第2話 魔術師とおにぎり

 季節は春。ブローサーの木が咲き乱れるとても華やかな日。こんな日は、ランチボックスにサンドイッチを詰めてブローサーの木の前で昼食を楽しみたい季節です。

 ですが、私はレンガ細工の街の路地でゴミにまみれながらうずくまっていました。

 もう一歩も動けません。既に数週間食べ物を口にしていないので、それもあってでしょうか。

 昼少し前ですが、そろそろ時間です。


「行かなきゃ……」


 私は、ここの路地を出て商店街の店を二店横切ったその隣にある大聖堂、そこにお祈りを捧げるのがいつもの日課です。ふらふらの足で立ち上がり、路地をきょろきょろした後に、平然とした真顔で歩みを進めました。

 こうしなければいけないのです。なぜなら私は……。


「あっ……」


 私は何かに足を引っ掛け、躓きました。明らかに意図的な物です。

 ふと顔を上げて後ろを見ると、人相の悪そうな男が、細い目をこちらに向けて唾を吐き捨て去っていきました。私はすぐさま軽く謝罪しました。「ごめ……さい」と、小さすぎる声ですが、聞こえたようでこちらをもう一度振り返ると、すぐプイっと振り戻ってどこかへ行ってしまいました。

 しかたないんですよ。私はそういう者なんです。


 私は、ほんの数分ともその後何もしゃべりませんでした。

 ぶつかって謝る相手がいなかったからです。今日は一人にしかぶつかりませんでした。

 大聖堂に着いた私は、扉の取っ手にある小さなスパイダーの巣を払いながら開けました。ここにはかつて作られた空想の神の像が安置されています。中は、こんなゴミまみれの私が言うのもなんですが、とても清潔とは言えません。

 私は、暗いその建物の奥にある教壇で足を止めました。

 背中に背負っている杖を床に下ろし、片膝をついて両手を合わせます。

 深く、目を閉じました。


「主よ……どうか、私に救いを……」


 数分は経ったでしょうか。私は静かに目を開けます。

 そして、教団の前に供え物があることに気づきました。

 美味しそうなおむすびが二つ。普段でしたらここに祈りを捧げにくる人なんてほとんどいないはずですから、珍しいことです。

 ぐぅ~とお腹が鳴りました。でも、供え物に手を付けるのは……。


「……」


 誰もいないのに、キョロキョロと辺りを見回します。

 神様……ごめんなさい。私は、おむすびを一つ口に頬張りました。


「……っ! ゲホッゲホッ……」


 あれ、なんか思ってたのと味が全然違う。でも食べられなくは……ないか。むせながらもカチカチのおむすびを一噛み一噛み味わいながら一個すぐに平らげてしまいました。久しぶりの食事。一個とはいえ満腹になりました。


「そうだ。もう一個は明日のご飯にしよう」


 私はもう一つのおむすびを腰のポシェットに入れます。

 これを少しずつ食べれば三日は食にありつけます。

 食べて少し、気が楽になりました。町の人からは冷たい目線を向けられますし、きっと食べ物だって親切心で分け与えてはくれません。どこか積もるものが積もっていたのかもしれませんね。

 馬鹿だなぁって、自分で決めたことなのに思うことがあります。

 曖昧な覚悟さえなければ、こんなことにはなっていなかったのに……。


「そろそろ……戻りましょうか」


 私は、御神体に軽く会釈をし、聖堂を後にしました。

 気づかないうちに、雨が降っていたようです。

 だいぶ大降りの雨。帽子を置いてきてしまったのを今更ながら後悔しました。

 お供えに手を付けたから、神様が怒っているのでしょうか。そりゃそうですよね。この場所にくる人はもう私だけになりました。それなのに、その私にすら、裏切られたのですから。

