第8話 あとのまつり

いつもは理性的な博士が感情をあらわにして叫ぶ。


「どうして…… 一体どうしてこんな事に! 何があったというのですか!

 かばん! 説明して欲しいのです!」


博士が指差す先には崖の下に果てしなく広がる水面。

そこに見えるはずのゆうえんち、さらにその先に見えるはずの

小山に偽装されたセルリウム貯蔵庫は完全に水の底に没していた。


水面にはゆうえんちで遊んでいたフレンズ達、

もとい遊んでいる設定で配置されていた舞台装置達が

舞台環境の変化に適応できずに動きを止め、水死体のようにぷかぷかと浮かんでいた。

上部の階層だけを水面上に見せる巨大なホテルが

かつてはその下が地面だった事を思い起こさせた。


いつもは理性的な助手が感情をあらわにして叫ぶ。


「このサーバルとは、いえ"サーバルちゃん"とは、

 どれだけの日々をいっしょに過ごしたと思っているのですか!

 今だって洪水に巻き込まれたかばんを心配して駆けつけたというのに、どうしてこんな事を!」


助手が指差す先の地面には小さな黒い水たまり。

その近くには以前かばんがサーバルに贈った装飾品が転がっていた。


「…………………………」


ずぶ濡れのかばんはうつむいたまま黙って応えない。

代わりに博士と助手の中のセルリウムにかばんの悲しみを主とした

とてつもなく重い感情が流れ込んでくる。


「うう…… 怒鳴ったりして悪かったのですよ、かばん。

 これは……きっと……意図せずに起きてしまった事故……なのですよね?」


「…………………………」


確信を持てずに言った博士の問いにもかばんは黙って答えない。


沈黙の間を持たせるように、かばんが話してくれるのを促すように

博士と助手はこれまでの事を振り返って語り始める。


「セルリウム貯蔵庫を見つけた日から数カ月の間、

 毎日サーバルと遊び続けるかばんは本当に楽しそうでした。

 ゆうえんちでいっしょに遊ぶフレンズ達も造り出して毎日大騒ぎして

 少しはしゃぎ過ぎているようにも見えましたが、

 かばんの望みは叶った、今までの苦労が報われたと我々も喜んでいました」


「一年目が近くなる頃からかばんはセルリウムを駆使して

 ジャパリパークを再現するかのようにエリア内の各地の自然環境に合わせて、

 色々な施設を造り始めました。 その環境に合ったフレンズも造り出して配置したり、

 各地を結ぶモノレールを造ったり。 始めのうちは楽しそうに造っていましたが、

 今思うとパークが完成に近づくにつれて笑顔を見せなくなっていった気がします」


「二年目の中ごろ、造れそうなパークの施設を造り尽くした後からは

 かばんはよく分からない物造りに時間をかけて熱中するようになりました。

 サンドスターのように輝く巨大な柱状の物を空高く積み上げてみたり、

 人工衛星のような物を造ってはるか上空に浮かべてみたり。

 何のために造っているのか聞いてもかばんは曖昧にはぐらかすばかリ。

 完成してからも結局何だったのか分からず仕舞い。

 それでもかばんは造る事に夢中になっているようでしたから良いかと思いましたが

 何か思いつめたような表情で造っていたのが気になっていたのです」


「三年目を過ぎた頃からのかばんは、見るからに様子がおかしかったです。

 急に頭を抱え込んでうめき出したり、前触れもなく涙を流し始めたり。

 何よりもいつもいっしょにいたサーバルを避けるようになったのには驚きました」


「そして数日前、久々に警告モードのラッキービーストに追われた時の

 かばんの狼狽ぶりは尋常ではなかったです。 錯乱したかのように泣きわめいて

 塞ぎこんで……数日かけてやっと落ち着いてきたと思ったら……この事態に……」


「この三年の間にかばんにどんな心境の変化があったというのですか?」

「この事態の説明が無理ならば、話せる事からで良いので話してほしいのです」



かばんはしばらくの間をおいて沈黙を破り、話し始めた。


「……最初の頃はサーバルちゃんとゆうえんちで遊んで過ごす毎日は本当に楽しかった。

 けれど、そのうち僕は心の中にもやもやとした"何か"が有る事に気づいたんだ。

 その"何か"は知ってはいけない事のような気がして、触っちゃいけないと思って、

