夢想する法王(ハイエロファント)②

「有江田さん」

 霧島は有江田の肩に手を置いた。


「なっ、なんですか……へぇ……へぇ……」

 有江田はつい先ほどまで、霧島を攻撃した女を探して走り回っており、ゼエゼエと肩で息をしていた。


「あの女性ね、私に恨みがあるみたい」


「あぁ、霧島さんって悪意なく人を絶望させそうですもんね」

 有江田は霧島の方を見ずに答えた。


「そうかな。でもね、私は割と気にしいなんだよ。だから……傷ついたな、今の言葉」

 霧島は有江田に微笑みかけると、彼を結界で閉じ込めた。


「ちょっとそこで、反省しててね」


「え? あれ? 出られない! 霧島さん? あっ、行かないで! 霧島さぁん!」

 有江田の声は結界内に虚しく響き渡った。


「さぁて……野上くんだったか。私が主要登場人物になるのは好みじゃないんだけど……愛する少女に再会するため、悪い魔法使いを倒しに来る青年か。うーん……いいね……」

 霧島は再び妄想に耽りながら、雑踏に紛れていった。




「三船さん。単刀直入に聞く。フォギアをこの町に招き入れたのは、あんたか」

 アキバ街に三船の自宅は無いため、野上と三船は、野上の自宅で会っていた。

 海市は珍しく三船と別動の任務があり、つい先刻、アキバ街を出たところだった。


 簡素な作りのワンルームの中で、にらみ合う男女。


「いいかい。落ち着いて聞いてくれ野上君。実は霧島……奴がフォギア・ハロルドなのは知っていたんだ」

 三船は野上の前に両手を突き出して弁解する。


「知っててなんで!」


「だから落ち着きたまえ! いいか、フォギアはパネロースの政治家だ。この世界は知っての通り……国の政治を回せる者などごく少数。なぜ、そんな重職がアキバ街に来ていると思う?」


「……なぜって……そりゃあ……そうか。偵察にしろ戦闘にしろ、奴一人なのは不可解ですね。なんでだ……?」

 野上は腕を組んで首をひねる。


「私は……フォギアが国を捨てて、我々と個人的な交渉するためにやって来たんじゃないかと見ているんだ」

 三船は野上に、小声で自分の考えを伝えた。その表情は勝ち誇った様にも見え、三船が自分の考えに自信を持っている事が伝わった。


「国を捨てて……?」


「ああ。パネロースは最近、先代がマクスウェルとの戦争で戦死し、若い王子が王に即位したばかり。若い王の方針では、パネロースでこのまま政治などできないと考え、亡命した……」


「でも、なんでアキバ街なんですか? ここは小国の森の中、それも花代の結界で隠されているんですよ!」


「野上君……そんなに声を荒げて……君の力が発動したらどうするんだ」

 三船は人差し指を口の前で立てて諌める。


「……すいません。でも、花代の結界は……」


「それなんだが、つい先日、花代さんの結界が攻撃を受けてしまってね……本来なら一週間は続く結界が、3日で解けてしまったんだ」

 三船はゆっくりと首を横に振った。


「……そんな強力な攻撃が……? まさか、千田木ですか?」


「いや。結界を攻撃した……いや、結界に害をなしたのは本間女史……ミーナ・マジョラムだ。彼女が、アキバ街の横を通った。ただそれだけで結界が被害を受けたんだ」


「あの〝失意の紫煙〟がレナルヴェートを離れたんですか!?」


 レジスタンスたちの間では、レナルヴェート女帝を守るミーナ・マジョラムの名は有名である。

 ミーナはその強力過ぎる魔法により、いかなる相手も瞬時に殺す、という噂がある。

 ミーナと対峙したものは一切の希望を捨てざるを得ないことに加え、彼女自身が戦いを楽しむことが出来ないという理由から、ミーナ・マジョラムは〝失意の紫煙〟の二つ名で呼ばれている。


「そう。奴が移動するなど初めての事だ。いく先々で虐殺を繰り返している。我々も結界がなければ危なかった。花代さんのおかげだよ」


「そうですか……」

 野上は少し嬉しそうな顔をして、すぐに真顔に戻る。


「で、花代の結界が消えた瞬間、フォギアがこの街に?」


「ああ。運悪くフォギアがここを見つけてしまった」

 三船は苦い顔をする。


「それでなんで……」


 野上がそう言った途端、玄関チャイムが鳴らされた。


「……野上君」

「はい」

 二人は顔を見合わせる。

 野上の自宅はまる一年、留守になっていた。訪ねてくる者は、いないはずだった。


「私が出よう」

「ダメです三船さん。自分の立場を考えて下さい」

 野上は三船を手で制し、立ち上がって玄関に向かう。


 再びチャイム。


「もう、誰だよ……」

 外に聞こえない様に呟いて、野上がドアスコープを覗くと、そこには見知らぬ女が立っていた。


「……ませんか」

 ドアを開ける前から気配を察したのか、女はドア越しにぽつりと呟いた。野上はその言葉を聞き取れず、ドアを開けようとしたが、その手を後ろから三船が掴んだ。


「やめたまえ……私が出る、と言ったのはそういう事だ。君は親切が過ぎる……アキバ街住人を全員面接した、私が相手を見るのが適任なんだよ」

 掴んだ腕を離し、ドアスコープを覗いた三船は、目を見開いて一歩下がった。そしてその表情のまま、振り返って野上に告げる。


「私も、知らない女だ……」

「え……?」


 二人が戸惑っている間に、女は諦めて振り返っていた。


 たとぅ、たとぅ、たとぅ……


 と、木靴特有の音を響かせ、女は野上のアパートから去って行った。

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