第2話 おつかわし屋の面々

 街道沿いに建つ旅籠大椛と厩の脇道を奥に入った、大椛の裏側、山の裾野を見据えた場所におつかわし屋はある。

 よろず鳥獣指南の看板が目を惹く、少しばかり変わっている馬借稼業であった。

 旅籠大椛はお市の祖母照の辣腕ぶりにより、本陣に軒を連ねる旅籠としてにぎわっているが、本来の稼業は初代初次郎が始めた馬借が生業であり、それは今でも変わらない。

 峠の道では重い荷を、馬に背負わせ牛に運ばせ難所を越える。砂糖に塩に醤油に味噌、反物から鉱石に至るまで、様々なものを運ぶ。

 併せて荷を狙う賊を相手に守ることも請け負って、当然、気の荒い者が集まりやすく、喧嘩に刃傷沙汰なぞ当たり前のやさぐれた稼業だとみなされがちだが、おつかわし屋は其の真逆で、評判がすこぶるいい事この上もない、珍しい馬借である。


 おつかわし屋は人は勿論、馬や牛まで、大事な荷物に気をまわすと評判を呼んでいるのだ。

 利用した者達が驚くこと数知れず。

 その内に、上得意の商人や武士、挙句には同業の馬借にまで、馬や犬を躾けてくれとの話が余りにも多く、おつかわし屋に頼めば賢くなるとの評判に、怪我や病になった犬猫牛馬を治したりしているものだから、評判が評判を呼び、おつかわし屋に初次郎の名は津々浦々にまで広がり、そのため鳥獣指南を頼みに来るものも後を絶たない。


 初代初次郎は真っ直ぐな男で、徳川様の幕府が開かれても戦国がまだ燻っていた世の中で、損得に関係なく人も獣も良く助けた。

 そして、その心根はこのおつかわし屋の皆にシッカリと根付いて息づいている。

 現におつかわし屋にいる皆の顔は明るい。

 皆、互いにニコニコと笑いながら声をかけあう。

 同じように、弟の藤次郎が、にこやかに笑いながら近づいてくるのだが、少しばかり意味合いが違うようだ。

 ニコニコというよりは、何やら苦笑に近い感じなのだが、腹芸がまるでできない裏も表も無いお市には、読み取れるはずもない。


「姉さん、仕事はどうだった。上手くいったのかい?」


 三つ先の曲がり角から女の溜息が聞こえてくると言われるほどの美少年という話だが、お市からすると身内も身内で、如何にもぴんと来ない。

 それよりも、門前払いされたことを思い出し、藤次郎にこんなことがあったのとばかりに声をかけた。

 

「それ、それなのよ。ちょっとさ、聞いてよ。酷いことがあったの」


 お市は軽い憂さ晴らしの話のつもりなのだが、相手が藤次郎であることを忘れている。


「うん。大方、追い返されたって処だよね。門前払いってところだろう?」


 えっ、といった顔をお市はしていたのだろう。

 藤次郎の眼がニヤニヤしている。

 これだ。このしたり顔が腹が立つ。少しくらい頭の回転が速いからと言って、得意げな言い回しが気に入らない。

 いつも、心配してくれて、陰になり日向になり手助けしてくれる良い弟ではあるのだが、それを差し引いても、矢張り気に入らない。


「何さ。何でわかるのよ。言ってみなさいよ」


「嫌だなあ。おっ父さんに先様にって云われていた文を持って行ってないよね。あれがないと、初次郎の名代かどうかすら判らないよ。だって姉さんは先様と顔を合わせたこと無いだろ」


「ああっ、しまったぁ」

 

