第18話 押して図るは思いの外
藤次郎は真顔になって、鼾をかいているハラミツを狸寝入りではないかと訝しみながら、声を落として話し始めた。
「もしかすると、私の考え方が間違えているかもしれない……ですが、寝ずの番を一人で貫いているハラミツさんは勿論の事、ねえ……お嬢も辰吉さんも私も、この上もなく危ない場所に身を寄せてしまったようなんです。辰吉さんが戻り次第、話を聴いてみてこの後の身の振り方を考えますので、お市お嬢は先に戻って下さい」
藤次郎から何かは分からないけれど、強い意志のようなものが溢れかえっているのを、お市は肌で感じ取った。
足元の黒丸も同じで、あぱんとした表情から一転し、引き締まった顔で藤次郎を見上げている。
お市は藤次郎の顔をじっと見ながら思った。
身の危険を感じるくらいに宜しくないことになるのだろう。
だから、自分を遠ざけたい。
そして、そのことに対して怖気づく事もなく、冷静に対処しようとしている。
お市は、どんどんどんどん逞しく男らしくなっていく藤次郎に、一抹の寂しさとこの先の男ぶりを考えて大いに期待を膨らませながらも、大いに腹を立てていた。
あたしの気持ちを締め出して何とかしようとしても、そうは行かないし行かせない。
お市は、藤次郎から溢れる気迫めいたものに負けないくらいの、意志のこもった輝きを目に浮かべて、
「うん、分かった」
とニッコリ笑顔を浮かべて頷いた。
藤次郎は当然の如く何か言ってくるのだろうと予測し、あれやこれやと言いくるめる言上を用意していたのだが、意外にも意外な答えで肩透かしを食らった。
「え⁉」
戸惑う藤次郎をしり目に、ここぞとばかりにお市が更に言葉を継いだ。
「あんたと辰吉さんと黒丸とアオ、皆が顔を揃えてから帰る。それ以外は有り得ないから、何か考えなさいよ。ついでに言うと、あたしたちが居なくなって、ハラミツさんに何かあるのも困るから、それもどうすればいいか考えなさいね」
言い方は穏やかではあるが、目の輝きが藤次郎の気迫を穿っている。
「姉さんっ、今度ばかりはそれじゃあ駄目だっ。本当に危ないんだよっ」
辰吉の段取りなど忘れてしまうほどに藤次郎は慌てた。
言い出したら聞かない姉を何としても説得しなければ。
この相手は丸松屋如きの士分など歯牙にもかけていない。
地元の名士など取るに足らないと足元を見、圧をかけて自家の不利益を同意せしめる相手。
勘定にうるさい主人が首を垂れ、尚且つ唯々諾々と従わざるを得ない相手とは、即ちその辺りの侍の上役では役不足で、お代官様かお奉行様辺りまで行きつかないと、今回のような立ち廻りを指図するのは難しい。
丸松屋を相手に、畏れと利益の両方が揃っていると得心させるほどのもの。
この後に控えている藩の上役と幕閣が席を共にする鵜飼の天覧漁で、何としても面子をつぶし、誰かが何かで責を負わされるように、謀略を張り巡らせているのだ。
生命のやり取り等当たり前の謀略であることは明白で、御上が絡んでいる以上、仕掛けている側のその覚悟も生半可ではあるまい。
だからこそ、このまま居れば命すら危うい。
今すぐに逃げ出さなければ。
藤次郎はそう読み切っていたのだが、肝心要のお市の心を、自分の事より他の人たちを大事するというお市の心を、よりにもよって読み忘れていた。
「あら、伊平。軽々しく姉さんなんて呼ばないで。あたしはおつかわし屋の名代、市。伊平も承知の通りあたしには少しばかり自慢が出来る特技がある。だからあたしは踏ん張る。大事なあんた達を置いて逃げる真似なんてするわけないじゃない。あんたが逃げろって言う事はそれだけ危ないってことでしょう?あたしに出来る事をしっかりとして――」
『おのれらっ、何ものだっ』
外で剣呑な声がする。
併せて人の争う気配があり、黒丸が低く唸り始めた。
お市と藤次郎は緊張の面持ちで、互いに目を合わせると腰を落とし、聞き耳を立てつつ様子を窺う。
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