第13話 仕置きと赤鬼

 日も暮れかけ、夕日の残り香と夜の帳が重なって、薄紫の宵闇の時分。

 お市は矢も楯もたまらず、藤次郎を伴い辰吉の処へ押しかけた。

 辰吉は家の主人と手代相手に上等な酒をたらふく飲んで上機嫌である。

 二人の顔を見るなり、ろれつが回らない物言いで、


「おぉお、これぇはこれえは我が家の姫君と若党、ちと、肩を貸しておくんなさあい」


 そうせがむと二人に肩を借りながら、


「本日の処はぁこれにぃて、失礼いたあしやすぅ。粗相のぉ前に御免なすってぇ」


 とこれギリギリ聞き取れる座を辞す言葉を投げかけた。

 家の主人は笑顔ではあるかその目付きにはあからさまな侮蔑の色を浮かべている。

 しかしながら、笑顔や歓待する様相は崩してはいない。

 辰吉は主人夫婦に背を向けて、離れへと歩き始めた途端、


「このまま……酔い醒ましってぇ事にして、川面の方へ行って、鵜の鳥屋の様子を眺める。二人とも上手く頼む」


 そっと呟いて、お市も藤次郎も無言で頷き、三人でふらふらしながら川に面した屋敷の裏手に向かった。

 本当に酔っぱらっているのではないかと、お市が疑い始めた頃合いに人気も無くなり、辰吉は途端にしゃんとした。


「さて、鵜の鳥屋でもしっかりと拝見しようかい。お市嬢、変わったことが無いかしっかりと見てやってくれ。藤次郎もだ。そもそもどうしたいのかがそれでわかる」


「どうしたいって、天覧漁を行うんだから、失敗しないようにするのが当たり前でしょ? なのに変よね」


 不思議顔のお市に藤次郎も頷くと、


「天覧漁をしくじれば家の恥ですし、そもそも、粗相の中身によっては生命すら危ぶまれるもの。藩のお歴々に加えて幕閣の方まで参加するとなると……私もその辺りが上手に飲み込めません」


 二人揃ってじっと辰吉を見やった。

 少女から女性へと変わる過渡期の華も恥じらう蕾のような美しさを煌めかせているお市と、男くささと少年のあどけなさが混在する美少年の藤次郎の二人の真っ直ぐな視線に、辰吉は苦笑した。

 これから先のお市と藤次郎の苦難を思いやってであった。

 美女と美男の取り合わせも、行きすぎるとなあ。

 一瞬とりとめのない事を想いながら、直ぐに頭を戻す。


「失敗したいのか、したくないのかは分からねえけどな。上手にしちゃあなんねえ事情があって、その事情は金か身分か……まあ、両方ってこともあるだろうが、損して得する約定の一つや二つはあるだろうよ」


 藤次郎がふむ、と色々と考えを頭の端々に張り巡らせ始めた。


「失敗しても得をすると確信できるもの……文を持たなかった姉さんを追い返すような入念な御家だから、証左となる証文くらいあるだろうし、お咎め無しとなるような沙汰を下せるお役人とつながりがあるって処でしょうか――」


 辰吉が真顔で止めた。


「藤次郎。そこまでにして、これ以上探るのは無しにしておこう。鵜の面倒を体裁だけで診るように呼ばれているのは間違いない。なので、お市嬢、具合の悪そうなやつだけ治して、後は普通で良しといところでお暇しましょう。漁が上手くいく行かないは、鵜飼の領分。漁が始まるまでに鵜が元気であればこちらの勝ち。それ以上もそれ以下もあってはなんねえ。武家の恨みは面倒だし、後は精々美味いもん食って飲んで、馬鹿な奴等だと思わせれば、万々歳だな。二人とも分かったかい?」


「うん。辰じい、分かった。でも調子の悪い子が居たら元気にしても良いでしょ?」


「嗚呼、だがそこまでにしといてくれよ」


「大丈夫よ。それ以上は……」


 したくても出来ないと言いかけた言葉をぐっと飲み込み、尻切れトンボのように話を閉ざしたお市とその様子にすぐさま気付く藤次郎と辰吉であった。


「姉さん、どうし――」


 藤次郎が姉に問いかけたその時である。


「何だっ、お前たちはっ。何しに来たっ」


 大声と当時に髭を生やした大男が、打ち払い用の鉄の棍棒片手に殺気溢れる眼差しで飛んできた。怒っているようで顔が赤く、どちらかというと赤鬼という形容が似合いそうな大男であった。

 さしものお市も藤次郎も顔が引きつり、辰吉は腰の護身用の龍の容をした鋼で出来た大煙管に手を伸ばし、身構えていた。

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