第11話 姫と侍の思惑は
「へっくし」
門馬兵庫之介は存外可愛らしいくしゃみをしながら、片膝をついたまま玉砂利の上で控えていた。
「風邪でも引いたか? 馬借の家の娘に入れあげて、腑抜けたのであろう?」
隣には兵庫之介の竹馬の友で、安中藩にあって藩随一の剣士である富岡十郎太が同じく控えながらも兵庫之介に明るく嫌味をねじ込む。
「お前は会っておらぬからそう言えるのだ。何のかんのと言っても私は姫様一筋だが、お前の方こそ、お市殿と触れ合えばたちまちに骨抜きになるのは間違いないと確信している」
「つまらぬことを言うな」
「いや、真だぞ。本気だ」
二人とも声音がやや大きくなっている事に配慮せず言葉を続けていた。
「やれやれ、更につまらぬことを重ねるとは。後でたっぷりと稽古をつけてやる」
「よせよせよせ。これから私は仕事に戻らねばならないんだ。目付方祐筆として、筆を握れなくなったりしたら、どうするんだ?」
「そうですよ。毒を飲まされたばかりなのですから、あまり無理をさせてはなりません」
年若い女性のゆったりした話し声に、十郎太も兵庫之介も畏まって目線を下げると臣下の礼を取る。
地無しという全てを絢爛豪華な刺繡に覆われた派手やかな着物の裾を翻しつつ、穏やかな笑顔の整った気品のある姫君が楚々と玉砂利を踏みながら足を運んでいる。
幅広の丸い吹輪髷に豪勢な螺鈿細工の簪が煌びやかであるのだが、表情や仕草が清楚で穏やかであるがゆえに派手さを感じさせない、不思議な雰囲気を纏った姫君である。
穏やかで優しい雰囲気がその身から溢れているのに、口調は明るく口性の無い物言いである。
気安い雰囲気に、十郎太は顔をしかめた。
「桜様。御身は我が藩の行く末を担うお方。かような場所まで伴回りも無くお越しになられるはー」
窘めようと言葉を発したのだが、
「余りにも軽率。それでは我が藩の為になりませぬ。お控えなさいませ。御身を何と心得ておられまするかぁ」
桜と呼ばれた姫君は十郎太の固い言い回しを真似して、先に物言いを封じるとちらりと見つめる。
ぷっ、と兵庫之介が笑いを堪えられなくなり、吹き出した。
それに、我慢ならない十郎太が、
「兵庫之介っ、何が可笑しい? 慎めっ。姫様の御前だぞ」
やや、赤面しながら告げたのだが、桜姫が穏やかに窘めた。
「いいえ、慎まなくて構いませぬ。私も貴男方も幼き頃より共にありし心やすい者同士、それに今はお二方と紀乃しか傍におりません。ねえ、紀乃?」
呼ばれるまで完全に陰と同化していた侍女紀乃が、すっと出てくると
「はい。御人払いは済ませて御座います」
と頷きながら表情を変えずに返事をした。
桜姫は穏やかな笑顔を浮かべたままで、
「昔は同じ女子かと思ったほど可愛らしい十郎太が、こんなに固い石頭になってしまうとは……桜は悲しいですよ」
と口元を扇で覆ってニッコリすると言葉を続けた。
「まあ、私の遣いで出たにも関わらず、毒を仕込まれてしまった兵庫に比べると些末なことではありますが」
兵庫之介も十郎太も表情を引き締めた。
「此度の天覧漁は格好の場、それこそ、不慮の事故や食あたりに気を着けねばなりませんね。相手の立場なら、我が藩への誹りの大義名分を得るための絶好の機会、見逃すはずもないとは思っておりましたが、まさか敵の手がここまで身内の中に及んでいようとは思ってもみませんでした。鵜飼の鵜どころか兵庫之介までに手を下そうとは……」
「姫様……良しなに」
紀乃と呼ばれた侍女が、言葉を閉ざすように含みを持たせる。
桜姫は笑顔のまま驚いたような表情をあざとく浮かべる。
「あら、私としたことが。気安いと口が軽くなります。何れにしても私が頼りに出来るのは貴男方も含めて僅かばかり。兵庫之介を助けてくれた者達はどこの手も触れていない様子ですし、鳥獣指南とやらの看板も出しているとか。こちらの援けになるやもしれないので、鵜の様子を当日までしっかりと見て頂くよう、紀乃が手配りを済ませております。兵庫之介のお眼鏡にかなうお市殿という素敵な女性もおられるようですし、まずはこの山超える算段、お願いしますね」
桜姫の表情は笑顔のままではあるのだが、その目の奥の光は少しばかり寂し気であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます