巻の弐 第四章 思索
第16話 二枚笠と雀の紋所
ハラミツをお市と藤次郎に任せると辰吉はすぐさま手配りに、近くの宿場町の板花宿へと足を延ばしていた。
代官所の筆頭与力である酒井田の伝手を使って剣術を教えている道場へと向かい、腕が立って目敏い者達を二人ほど、雀の涙ほどの報酬で雇い入れ明日の朝一番に来てもらえるように手配りを終えた帰り道であった。
その日の夜は月明かりが明るく、気候も穏やかで肌寒い事さえ除けば、何とも気持ちの良い夜である。
「流石は内膳正様の印可、効き目は抜群です。まあ、今や使い道もあんまり無いし、馬鹿な弟子がこんな使い方していやすが、怒らないでやって下さい」
辰吉は月に目をやってそう呟くと手を合わせて、小さく天へと頭を下げると鵜飼の屋敷へと道を急いでいた。
最近、頼りになりかけているとはいえ、お市と藤次郎だけにして、余り空けておくのは宜しくない。この鵜飼の話はしくじると大分面倒だ。
辰吉の勘がそう囁き、足を急がせていた。
そして、その勘は残念ながら的を射ていた。
松林が月影を覆う少し薄暗い場所に差し掛かり、辰吉は人の気配を感じ取り、
「何か御用でしょうか? 旦那方」
随分ととぼけた物言いとは真反対な、鋭い眼光を辺りに厳しく放った。
辰吉の言葉なのか眼光なのかは分からないが誘われたかのように、物陰から三人の牢人姿の男達が弾けるように飛び出してきた。
白刃こそひけらかしてはいないものの、溢れる殺気を隠そうともせず、刀に手をかけている物騒な一団であった。
「物取りなら、御人違いも甚だしいですぜ。あっしは見た目の通り、貧乏所帯で金なんかとは縁遠い暮らし向きなので、襲い掛かるだけ損ですよ。旦那方」
辰吉は腰の龍の容をした玉鋼で拵えてある芝居にでも使いそうな大煙管を右手に下げて、躰の力を抜いて備える。
辰吉の一連の言動を注視していた牢人者の一人が他の二人を片手で遮り、その動きを止め、辰吉に話しかけてきた。
「貴殿が何れの手の者かは知らぬが、並々ならぬ腕前の持ち主と見た。我等も厄介事は望んでおらぬのだ。丸松屋の件からは手を引いて成り行きを見届けるだけにしてくれまいか? それ相応の礼はしよう。どうだ?」
どうやらこの一団の頭目らしい。
目配せだけで他の二人が動きを控えた。
「丸松屋っていやあ、鵜飼の御家でござんすねェ。見張っていたのか、あっしのことを尾けていらしたんだかは分かりませんが、何故こんなことをなさるんで?」
「いや、実はな……」
牢人者の頭目は、答えながらも一瞬で辰吉との間合いを詰める。
がちっぃぃいん。
金属と金属の激しくぶつかる音と共に薙ぎ胴に放たれた剣筋を大煙管で辰吉は受け止めていた。
確実に仕留める剣筋であった。
「問答無用ですかい」
辰吉は、力と力で鍔迫り合いをしながら、返し手で刃を受け流し、昏倒するように首筋に狙いを付けたのだが、牢人者は刀を落として左手に持ち替え、受け流しを押し返すと一呼吸で間合いを離れ、距離をさっと取る。
辰吉は大いに冷や汗をかいた。
この牢人者を装う刺客の頭目はかなりの手練れだ。
刺客の頭目も同じように感じたのだろう。手の内を探るように間合いを測っている。
「今の初撃を躱すとは恐れ入る。それどころかもう少しで儂が刈り取られる処。見事な腕よ」
頭目が淡々と語りながら剣を構え直しつつ、他の二人も殺気を放ちながら抜き身を構えた。
動きや目線にも隙は少なく、頭目ほどの手練れではなさそうだが、そこそこに鍛えられた人斬りの剣のようである。
飛び道具を使わない所を見ると物取りか辻斬りの仕業に見せておきたいのだろう。
バレバレの建前を大事にする。
どこかに属している侍どものやり口だ。
しかもこのやり口には覚えがある。
「旦那方、あっしも殺されるわけには行かねえんで、この辺りで手を引いちゃあくれませんか? そうしたら、何事もなく収まりやす。このままやり合えば、お互いに色々と拙くなりませんかねぇ? あっしはこれから、二階笠を収めに行かなきゃあなんねえんで」
辰吉はそう言いながら、様子を探った。
思う通りであれば、今の言葉に反応するはず……。
やっぱり当たりのようだ。
牢人者の頭目の研ぎ澄まされた殺気に揺らぎが出た。
「二階笠とは……貴殿は雀か?」
頭目の問いに、辰吉は身構えながら、
「いいえ、雪待ちの笹の側でやす」
と大きく謎かけの問答を告げた。
自分の言に雀かと問うという事は、紋所の出自を知るということだ。
辰吉が口にしたのは紋所で、将軍家御指南役にして大目付としても信頼の厚い、柳生家のものである。
牢人者の頭目は何やら考えているようであったのだが、
「相分かった。互いに争うは益無き事。無礼を許されたい」
と重々しく告げると殺気を放つ他の二人に、
「剣を引け。争うてはならぬ手の者じゃ」
そう言って剣を収めた。
他の二人は不満気で剣も収める様子が無かったのだが、頭目が、
「戯け者共め。分からぬかっ。そこな者は新陰流の草じゃ。しかも手練れぞ。我らがそこな草を始末してそれがどこぞに漏れでもしたなら、御上が動いて、腹の一つや二つでは済まぬ事になる。良いかっ引けっ」
と厳しく叱りつけ、二人の牢人者も剣を収めた。
頭目は辰吉に向き合うと、
「見ての通りの牢人者故、喰うに困っての凶刃であった。この通り許されたい。詫びは此処に置いておく」
と頭を下げ、ずっしりとした重みのある巾着を地に置いた。
辰吉は、そのまま間合いを大きく取りつつ、身構えたまま穏やかに告げた。
「御牢人様、あっしは深く根付いておりましてな。色々と静かにしておきたいと存じておりやす。もし、又何かあったり、御牢人様方を御見かけする事なぞ御座いましたら、少しばかり五月蠅くしなければなりやせん。それこそ、雀が出張って来るやもしれやせんよ」
「忠告痛み入る。我等も出許は貴殿とさほど変わらぬゆえ、この近在では暫しの間姿を隠そう。此度の一件で御上に砂を蹴るような真似は決して致さぬ故、些少の事には目を瞑って頂きたい。御免」
そう言ってその場を顧みずすぐさま立ち去った。
辰吉は置いていったずっしりと重い巾着を手にしながら、
「この金はケチらず、見張りに頼んだお侍に有難く使わせて頂きやす」
と言いながら見事な引き際も含めて、剣呑な相手だと冷や汗を拭いつつも、いつもの辰吉らしからぬ、不敵な笑みを浮かべていた。
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