保のためだ。仕方ないね」
そう言うと仮面の者は山賊の頭を掴む。すると、男はみるみるうちに血色が悪くなり、まるで雪山の中で遭難したかの様な顔色で硬直した。流れる涙は凍りつき、唇には霜が浮かんでいた。
そして仮面の下の目は、自分が凍らせた男などには興味を示さず、ただ一点を見つめていた。
「……あのお嬢さん、面白い異能を持っているね……出向いた甲斐があった……」
泣きながら歩いていく少女の後ろ姿を見て、仮面の下は、満面の笑みになっていた。
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