第22話 修羅場に零れる涙の色

 辰吉は修羅場に実に場違いなゆっくりとはっきりと、その場にいる者全てに届く物言いで皆に告げた。


「お嬢、ちょいと待っておくんなさい。ハラミツさん、少しばかし戸口の前で表を張ってくれませんかい? 敵も味方もごっちゃになっちまって、この鳥屋に他の奴らがこねえように頼みてえんですが」


「応っ、任せて下せえっ」


 いつの間にやら辰吉の手下のような受け答えで、ハラミツはサッと戸口の前に仁王立ちした。

 ハラミツは矢玉除けにと、ぐったりし倒れている覆面の押しこみ侍を拾い上げ、襟首をむんずと掴んで盾にして片手でぶら下げる。

 その身から溢れる迫力は実に凄まじく、覚悟を決めた者でなければ気圧される事は間違いない。人避けにはもってこいの赤鬼である。

 

 藤次郎はその剛力に目を丸くしてその様子をみていたのだが、辰吉の様子にただならぬ気配を感じて、辰吉とその周りに神経を張り巡らせ耳をそばだたせていた。

 流石の今孔明も、辰吉が襲われたことまでは考えは及んでおらず、見当も付いていない。


「お侍様方、何故にあっしらをお助け下さるんで? 狙われたのはこの鳥屋にいる者ばかり。町人のあっしらの生き死に何ぞ、気に掛けている場合じゃあ無えと存じますが?」


 訝し気な様子を態々見せつける辰吉に、門馬兵庫之介は刀を後手に白刃を覆い隠し、礼を尽くしながら、


「私はお市さんや藤次郎さんに大変お世話になった者。この身に代えてもお助けせねばならない義がございます。御心配はあるでしょうが何卒我等を信じて頂きたく、この通りお願いいたします」


 と頭を下げた。


 あらまあ、とお市が、ええっ! と藤次郎が、ほう、と辰吉が、三者三葉で驚きの色を浮かべた。


 独りきりなら兎も角、十郎太という他の侍が居るにも関わらず、面目を気にせず初対面の町人に頭を下げる藩士など聞いたことも見たことも無い三人は、それだけで相当に驚いた。


 馬借稼業でさんざんぱら嫌な態度の藩士など見飽きているし、実際に偉ぶっていないと示しがつかない雁字搦めの立場であり、身分の伴わない者に頭を下げたというだけで、誹りを受けてしまうのが侍という生き方なのだという事を、三人共に良く見知っているからである。

 ハラミツと共に来た十郎太は、兵庫之介の態度など気にも止めず、


「ハラミツ、我らが信ずるに値するものだと手助けしてくれ、頼むっ」


 とこれまた町人に頼みごとをする為に頭を下げている。


「ああそうかっ、皆初顔合わせだもんな。お嬢さん、番頭さん、伊平さん、このお二人は侍にしておくにゃあ勿体無ぇいいお方たちでさぁ、安心しておくんなさい」


 ハラミツがそう言い終わる前に、嫌な空気を打ち消そうとそこそこ大きな声が飛んで来る。


「端っから疑ってなんかいません。辰じいも藤次郎も、命の算段なんだから、もごもごしないで急いで行こうっ」


 お市の一声に、藤次郎は其処はまごまごじゃあ無いのか? と一瞬しょうも無い事を想い浮かべ、辰吉はこんな修羅場でも真っ直ぐな心持を振りかざす素直なお市の心根に、殺気すら纏っていたはずの表情が苦笑いに変わっていた。


「敵わねえなぁ。流石はお市お嬢だ。腹芸は止めときましょう」


 お市に穏やかに告げると兵庫之介と十郎太に向き直り、


「あっしらはお侍様じゃあござんせん。しがない町人の身でございやす。ハラミツさんがお侍様方を御仲間だと信じられているようなのでそこは問題ありやせんが、間もなく番屋の岡っ引きに近くの十手同心も来るでしょう。言い訳もしないままこの場から消えちまったりしたら浮かぶ瀬もなくなりやすんで、あっしとハラミツさんは此処に残ります。なあに、ハラミツさんはかなりの達人ですし、襲い方も雑な押込みなんぞに簡単にはやられません。お市嬢はお侍様方と一緒に舟で念の為伊平と一緒に下がっておくんなさい」


「駄目よっ、辰じいも一緒に―― 」


「お嬢っ、アオと黒丸はこのまま借りておきます。皆さん御願い致します」


 強くお市の言葉を打ち消し、有無も言わさず深々と頭を下げる辰吉を見て、


「お市お嬢、早くっ、辰吉さんの重荷にならないようにしないとっ」


 藤次郎が手厳しく促し、それを受けた兵庫之介がお市の腕を抱え取り、万力のような力強さで舟へと引っ張り込んだ。


「門馬様っ、放してください、辰じいを連れてこないとっ」


 力尽くで抑え込む兵庫之介に本気で抗うお市に対し、それを諫め立ちはだかったのは、


「をんっ、をんっ、わんわんっ、をんっ」


 黒丸であった。

 黒丸は早くこの場からお市を逃がしたい、その一心でお市を真っ直ぐに見つめながら諫めた。

 黒丸はお市の身に危険が及ぶことを良しとしない。


 お市の身に何かがあるなど許さない。

 だから行ってくれ。


 その心の全てを剥き出しにして訴える声と姿は、お市を黙らせるのに十分であった。


「黒丸・・・・・・」


 言葉を失ったお市へ


「お市さん、申し訳ありません。只ご安心を。ご公儀の捕り方が来る迄の辛抱です。それまでは藩随一の剣士が残ります」


 兵庫之介は、済まなそうに謝りながらお市を小舟へと押しこんで、


「十郎太、後は任せたっ、怪我をさせるなよ」


 と声を掛け藤次郎から棹を奪い取るように受け取り、


「藤次郎さ……いえ、今は伊平さんでした。棹は私が持ちます。そこのむしろをお市さんと一緒に被って寝そべっていてください」

 

 お市と藤次郎を横たわらせて、二人をすっかりと覆い隠してしまうと舟を押し出した。

 動き出した小舟の中、火矢避けでたっぷりと水が含んであるむしろが冷たく躰の上に重くのしかかり、とても肌寒い。

 お市は藤次郎に気付かれないように袖口で目と鼻と口を覆い隠し、色々堪え切れず泣き声を噛み殺しつつ、涙を零した。

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