第4話 マスターカード、痛み、笑顔
あれから1時間と少し過ぎた。俺は店の外で座って待っている。
想像以上に怒らせてしまったようだ。あれから2階に行ったまま降りてこようとしない。
そういや、亜紀も自分のデッキを見られるのが嫌いだったっけな。
またやっちまったんだな、俺。
「はぁ……」
俺の吐いた息は、ため息雑じりの呆れた息。
怒ることないだろ。
デッキを見なきゃ、何もアドバイスできないじゃないか。亜紀もそういうとこ神経質だったが、ウィズの場合はもっと敏感だ。
空が夕日の色になってきたな。
井戸に人がいる。あれが井戸端会議ってやつか、俺の世界じゃ絶対できなさそうだな。
黒猫になって気づいたことだが、割と遠い場所の会話も聞こえる。
だからあの時のひそひそ話も大抵耳に入っていた。
その会話でのウィズの言われようと言ったら、今笑ったら罪悪感しか生まないレベルだ。
ふと思ったのが、なぜそこまでウィズが嫌われているのか、だ。
あの井戸端会議の中で聞けるかもしれないな。
俺は聴力に意識を集中する。
「ねぇ、知ってる? あの子の話」
「えぇ、聞いたわ、あれだけの時間が経っているのにゴミ捨て場で生きているんですもの」
「やっぱり、あの子は化け物なんだわ、今度は羽の生えた猫も連れていたし」
「下町中のごみを漁っていた時期もあったわねぇ……相当飢えているんでしょうよ」
「いつかは人を殺して食べたりして……」
「怖いこと言わないでくださいよ、奥さん」
俺はそれ以上会話を聞くのをやめた。ちょっと猫の聴力が怖くなった。
黒猫が過ぎると不幸が訪れるっていうけど、こういう意味もあるんだろうか。
思えば、ウィズの行動を改めて思い出してみると、目を反らしてるんじゃなくて目を合わせることができないってことで納得がいく。
改めて俺は、察しが利かないな、と。そう思慮を折り入ってウィズのことを考える。
効果、マスターカード、みんなから煙たがられている。
あとは何も知らない。さっきは絶対こうだろうって考えたりしてたのにな。
「亜紀……こういう時、俺はどうしたらいいんだ」
亜紀ならきっと、掛ける言葉があるんだろう。あいつは相手の立場になって考えることができるやつだ。
そんな心が広いやつを怒らせた俺って、よほど相手の感情を見抜く才能がないと見える。
この場合に俺がとるやり口は、というと。
「しかたない、謝るか」
素直に負けを認めることだ。
俺は戸を頭の部分で押して、身体を擦りながら入り込む。
婆さんはいない。おそらく2階であいつを慰めているんだろう。
声が聞こえる。
「またこんなにしてきたのかい……」
「でも、大丈夫だべさ……ウチはタフだかんなぁ~……」
「無理はよくないよ、ウィズ」
「大丈夫だんよ~、今度こそ、ウチがこの街に活気を吹き込ませてあげっからぁ~」
「そうかいそうかい……さて、私は外の洗濯物混んでくるよ」
(今の声……ウィズなのか?)