 ゆうえんちでサーバルちゃんやフレンズ達と騒ぐことで目を背けて忘れようとした。

 でもゆうえんちに居ると何故か"何か"が大きくなっていく気がして……

 他の場所で他の事をしようと、ジャパリパークみたいな施設造りを始めたんだ」


「色々な施設造りは始めのうちは楽しく熱中できて"何か"の事を忘れられた。

 でも造り進めてジャパリパークに似た風景にフレンズ達が居る様子が見られるようになると

 何故かまた"何か"が大きくなっていく気がしてきて、怖くなって……

 そのうち無意味なものでも何でも良いから物を造る事だけに集中して

 "何か"から必死に気を逸らそうとしていたんだ」


「でも、三年目くらいからは"何か"は目を背けられないくらい、

 他の事を考える余裕がなくなるくらい怖く大きくなってきた。

 そんなとき『あれ』が目と耳を赤く光らせるのを見て……

 はっきりと思い出したんだ。"何か"の正体を。

 それは必死に忘れようとしていた僕の過去の記憶だったんだ……」


かばんは言葉詰まらせながら話を続けた。


「あの時、目と耳を赤く光らせたラッキーさんが『お客様は避難して下さい』って言ったんだ。

 それに僕は……こう答えたんだ。 『分かりました、避難します』って。

 ……パークの危機なのに、どうして僕はそんな事言っちゃったんだろう……本当に……

 そうしたらラッキーさんが『かばんを警護対象要人に認定』

 『避難プランを策定します』って言って、

 サーバルちゃんやフレンズさん達は僕の答えに少し戸惑ってたみたいけど、

 『かばんちゃんがヒトの巣に帰れるように協力する』って言ってくれて、

 ラッキーさんの避難プランでは安全最優先ルートで行くと

 日没までには船の準備が間に合わないし、夜の行動は巨大セルリアンが光を追って危険だから

 翌日の朝から出発の準備を始めようって決めたんだけど

 でも次の日、ちょうど船着き場の先の水平線に朝日が昇り始めて、

 朝日目がけて大型セルリアンが歩き出して、 その先の船はまだ出発の準備が済んでなくて、

 ラッキーさんが『アワワワワワワ』って言い出して……」


「このままじゃ船が壊されるから船を守ろうってフレンズのみんなが僕の為に集まってくれて、

 フレンズさんの誰かが『かばんさんとボスは船に乗って出発の準備を』って言って……

 僕は言われるままにラッキーさんと船に乗って、大型セルリアンがやってきて……

 船に近づけさせないためにフレンズのみんなが大型セルリアンと戦い始めて……

 船が動き始めて…… 大型セルリアンは強くて……

 傷ついたり食べられたりするフレンズさんが出始めて……

 ……そしてサーバルちゃんまで……大型セルリアンに……! 

 泣きながら船を戻して、みんなの所に帰してって何度叫んでも

 『あれ』は目と耳を赤く光らせて『駄目です、お客様の安全が優先です』って言うばかり

 で聞いてくれなくて、 船がどんどん進んで……

 大型セルリアンと戦い続けているフレンズのみんなが遠ざかって行って……

 ……大型セルリアンの中のサーバルちゃんも遠ざかって行って……」


「僕は……自分だけの都合の為に……お世話になったパークのみんなを……

 サーバルちゃんまでも見捨てて……ここまで逃げてきたんだって事を……

 ……全部思い出したんだ……

 ねぇ……僕って酷いことしたよね? 卑怯だよね? 最低だよね……?」


目に涙を溜めて自嘲的に笑うかばんの問いに博士と助手は答えを詰まらせる。


「……僕の酷さはそれだけじゃ済まなかったんだよ……

 こんな過去を忘れるために、現実から目を背けるために

 『パークの危機を救ってゆうえんちでフレンズのみんなとお祝いして遊んだ』なんていう

 ありえない都合のいい妄想を夢の中で造り上げて……

 それどころかセルリウムで現実にまで造り上げていたことに気が付いて……

 ゆうえんちを見るのがもう耐えられなくなって……

 こんな嘘から造られたゆうえんち海の底にでも沈んじゃえ! ……って」


崖の下に果てしなく広がる水面を見て助手がつぶやく


「……ようやく事態が飲み込めたのです。 かばんはそうやって感情を爆発させたのですね。

 セルリウム貯蔵庫の近くで……その結果がこれなのですね……」



「こんな酷くて卑怯で最低な僕といっしょの記憶をサーバルに蓄積させちゃったんだ!

