第10話 攻防と嬉しさと

「さてと、お問い合わせの用向きは何のことやら見当も付きません」


 米之助はでんと構えて、照と向き合い少しも動ずるところはない。


「二代目、ではこれをどのように捉えますか? お礼にと手渡された品々です」


 風呂敷の上に、鼈甲の櫛と小判が二十両、それに香木が一本置かれていた。


「門馬様の氏素性すら細かく聞き出しているわけでもなく、食あたりで命取りになるようなものでもない。ましてや、早馬の用を命じられた門馬様は然程に身分の高いお方ではありますまい。なのにこれらの品々は勘定には全く合わない、算盤が合わぬどころか、やって来たお侍様方も皆お優しい声音と様相。最早、これまでというところまで追い込まれておりまするが、それでも白を切るおつもりか?」


 照が穏やかに詰め寄り、米之助は表情一つも変えず、


「何を申されましても、他に語る処は御座いませんので、困りましたなあ」


 と堂々巡りをしている。


「左様ですか。二代目がそこまで申すのならそうなのでしょう。因みにお越しになられた方々は安中藩藩士のお歴々で、公方様の御傍に近い御家の皆さまでした。お市が向かった鵜飼の御家は安中藩と縁も深い御家だそうで、今度の天覧漁も藩のお歴々に幕閣の方もお越しになりご覧あそばせるのだとか。恐らくその当たりで、何か不都合があったのでしょう。迂闊に何かがあると我が家ばかりではなく、この宿場にすら甚大なるご迷惑を掛けるという事くらいはご承知ですか?」


 米之助は飲みかけていたお茶にむせ返りそうになるくらいに驚いていた。

 代官所の酒井田様か、或いは元々は大藩の上役であった御陵の御隠居辺りから話を聴いているのだろうが、驚くべき早耳であり、事情通である。

 その辺りの事情をまさに今、伊平と六郎に探らせている処であった。


 馬借稼業の利の一つに早耳がある。

 荷駄を運び、街道を往来しながら様々な人々に触れるのだから、至極当然ではあるのだが、伊平も六郎も現役の馬借の若頭で顔も広く、その手の事も難なくこなしてしまうのだが、そんな若頭二人が相手にならない程の伝手があり、信頼があるのは流石の母であった。

 米之助は己の足りない部分をズバリ指摘されているようで、頭を搔いた。


「それは存じ上げませんでした。流石は大女将。お耳が早い。まあでも、鵜飼の御家には、お市だけではなく、辰吉さんと藤次郎が加わって向かっておりますし、何とかなるかと思います。念の為酒井田様には遣いを出しておきましょう」


 心の中では大いに冷や汗を搔いている米之助は、実の母ながら恐ろしく手ごわい強敵に対しても、顔色一つ変えていない。

 照はふっと微笑むと、


「二代目はようやく二代目と言える肝をお持ちになりましたね。そこに免じて私もこれ以上の詰問は止めておきましょう」


 全ては分かっているかのような表情で、じっと米之助を見据えた。

 米之助はその視線に耐えるために己の意気地をかき集めて凌ぎつつ、心の中で祈っていた。

 お市、藤次郎無事に帰って来い。

 辰吉さん、諸々良しなに。



 そんな父に祈られているとは知らず、お市は辰吉と藤次郎と共に鵜飼の御家まで向かっていた。

 何のかんのと言いながらも、やっぱり皆と一緒の旅路は、心強く足取りも軽い。

 お市はかなりの上機嫌であった。

 貌からは笑みが零れ、それにつられて黒丸ははしゃいでおり、いつもは冷めている筈の馬のアオも、随分と素直であり機嫌が良い。

 お市が喜んでいる理由の一つが、お市の足元に寄り添う元気溢れる二匹の狼の仔で、それをあやすおっ母狼に目を細めながら、


「元気になって良かったね。隈取」


 とおっ母狼に嬉し気に声を掛けた。

 隈取と名付けられたおっ母狼は、をんっと一声、これまた嬉しさを躰全体で表しながら返事をした。

 やや後ろを歩く黒丸と白眉は満足げに尻尾を立てている。

 旅路の途中で灰王の許迄隈取と狼の仔を送り届ける算段である。


「本当に元気になったよね、姉さん。正直もうだめかと思っていたよ」


 優しい笑顔で狼の仔と隈取を見つめる藤次郎にお市は頷きながら、


「ホントよね。あんなやり方があるだなんて思いも寄らなかった」


 と辰吉を話し相手に、やや興奮した様子で声高に話していた。


「まずは当帰を沸かした湯の上に置いて、湯けむりに薬の分を載せて吸わせたいので、何とかなりませんか? お市さん……なのよ。辰じい、そんなやり方考えもしなかった。人にも良く使う医術何ですって」


「ほうほう、そうかい。お嬢、新しい技がよっぽど嬉しいんだな」


「うん。だって助かる命が増えたら、賑やかになって楽しくなるでしょ?」


 ニコニコと眩しい笑顔を振りまきながらお市は、門馬兵庫之介の事を想っていた。


「あのお侍さん。元気かなぁ。また会えたら色々教えて欲しいのだけれど」


 藤次郎はそんなお市に、


「お侍様に余り関わり合いになるのは宜しくないって、忘れてないよね。姉さん」


 と、しっかり釘をさすのを忘れない。

 藤次郎は懐で御守りを握りしめながら、今回の旅が何事も起きないよう願っていた。

 御守りは幼馴染でおつかわし屋の若女中でもある、お花から道中を無事にと貰ったものであった。

 嫌な予感が頭の中を走り抜け、それが真とならないように頭から締め出しながら、心配性の気苦労をしょい込みながら、藤次郎は後に続く。

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