口調がだいぶ違う。あいつ、無理に敬語使ってたのか。
相変わらず変な奴だ。合わせられていたのはもしかしたらこっちの方かもしれないな。
2階に上りながら、だんだんと軽い気持ちになっていく。
この調子なら、すぐに許してくれるかもしれない。
善は急げ、だ。
俺は颯爽と階段を上がっていき、扉の隙間を縫うように入り込んだ。
「ウィズ、さっきはすまなかっ……」
「えっ……」
「あっ……」
俺は、一瞬息が止まった。
小さい肩と背筋。それに刻まれた火傷や切り傷、皮がすり減ったような残り傷。
それはともかく、そこには上半身の肌をさらけ出したウィズの姿があった。
「……さっきの会話、聞いてました?」
「あぁ、いや……その、まずは何か着てくれ!!」
その言葉を聞くなり、今にもこっちを向きそうなウィズは慌てて戻った。
俺もそれと同時に後ろを向く。
チラッと見えたが、震えていた理由ってあれなのか。
俺は「もういいか?」と聞いて返事がかえってくると、ついでに聞いてみる。
「その傷……もしかして」
「……そういえば、言っていませんでしたね」
ウィズは袖を捲る。そこにも無数の傷があった。
痛々しい限りに、いろんなところが肌とは違う色をしている。
一番ひどいのは、何かで溶かされたような傷跡だ。
こんな殺傷痕を見るのは初めてで、俺は思わず生唾を飲み込む。
「マスターカードは、札の使用を選択する者を呼ぶ名前です」
つまり、俺の知識でいうデュエルをする者をデュエリストとか、プレイヤーと呼ぶ。マスターカードっていうのはそれと同じ意味を成す名称ってことだ。
「マスターカードは基本的に、相手側の攻撃を受けなければなりません」
「えっ……てことは、その傷は全て……」
ウィズはコクリと頷く。
「全て、デュエル中に私が受けた傷です」
その一瞬、言葉を口に出して、何も言えなかった。
カードゲームで傷つくのは、主に自身のプライド。それは喧嘩別れした親友の出来事から俺でもよくわかる事だ。だけど、これはどうだ。
傷ついているのは、自分の身体だ。心や精神じゃない。
下手をすれば、一生動けなくなるかもしれない。
そうまでして、ウィズがこの街のために尽くそうと思う理由は何なのだろう。
俺は、慎重に聞いてみる。
「どうして、そこまでするんだ?」
「そうですね……」
ウィズは正座に座り直す。
「この街は、私が一番大好きな街だから、じゃあ理由にはならないでしょうか……」
俺はこの時、理解できなかった。
「お前、聞こえてないふりしてるだけで、本当は知ってるんだろ? お前のことを化け物みたいに言ってるやつがたくさんいるってこと」
「……」
「そうまでしてお前が命を懸ける必要なんてねぇんだよ! 活気を取り戻したいとか、好きな街だからとか、それ以前にあいつらは抗おうって気力すらないんだから……よ」
「……」
「そんなものより……大事なものがあるだろ」
強く真っすぐこっちを見るウィズ。
なんだよ、その目は。
俺は間違ってなんかいない。
デカイことを命懸けでやり通すことは悪いことじゃない。
だけど、それを皆が望まないことなら、無理する必要はないはずだ。
誰かが成し遂げるのを待ってるやつが悪だ。自分から変わろうとしない奴らが悪いんだ。
あいつだってそう。せっかく強いカードで強い動きがあるのに、新しい切り口を探し、それを貫こうとする。
そこになんの意味があるんだ。結局は少し遅くなって、あとから切り札を出したところでもう手遅れ。
所謂、自分からチャンスを築こうともしない。
ウィズの周りにいる人間がしてきたこと、傍観してきたことは、そういうことを意味するんだ。
貿易権限を賭けて、何十と同じアグロとの戦いをして何回も負けて、そしてあのデッキ構成になった。
それでも、周りの人間は期待すらしない。
頑張ったとも、いい戦いだったとも言わない。
そんなのはデュエルじゃない。ただの殺し合いだ。
そうまでして、ウィズにはやってほしくない。
「だから……」
「楽しいんです」
「え……」
俺の前で、ウィズはニコッと笑って見せる。
その悔しさを濁したような笑顔が、俺はどこか亜紀の表情のような気がした。
「私は、この上なくデュエルが大好きなんですよ」
「……」
今度は俺の方が黙り込んでしまった。
「確かに、私は負けっぱなしで、ずっとずっと街の人には嫌われてきました……でも、一回でも勝てばきっと、みんな見返してくれると思うんです! それに……」
ウィズは強い眼差しをこっちに向け、こう言った。
「――もっと、デュエルの楽しさを知ってほしい!」
「……!」
俺は、察する力というか、相手の気持ちを考えるのも読み取るのも苦手だ。
だけど、そんな俺でも伝わってきた。
ウィズは命を懸けている。
勝つんじゃなくて、デュエルをすること自体に有意義さを感じているんだ。
例え、それが儚い人生だったとしても。
「はぁ……」
俺はため息をついた。
こいつの前で、今まで勝つことだけ考えてたんだ、なんて言っても何も言わないだろうが、言った俺が恥ずかしくなってきそうだ。
だったら、ここに転生している俺は……。
「あ、あの……マスター?」
「マスターじゃない、俺は喜野淳介だ! それに、いつだ?」
「え?」
全力で手を尽くす。
「その貿易権を賭けて戦うのはいつだって聞いてるんだ! 俺がなんでも教えてやる」
ウィズの顔が一気に明るくなった。
「はいっ……!」
その後、今夜はこの婆さんの札屋二階で寝ることにした。
ずぶ濡れで寝ていた昨日より、ウィズは良い寝顔で眠っていた。
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