 僕がサーバルちゃんを汚しちゃったんだ!

 サーバルが"サーバルちゃん"になれないのは全部僕のせいだったんだ!

 僕には……サーバルちゃんといっしょに居る資格なんか無かったんだ!!」


地面の小さな黒い水たまりを見て博士がつぶやく


「……かばんが自分自身を否定する感情が、自分の影響を受け続けたサーバルまでをも

 否定する感情に繋がって……その結果がこれなのですね……」



全ての想いを吐き出し終えたかばんは地面に突っ伏して止めどなく涙をあふれさせた。


「う、うう、うわああ うわああああああぁぁぁぁん」


「うわああああああぁぁぁぁん うわあああああぁぁ」



泣き続けるかばんにかける言葉が見つからない博士と助手は

今はそっとしておくのが良いだろうと、静かにかばんの傍から離れた。


しばらく歩いた先の崖の上から洪水が造り出した海を見下ろした。


「この洪水、セルリウムから造られたこの水、普通ではないのです。

 比重も透明度も屈折率もおかしいのです。

 水圧で確実に割れるはずのホテルのガラスが無事なのです」

「いくらセルリウムが膨大に膨らむといっても惑星全体の海面を押し上げたとは思えません。

 おそらくここから水平線のように見えている範囲だけに生成されたのでしょう。」

「かばんの思い描いた心象風景を再現するためにこうなった、と

 セルリウム、その本質は舞台装置作成用の物質なのかもしれないですね……」




洪水の日から数週間、

かばんは自室にずっと閉じこもって過ごした。

ほとんどの時間ベッドで横になり、起きているときも虚ろな目で宙を見つめていた。

食事を運び入れる時も博士と助手に何も話さず、目を合わそうともしなかったが

静養する時間も必要だと思い、博士と助手は黙って見守った。



一カ月が近くなる頃から、

かばんは研究所内をふらふらと歩き回って、過去にヒトが残した

書類や書物を読み漁る事に多く時間を使うようになった。

食卓を共に囲むようにはなったものの、何も話さず、目を合わそうともしなかったが

動けるようになったのは良い兆候と思い、博士と助手は黙って見守った。



二か月目の中ごろ、

時折かばんは行き先も告げずに研究所の外に出かけるようになった。

どこへ何をしに行ったのか、相変わらず何も話さず、目を合わそうともしなかったが

足取りがしっかりしてきたのは元気になった証拠と思い、博士と助手は黙って見守った。



そして三カ月が過ぎたある日の事

何も話さないかばんに気遣っていつも通り無言で食事を始めようとした食卓で

かばんはしっかりと博士と助手の目を見つめ、長い間見せていなかった笑顔で話し始めた。


「博士、助手。 いつも気遣ってくれてありがとう。 私、もう大丈夫だから……」


「お……おお、かばん、話をしてくれる気になったのですね!」

「具合は……もう良くなったのですか?」


「うん。 もう平気。 今までいっぱい心配かけて……ごめんね」


「かばんの笑顔を……また見られる日がくるとは……ぐすっ」

「うう、かばんが元気になって良かったのです。 本当に……」



それから久しぶりの笑顔のかばんとの会話を博士と助手は楽しんだ。

話題はとりとめのない日常的な事ばかりだったがそれは心を和ませてくれた。

その和やかな会話の雰囲気に合わせた穏やかな口調で、かばんはさりげなくその話題を出した。


「それで私ね、もう一度だけ"サーバルちゃん造り"に挑戦してみようと思うんだ。

 こんどはお友達のカラカルも一緒に作ってあげてね、自立出来るようになったら

 二人いっしょに野生に放ってあげようと思うんだけど、いいよね?」


「うん、うん。 やりたい事をするのが一番なのです」

「かばんの好きなことをするのが良いのですよ」


かばんは穏やかに微笑んだ。


「ありがとう。 博士、助手。 さっそく準備して明日からでも始めてみるよ」


その時、博士と助手はかばんの穏やかに見える微笑の奥にとても固い決意を、

決意のさらに奥に得体のしれない、とてつもない何かを感じて一瞬鳥肌が立ったが、

今はかばんが元気になった事を喜ぼうと、感じたものを気のせいと否定して忘れる事にした。

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