 私は小走りにいつもの場所に戻ります。

 数分とかからず、そして誰にも出会うことなく戻ると、帽子が置いた場所から少し吹き飛ばされていました。……何かもぞもぞと動いています。


「なんだろう……」


 私は気になって帽子をとり、そのまま被りました。


「わぁ……」


 その正体は、猫でした。ですが、少し普通の猫とは違います。

 首に錠前を下げ、背中に飛ぶための羽が生えていました。

 私は、すぐに察します。


「あなたも……マスターカードなんですか?」


 その異形の猫は、答えるように「にゃーお……」と、か細く鳴いてこちらにすり寄ってきます。

 少し元気がないようでした。お腹でも空いているのでしょうか。

 それなら、と私はポシェットのおむすびを少しちぎって猫に分け与えます。

 手をクンクンと警戒しながら、差し出されたおむすびにかぶりつくと、カッカッと食べ始めました。


「美味しいですか?」


 猫はむせるような仕草をしながらも、夢中でおむすびの欠片を食べています。

 こんな小さな生き物まで、マスターカードなんですね。

 施したのは、飼い主でしょうか。酷なことをするものです。


「あんたが――“小さき炎の魔術師”か?」


「えっ」


 私はキョロキョロと辺りを見回します。


「どっち向いてるんだよ、こっちだこっち」


 私は再び目線を下に戻すと、猫がこちらを見つめています。


「驚くのはこっちなのに、そっちが驚いてどうするんだよ。この世界じゃ、猫がしゃべるなんて当たり前じゃないのか?」


「それは……そうですけども」


 私は反応に困りました。見るのは久しぶりだったのです。喋る猫。いつかの魔法学校で図書館を出歩いていた時に見たのが最後。あれ以来、この世界はすべてが変わって、動物ですら見なくなったのですから。


【         ☆         】


 歩きにくい。俺が転生してすぐに頭に浮かんだのはその一言だった。

 何が「この姿ならいち早く見つけてくれるだろう」だ。結局のところ出くわすことはできたが、それも偶然じゃないか。

 頭から身体をプルプルと振って体の水気を飛ばす。猫って大変なんだなって、これは痛感できるな。

 俺は、眼前の目をパチクリさせている魔術師にこう告げる。


「神様に言われたんだ、あんたをここで一番にしろってな……」


「えっ……」


 あのアフロディーテが言うには、これで信じてもらえるそうだ。

 大丈夫なのか。全然反応してくれないけど。

 すると突然、その少女はボロボロと涙をこぼして泣き崩れた。


「お、おい大丈夫か」


「すみません……その、夢のようです、神様は私の祈りに答えてくれたのですね」


「なんか……変な奴だな」


 ふと気がつく。どことなく亜紀に似ている。もしかして、要件は二つって言ってたが、どっちもこれで解決なんじゃないのか。

 それはそれとしてだ。


「話を切り出させてもらうが、俺はここがデュエルで何でも決める世界聞いてきたんだけど、間違いないのか?」


 少女はごしごしと涙を拭って答える。


「はい、その通りです……ちょっと前まではそんなことなかったのですが……」


「……事情はともあれ、俺ができることなら何でもする、というか、何が何でもやらなくちゃいけないんだけどな」


 そうしなきゃ、亜紀が生き返れない。何の役にも立てなかった俺が、カードゲームで恩返しできるなら、やらなくちゃならない。

 傷つけたのは俺で、あいつは何も悪くないからな。


「まずはそうだな……俺はここでのデュエルを知らないんだ、ルールを説明してくれるか?」


「は、はい……ですけど」


 少女は上を見上げる。あぁそうか、そうだよな。

 雨の中カードなんて広げる方が常識外れだ。


「雨、上がってからにするか」


「……はい」


 少女の顔は心なしか笑顔がほころんでいた。猫の俺を膝に置くと、毛並みを撫でて、和んでいるようだ。

 驚いた表情も、というかあれは驚いていたというよりは、少し怖がっていたような表情だったな。

 猫である俺は、尻尾をゆらゆらとさせながらふと質問を投げかける。


「いつも、こんなところで寝てるのか?」


 少女は話しにくそうな顔をした。目を泳がせながらも、そっと答える。


「はい……そうですけど」


「家とかはないのか?」


「……」


 残念ながら、俺に何かを察するってことはできない。言いたいことはズバズバ言うタイプだ。

 困った顔の彼女は、俯いたまま何も言おうとはしなかった。

 口に出したのは、俺が「ま、言いたくなけりゃそれでいいけど」と、言いかけた時だった。


「マスターカード……ですから」


 彼女は、口から振り絞るようにそう言った。「そうか」とだけ俺は返した。

 降りしきる雨の中、俺は空を見上げる。

 なんていうか、ここは路地だけど。

 この街は、寂れているんだなって俺でも察することができた。


















 こうして、俺の転生初日は終了した。

 灰色の雲が流れる中、濡れながらの日となった。

 だけど、なんだろう。

 ところどころから差し込む太陽の光みたいに、少し俺はこの世界に自分の変化を期待していた。



 

 

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