第19話 赤鬼はやはり頼もしき

「わふっ、うぉっ」


 黒丸がお市へ刀の音がすると告げると、お市の足元にぴったりと寄り添った。

 黒丸の一番はお市であり、お市に危ないものが近付きそうな気配を感じ取ると必ず傍に侍り、敵を噛み裂く護りの姿勢に入る。

 頭は低く耳をぴんと立て、鼻をひくひくさせながら、その神経を外に向けている。


(お願い。外に良くない奴らが居る。少し静かにしていて。危なくなったらきっと逃がすから)


 鵜飼の鵜たちは剣呑な気配に声を上げ羽ばたきをしようとしてところを、お市の必死の説得で何とか耐えていた。

 こんな時こそ頼りがいのある出番の筈の大男ハラミツは、鼾をかいたまま目を覚ます様子はない。


 お市は藤次郎に目配せし、ハラミツを戦力として考えることを諦めると戸口を小さく開けて、


「黒丸。外の様子を少し見て頂戴。逃げるにしても隠れるにしても様子が判らないと……」


 人間に告げるかのように黒丸にそっと伝えると、おしりをぽんぽんと叩いた。

 任せろと一声小さく鳴くと黒丸が外に出ていく。


「姉さん。この辺りの鳥獣の気配は? 援軍を何とかできないだろうか」


 藤次郎の問いにお市は一瞬言葉が詰まった。

 お市の不思議はその大半が鳴りを潜めている事を誰にも知らせていない。

 今は話が出来るだけであり、見ず知らずの鳥獣に力を借りることなど無理なのだ。

 こういうことになるのだったら、話をしておけばよかった。


「藤次郎、実は、あたし――」


 お市が意を決して秘密を明かそうとしたその時に、白刃を手にした覆面の侍が、大きな音を立てながら戸板を破って転がり込んで来た。

 お市と藤次郎は覆面の侍の目線と手つきをすぐさま見て取った。

 どのような相手か、命のやり取りをする相手か。

 さんざんぱら旅をし、馬借の家の者として嫌と言うほど叩きこまれているのだ。


 覆面の侍はあどけなさの残る二人を見て一瞬躊躇らしき気配を見せたのだが、直ぐに立て直すと、柄を握る左手にすぐに右手を添えた。

 斬り捨てる腹積もりだろう。


 藤次郎は咄嗟に姉の前に飛び出すと、


「させるかっ」


 と強く一喝した。

 護り刀にと初代初次郎が愛用していた山刀を祖母の照から託されていた藤次郎は躊躇なく、猪の皮鞘から武骨な刃をすらりと走らせる。

 下段に構えて対峙するその姿は中々堂に入っており、腰も据わり貫く視線もぶれていない。

 何よりも強い気概が身体中から溢れている。

 山人の賊との一件以来、飛礫に徒手、そしてやっ刀も磨きをかけにかけて鍛え上げた。

 其の自負と共にお市に怪我なぞさせないという気概が余計な力を加える。

 覆面姿の侍の眼にぎらりと殺気が光る。


(いけないっ)


 お市は瞬間的に良くない気配を感じ取り、うなじに怖気が奔った。


 藤次郎が危ないっ。


 お市がそう感じ取った其の時、ぶんっと低い風の唸りを上げながら、鉄で仕立てられた棍棒が刀ごと侍を弾き飛ばした。

 赤鬼の如き様相のハラミツがいつの間にか起き上がり、鉄の棍棒を隙なく身構えている。

 その動きや構え方はただの粗雑者ではなく、武辺者のそれであった。


「大事な鳥屋と鵜のみんなと、優しいお嬢さんに何しやがるっ。てめえらっ」


 躰から湯気が立っているのかと見紛うくらいの怒気を放つその姿は、赤鬼というに相応しい風貌だが、お市はこの上もなく頼もしく感じた。


 ハラミツはもう一つの戸口を指さし、


「鵜の皆と川面の方へ。小舟がつないであるから、伊平さんと早くっ」


 お市へ小さく告げると倒れた覆面の侍へと駆け寄ろうとした。

 別の覆面侍が戸口の影からいきなり短い槍をハラミツの胸に突き立てようとしたのだが、ハラミツは槍を素手で軽くいなし躱すと力づくで奪い取り、襲撃者の太股を棍棒で打ち払って動けなくした。

 そうして悲鳴を上げる相手を見下ろし、


「へっ、侍のくせに槍の遣い方を知らねえな」


 と顎をぶん殴り昏倒させた。


「誰にも怪我なんてさせねえ。てめえらは無事にいられると思うなっ」


 そう言い残すと棍棒片手に飛び出していく。


 お市は驚いていた。

 まさかあそこまでの武辺者で剛力だったとは。

 藤次郎は、戻って来た黒丸がお市の足元に怪我もなく無事であることを見て取ると、


「姉・・・・・お市お嬢さん、外へ」


 辰吉の芝居通りに伊平に成りすますとすぐさま外の小舟へと向かう。

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