第23話 不安で揺らぐ想いと思惑

 舟がぎこぎこ漕ぐ音を響かせながら、ゆらゆらと月明かりの中を進んでいく。

 お市も藤次郎も互いに声を掛け合う事も無く、暗闇の中四方ににらみを利かせながら舟を漕ぐ兵庫之介は勿論声など上げる訳もなく、全てがひっそりとした静寂に包まれながら進んでいた。

 

 あたしは、あたしは……どうして何も出来ないのだろう?

 どうしてこんなに守られてばかりなのだろう?

 山の皆の力を前みたいに借りる事さえ出来たなら……いいえ、そもそもそれはあたしの力なんかじゃあない。

 結局迷惑ばかりで、独りでは何も……


 お市の頭の中で色々なことがぐるぐるぐるぐる回って止まらない。

 しかも、お市らしからぬ後ろ向きの仄暗いものであった。

 それは、知らず知らずのうちに心根の深いところに纏わりついて離れない、死への怖れなのだが、お市には見当も皆目付いていない。

 ただ、どうしても拭えないこの不安が、陰鬱な雰囲気を合わせて更なる重荷を心根に上積みし、じわりじわりと、お市の心根を蝕んでいく。


 あれこれ様々な思いが心の中を踏み荒らしている中、


「お市さん、藤次郎さん・・・・・・いえ、伊平さんでしたね。中州に着きました」


 と兵庫之介に声を掛けられ、お市は慌ててむしろを剝いで起き上がると、小さい御堂の前に篝火が焚かれ、数人の僧侶を先頭に、漁師や百姓姿が多数を占める老若男女の人だかりが目に入って来た。


 僧侶が厳かに経を唱え、後ろに控えている漁師や農民姿の皆は静かに経文を後に続いて唱えている。

 月明かりが辺りを浮かび上がらせ篝火の炎の揺らめきが人々の顔を照らし、唱えている経文が炎の揺らめきとともに厳かな空気を一面に配している。


「今宵は水龍様をお鎮めする鎮護の行の日なのです。市井の人々の為の勤行なので侍はほぼいませんし、公方様に所縁の深い寺社が執り行っていますので、侍は迂闊に手が出せない処ですのでまずは安心して下さい」


 頭から手拭を巻いた農婦が胸に赤子を抱いたまま、腰みのに魚籠をぶら下げたままの魚とりに、着物を大きくたくし上げ筋骨たくましい太股を晒している強力が、この川近くの集落の皆が必死に一心不乱に祈っている。

 誰かの無事を、これからの生活を、それぞれお社に向かい直向きに祈っている姿に、お市は、深い感動を覚えると同時にその様子に心を搔き毟られるような思いも味わっていた。


 あたしは、どうしちゃったんだろう?

 山神様……あたしは……おじい……


 兵庫之介は動きを止め心虚ろに固くなっているお市の表情を見て、明るく輝くような表情が良く似合うその眼差しに、大いに翳りが宿っている事に大変申し訳なく思っていた。

 若くて綺麗な娘御陵が、押込みに襲われ斬り合いを目の当たりにしたのだから、無理もない。

 これは己たちのせいだ何とかしなくては、という責任感と義務感に気をはやらせつつ、気持ちの後ろに控えている不思議なもの寂しさを噛み殺しながら、


「お市さん。恐ろしい思いをしたでしょうが、今話した通りここはかなり安心出る場所です。我らが此処に来ることはお坊さん達にも伝えてあり、御助力も頂けることになっております」


 心の音のまま随分と申し訳なさそうにそして心配気に声を掛けた。


 藤次郎は、兵庫之介の些細な様子を見逃さずその言葉を一言すら聞き逃すまいと耳を傾けつつも、お市の表情も一つ見逃さないよう目配りをしていた。


 何かがおかしい。何がおかしいのか、その中身を根元を突き止めなければ。


 悪い予感が頭をよぎり、それを見つけ出すべく全霊を傾けていた。

 お市の身には厄災など降り注がせはしない。

 今傍に居るのは自分だけだという事を改めて思い出し、端正な顔に決意を浮かばせながら帯を締めなおした。

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