 と悲鳴にも似た大きな声をお市は出した。


 そう言えばそうだった。

 独りで行くという事に気合を入れ過ぎて、前の日はあまり眠れずにいたので、うっかりしてしまったのかもしれない。


 その様子を眺めていた父の米之助が、柔らかく笑顔で告げた。


「なあに、大した事は無いよ。先様には、お詫びも含めて再度手紙を添えて遣いを出したから大丈夫さ。日もまだまだ余裕があるし、心配は要らない」


 大岩の二代目と言われ、何事にも動じず懐が深くて大きいと評判の主人であるのだが、この名物の二代目にも、弱いところがある。

 妻子に目が無く、その全てを何でも受け入れてしまうところである。

 お市も藤次郎も人様の為に一生懸命になれる自慢の子供達で、厳しくするべき処など、微塵も見いだせないのだ。

 そんな、二代目初次郎の様子を見て、横から綺麗な声が大いにトゲのある不満を含んで飛んで来る。


「お前さん、其処は怒るところよ。本当にお市にはとろとろに甘いんだから。もう少し、子供たちへ商いというものをしっかりと教えてあげないと。甘やかすだけでは為になりませんよ」


 お福が綺麗な顔をやや赤くして、柳眉を上げつつ一生懸命に言っている。


 お福と言えば、若い頃は何とか小町と色々噂され、二児の母となった今でも立ち居振る舞いにすら華があり、母ながら将来のお手本だとお市は決め込んでいるのだが、今は宜しくない。

 逃げ出さないとこちらへ鉾が向いてくる。


「お市ちょいといらっしゃい。藤次郎、貴方もよ」


 逃げ出そうとしていた二人を愛ある母は当然見逃すはずもない。


 ほら来た。

 お市はお福のお小言が大の苦手であった。

 怒られること自体は仕方がない。

 ただ、お福はこの世の人は全て自分と同じ善人であると信じ込んでいるきらいがあり、ましてや子供である。

 うっかり反抗するようなそぶりを見せると、傷付いて綺麗な眼から大粒の涙を流すし、神妙に反省してみせると、これまた怒ったという自分の行為に傷付いてしまうという、きわめて愛の溢れる叱責をする母なのだ。

 お市も藤次郎もそんな母を傷つけたくはないので、どう反応すればいいかいつも悩む。


「お市、相も変わらず、張り切り過ぎるとそそっかしいんだから。よく周りを見て皆様に御迷惑にならないよう心配りを忘れてはなりません。それに藤次郎、姉様に何と言う物言いですか。弟として姉様を手助けするのが当然至極でしょう」


 父の米之助は弟の藤次郎にも甘い。男の子なのでお市よりは多少はましだが、やっぱり甘い。

 だからお福は自分が厳しくせねばと無理して怒っていることは皆とっくに、ご存じご存じの合いの手が入れられるほどである。

 ガラガラと荷車の音と共に声がした。大番頭の辰吉であった。


「女将さん。只今戻りやした。あぁ、お市嬢、アオが表で拗ねてるから面倒見てやってくれ。藤坊、荷解きと運び込み頼む」


 真っ白な白髪頭に違和感があるくらい、張りのある真っ黒に日焼けした肌に、にっこり浮かぶ笑顔が清々しい。

 二人とも待ってましたと言わんばかりに、「はいっ」と声も揃えて小走りに走っていった。場に残る微妙な雰囲気に、


「何か拙かったですかね」


 と辰吉がお福に訊くと、


「いいえ大丈夫です。ご苦労様です。裏にお茶と沢庵でも用意しましょうね」


 とその場を後にした。

 米之助が片手で拝むと、辰吉はこれまたニッカリと笑顔を浮かべて、目で頷いた後、


「さぁ、皆の衆。大事なお預かり物だ。しっかりと運ぶぞ。働かねぇ奴ぁおまんま抜きだからな」


 と声を張り上げた。

 辰吉は初代初次郎を兄貴分として慕い、ずっと共に歩いてきた。

 実直で機転も利き腕もたって頼りになる、おつかわし屋に取ってなくてはならない大番頭である。

 初代初次郎が鬼籍に入ってからは、より一層その仕事っぷりに磨きがかかり、二代目初次郎こと米之助を馬借稼業で座頭として廻りに一目も二目も置かれるように叩き上げた辣腕である。

 今は、孫に教えるかのごとく、米之助とお福の頼みもあり、お市と藤次郎に稼業のイロハを仕込んでいる。

 おつかわし屋は少しくらいの重い荷ではビクともしない。

 それがどれだけ重い荷であろうと、これまで幾度となく乗り切ってきたのだ。

 如何なる重荷も、運んで下ろして笑顔を咲かせる。

 それが、おつかわし屋である。

 

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