被害者に吊るされた男(ハングドマン)⑥

 絵画の売れ行きは、上手いか下手かでもなければ、人の心を打つかどうかで決まるわけでもない。


 自分が上手に営業をするか、それとも絵を売るのが上手い人間に見初められるか。そのどちらかしかない。


 俺の絵は、どちらでもなかった。



 この何もない異世界に突然舞い降りた時、俺の心は踊った。なんの取り柄もない、絵を描くことしか能のない俺がこの世界にやってきたのは、魔王を倒したり世界を救ったりするためなのだと。


 しかし、実際はそんなこと、まったくなかった。異世界人は俺以外にも掃いて捨てるほどいたし、なんなら異世界人は迫害されていて、大きな国では奴隷として、強制的に戦争に使われてしまうらしい。


 そういう情勢を全く知らない状態でこの世界に降り立った俺だったが、運が良いことに、最初に出会った男がこの世界のことを教えてくれたのだ。おかげで俺は偽名を名乗り、現世人として暮らせている。


 ヤツはエルリックと名乗っていた。流しの賭博師で、自宅はここトンブライ国の首都にあるらしいが、ほぼ空き家状態で、手入れをしてくれる者を探していたところらしい。


 俺はエルリックに頼まれ、彼の家の掃除やらなんやらをする代わりに、そこに住まわせてもらえることになった。金はある程度の貯蓄と言って、今思えばとんでもない額をもらったが、できるだけ手を付けないように日雇いの仕事もする様になった。


 世界には何もなく、俺もこの世界に来るまでの記憶が無かったが、生活はそれなりに充実していた。そして人間というものは、充実してくるとさらなる充実を求めようとしてしまうものだ。


 異世界に来て数年が経ち、俺は自分の絵を売ってみようと思い立った。俺がなんどか手伝いをさせてもらっている八百屋の、取引先の商人に絵を見せてみた。


「あ? これ、どこの先生の絵だよ」

 恰幅のいい商人は、面倒臭そうに俺の絵を手にとって眺める。


「私の絵です」


 そう言った瞬間、商人は手を離した。

 キャンバスが、地面に落ちた。


 俺は慌ててそれを拾い上げる。


「何するんですか!?」


「あのな兄さん、絵ってのは金持ちの道楽だ。金持ちは何を求めていると思う?」

 商人は鼻をほじりながら俺を見下ろしている。


「求めている、もの……」


「あーもう全然だめだな。いいか、特別に教えてやる。金持ちってのは〝自慢〟をしたいのさ。有名な画家、高価な絵、珍しい絵……兄さんは有名でもなければ、高く売る術も無い、そしてこの絵は、珍しくもなんともねえ」


「有名だとか高価だとかって、私にそんなこと言われたって! これから有名になるかもしれないじゃないか!」

 最初から名のある画家などいるわけがない。俺は納得できなかった。


「はぁ……これだから売れねえ画家はめんどくせえんだよ。有名画家ってのはな、俺達が勝手に作る。有名なんです、って言ってな」


「じゃ、じゃあ……」


「だからよ、そうするだけの売り文句をつけられる絵を描けてるかどうかなんだよ。お前の絵は男が皆思わず股間を膨らませる様な裸婦か? 英雄が活躍する肖像か? そうでなきゃ、見るたびに景色が変わるか? 光るか? そういうことなんだよ。兄さん……レセント・ボヘミアが有名になりたきゃ、そういう絵を描くこった」

 そう言って商人は俺の肩に鼻くそを擦り付けて去って行った。


 俺は風景画家だ。この世界に来る前もそうだったのだろう。人物画よりも風景を描くほうがずっと得意だった。俺は風景画で有名になりたい。そう思いながら、何度も作品を売り込みに行ったが、うまくいかなかった。


「しつけえんだよ!」

 バーの中で酔った商人に殴られ、俺はよろめいた。今日はもうだめだ。そう思って俺は黙って店を出る。

 俺は夜の街を、自分の絵を抱えながら歩いた。口の中に血がたまり、俺はそれを道路脇に吐き捨てる。


 すると、吐き捨てた血液がぼんやりと光っていることに気づいた。


 エルリックが言っていた。異世界からやってきた者は、魔法とも神の奇跡とも言えない、異能を授かることがあると。


 もしかしたら、俺も異能に目覚めたのか?


 翌日、俺は自分の血で色々なことを試した。血が変質して武器になるか? 毒なんじゃないか? 逆に回復効果があるか?


 しかし、何もなかった。俺の血はただ光るだけ。


 役立たずの光だった。


「血が光るだけの異能……なんだよ、それ……いや、待てよ?」

 俺は商人の言葉を思い出す。


 光る、絵画。


 そして俺は自らの身を削り、絵の具に血を混ぜて風景画を描いた。絵は暗闇で美しく光った。


 数ヶ月後。


 俺の絵には、高値がつくようになった。エルリックが俺に置いていった金も、すっかり返し切って金庫に納めている。

 あのとき俺に鼻くそを擦りつけた商人が土下座して絵を売ってくれと言いに来たりもした。あなたのおかげで俺は売れたのだから感謝していると伝え、他の連中に売る金額の、倍額で売ってやった。


 しかし、この高値はすべて、俺の血が光るからついているもの。

 俺の絵そのものは、果たして評価されているのだろうか。


 そう思って、一度手を抜ききった光る絵を描いてみた。


 その絵はなんと、いつもよりも高く売れた。


 俺は、何がしたいんだ。

 絵で生活したいのか?

 絵が認められたらなんでもいいのか?


 違う。


 俺はただ……皆が、自分が、誰もが認める、飾ってあるだけで誰もが思わず注目する様な、素晴らしい絵を描きたいだけなんだ。


 そう思って、光らない絵を描いてみたら、誰も買い取ってくれなかったのだ。


 ああ……俺の血は役立たずじゃなかったが、俺自身に価値はないのか……


 なにもかもが虚しくなり始めたそのとき、俺を訪ねて商人がやってきた。


「光る絵画を描ける画家センセイってのは、あんたかい?」

 俺の前に現れた成金趣味の男が、金歯を見せて笑った。


「ええ。私の絵は一般的な魔法絵画と違って、魔力のない血筋のご家庭に飾っても光が弱まることなく、永久に光り続けます」


「そいつはすげえ……期待以上だ。頼む、俺なら誰よりも高値で売れる! いくつか描いてくれませんかね!」


 求められれば、悪い気はしないのも人間のサガだ。


「いいですけど、光らない方の絵も、買っていただけますか?」


「ん? ああ、少し値を落としてもよけりゃ、買いますよ。そこの木の絵なんか、なかなかいい絵だから」

 俺の光らない絵が初めて褒められた瞬間だった。俺はその商人の期待に答えるため、依頼を受けることにした。



 この男との出会いが、俺が人生最高にして最期の絵画を描くに至る、きっかけだった。

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