巻の弐 第二章 憂慮
第7話 大岩の二代目と藤次郎の間尺
おつかわし屋では、アオに乗せられた正体の無い侍を見て、お福はすぐさまその足で番屋へ向かい間髪入れずに話を通し、米之助は毒を飲んだようだという藤次郎の話を聴いて、テキパキと家人に指示を出した。
「伊平、白湯にどくだみを濃く煎じて、どんぶりに二杯は頼む。無理矢理にでも飲ませて吐かせてくれ。六郎、悪いが原庵先生を叩き起こして、担いででも連れてきておくれ」
「へい」
「合点承知です」
米之助は藤次郎と二人になると、やや引き締まった表情で、
「事の仔細を頼む。お市の事を含めて初めからね。漏れないように頼むよ」
と、とても心配そうに問い質す。
山人の賊の捕り方騒動で、お市は自身の生命すら亡くすような危ない思いをしているのだから、至極当然であり、だからこそ藤次郎もありのままをしっかりと漏らさないように告げた。
「そうか。ならばどうということは無い。面倒なことにはならなそうだな。先ずは良かった」
相手が身形のいい侍なので、少しばかり心配げだった米之助の表情もやや和らいでいる。
そうこうしている間に、毒を吐かせた伊平が兵庫之介の意識が戻ったと報せ、併せて、六郎に背負われて、老齢の原庵先生が連れてこられた。
毒を吐かせている事もあり、医者の見立ては一日もあれば、血の気も戻り本復だと太鼓判を押してくれ、皆胸を撫で下ろし、番屋にも事の仔細をお福が馬と共に届け出たので、問題もない。
米之助は、客間に寝かしつけられている門馬兵庫之介に、
「何かお手伝いは要りませんか?」
と話を聴いて、すぐさま新町の宿と念のために代官所の懇意にしている与力の酒井田宛に遣いを出していた。
恩をうっておいて、後々回収しようという商売っ気で満ち満ちている腹積もりである。
そんな父を他所に、藤次郎はずっと難しい顔をして何やら考え込んでいたのだが、暫くして米之助にこそこそ話をした。
「お父っさん、門馬様は毒の事で何かお話をされていましたか?」
「ああ、何でも二輪草と間違えてカブトギクを少しばかり食したかもしれないそうだ。大変驚かれていた」
「左様ですか。これはいけないかも。間尺に合わない……」
更に難しい顔をしている藤次郎の言に、米之助とその場に居合わせた伊助と六郎が耳をそばだてた。
まだまだ若輩者と呼ばれる年齢ではあるが、その頭の切れ具合や先見の明は周りの者達に今孔明と言わしめる程にまでなっている。
「宜しくなさそうな話だ。藤次郎、どういうことか思ったことをしっかりと伝えなさい」
穏やかながらも重い米之助の言に、藤次郎は三人へ目配せをし、三人とも無言で頷く。
「はい。門馬様とお会いした時に、医の心得があるとお話しされておられました。その後、姉さんが気付け無かった狼の仔の具合をピタリと言い当てており、そんなお方が寄りにも寄って、野草と猛毒を取り違えるとは……到底思えません」
六郎が太くて逞しい腕を振り回しながら、
「しかし、誰かが毒を盛るにしても、まどろっこしいやり方で、気に入りやせん」
と、比較的大きく声を上げた。
すぐさま、米之助が顔色を変える。
「これ、大きな声でそんなことを言うもんじゃあない。それにだ、門馬様は行きずりのお侍様だ。我々は深く関わらず、食あたりをお助けしただけなのだ。いいね?」
藤次郎が腕を組みながら、目を閉じて頭の中を回し始め、説明なのか独り言なのかよくわからない声音でぶつぶつ言い始めた。
「その場で始末をつけるのは拙い。だから薄く毒を盛って偶さか事に会い、偶さか不幸が重なってという具合に仕込まれた。門馬様はその相手に心当たりがあり、それを我々相手に隠さなければならないという事は……」
申し訳なさそうに藤次郎が上目遣いで三人を見つめて言った。
「事は遅いかも知れません。門馬様がお届けしなければならない書状を、姉さんが鳥を使って新町の一平さんに送りました。直に門馬様のお届け先に着くと思われます」
横から若手頭のもう一人、伊平が口を挟む。
「出方ひとつ用心しねえとヤバそうで。辰吉さんが戻りなすったら事のあらましはあっしから伝えやすが、後の方々は知らぬ方がよろしいかと存じやす」
米之助がうむと大きく頷いて、皆を招いて顔を近づけ、
「いいかい? 門馬様は誤食されたのだ。猿も木から落ちるし、弘法も筆の誤りの例え通りだよ。我々は何も知らない。診て頂いた先生には勿論、先生の御付きの小僧さんにも耳に入るように話はしてある。念の為、伊平と六郎は近くの茶屋の……そうだな、岩松屋がいい。今日の昼過ぎに団子でも食いながら、話好きの主人の耳に入るくらい、食あたりの若侍のひそひそ話をしてきなさい」
真顔で皆に伝えた。
「へい」
「分かりました。直ぐにでも」
六郎と伊平に続いて、藤次郎も頷くと米之助に問うた。
「おっ母さんと姉さんには勿論黙っておきますが、婆様……大女将にはどうしましょう?」
「藤次郎、もう一度言うが、誤食された食あたり以外、誰にも話すことは無いんだよ。いいね?」
当然の如く、毒の事などどこにも漏らさず、食あたりらしいという話を広める事を忘れない。
藤次郎は先を見越した抜け目のなくそつのない父の采配に、流石だと感心一しきりであった。
いつか父のようにありたいと思いつつ、段取りや差配の在り方を漏らさないように目の奥に刻み込んでいる。
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