第41話 伝聞は伝えて聴いて書き奔り
「この山は昔から不思議な事が多いのじゃ。鳥や獣が田畑を全く荒らさないし、獣が人を襲ったどころか、道に迷ったものを郷まで送ってくれたという様な話には事欠かない。故にここいらの者は皆、山神様に頭を垂れるのじゃよ」
「へえ、そうなのかい。それでそれで」
熱心に話を聴きとっている旅装束の若い男は、矢立てを走らせながら、丁寧に古老の話を控えていた。如何やら几帳面な性格のようで、其の帳面には細かくて綺麗な文字がびっしりと埋まっていた。
「また、その山神様が霊験あらたかなことを為すったてぇ聞き及んだんだが、どうなんだい。爺様」
「あの山賊どもの話じゃろ。あれは山神様の真の御神威。何せ、攫われた娘っ子には傷一つ無く、山賊の頭は死んで、賊徒共は皆物狂いになったからの。悪い奴等だけに神罰が降っておる」
「代官所へ逃げ込んできた山賊どもの話はどうだい」
「あの話か。儂は実際あの時、代官所に、攫われた孫娘のお調べで付き添っておったからの。この目で見たぞ」
若い男は待ってましたとばかりに、人好きのする良い笑顔を浮かべると、懐から紙包みを渡した。
「出来る限り、細かく思い出してくんな」
「あれはな、思い出しても傑作であったよ」
古老は、乗り気も乗り気、大乗り気で、身を乗り出して語り始めた。
代官所では酒井田の差配で、捕縛した者達への検めが大掛かりに行われていた。
形ばかりの首検めが行われたのだが、娘達が此奴だと指を指さなくても、罪状は確定しており、どちらかというと、見せしめとしての色合いが濃い検めである。
代官所手伝いとして、おつかわし屋からも人だしをしており、手代の伊平に六郎はふんじばった山人達を打擲用の六角棒片手に、睨みを利かせていた。
元より山人達は、手足を麻縄できつく縛り上げられており、満足に動くことも出来ないようになってはいるのだが、口さがない連中である。余計な事を言わせない為でもある。
引き立てられている山人の中には、霞の権蔵の姿もあり、小春が真っ直ぐに権蔵を指差していた。
「町の若い目明しさんを手に掛けて、清七さんに深手を負わせ、おつかわし屋の皆さんを狙っていたのは間違いも無く、あの男で御座います」
安兵衛の女房であり、悲しみの底に叩き込まれていたお豊も、仇が捕まったと聞きつけ、安兵衛一家の皆を引き連れ、代官所へとやって来ていた。
お豊は何度か気が遠く成り掛けては、お福に支えられながら、連座している山人達の中に、あの男の顔が、源太の顔が無いか、必死に探していた。
安兵衛一家の者達も、総出で源太を探してみたが、連座している山人達の中にその姿は矢張り見つけられず、お豊や番頭の嘆きようは其れは凄まじいものであった。
「あんたっ、あの男が、あの男が居ないんだよ。御免よ、あの男が……いないんだ」
あの豪胆なお豊が、人目もはばからず、声を上げて泣き喚いたのである。
事情をよく知る酒井田以下代官所の者達は、お豊に掛ける言葉を見つけられず、押し黙っていた。
「くかかかっ、山神よ。所詮はその程度かぁ」
霞の権蔵が顔をゆがめて笑い声をあげた。
その時である。
真昼間であるにもかかわらず、狼達の遠吠えが次々に木霊し、それに合わせて、山々の鳥たちが一斉に鳴き出すという、有り得ない事が起きた。
近くの樹々がうねりを上げ、地響きさえ聞こえて来る。
何の天変地異かと皆が身構えたその時である。
「お、お助けぇえ」
「この通り、この通りでさぁ」
三人の山人達がやつれ頬もこけ、すっかり怯えた様相で、代官所へと飛び込んで来た。
その中には意気地も何もかもすっかりと亡くした様子の、源太もいた。
「ああ、ああっしを捕まえておくんなせえ」
あの源太が泣きながら、御縄を求めている。
酒井田や捕り方たちが、首検めに来ていた古老も、源太達山人達の方へ、駆け込んできた門の方へと眼をやって、全員が言葉を失い固唾を飲んだ。
白い熊鷹を中心に、尾長にツグミに百舌にといった、沢山の種類の鳥たちが、有り得ない事に争うどころか、一言も鳴き声を上げず、集まっているのだ。
木々の枝枝をしならせ、黒い影を地に投げ掛ける程の数が、樹上から山人達を見下ろし、木々の間に間には大きな灰色の狼を筆頭に、山犬達が一言も発せず怒気を孕みつつ、此方をジッと睨んでいた。
もし、この獣たちが殺気立ち襲い掛かって来たならば、どれ程の血が流れるかがわからない。
「ギエーっ」と甲高く白い熊鷹が鳴くと、鳥たちが一斉に騒めき始め、灰色の狼を中心に獣たちが唸りを上げ始めた。
「お待ちくださいませっ」
黒丸を連れた藤次郎と辰吉が飛び出して来ると、大きな柏手を打った。
辰吉が朗々と山に向かって、言上する。
「誠に怖れながら、山神様へ申し上げ奉ります。この度、御山を汚し騒がせたこと、万死に値致しまする。しかしながら、悪者はこれこの通り、御神威御神徳をもちまして、見事ここに召し捕ることが適いました。死せるもの達の無念もこれにて晴らし、二度とこのようなことが起こらぬよう、我等郷に生きる者全てが、精進することを此処に御誓い申し上げ奉りまする」
藤次郎も頭を深々と下げると言葉を継いだ。
「何卒、お怒りを治めになり、御容赦下さいませ」
「わんわんわん」
黒丸は実に楽しそうに尻尾を振っている。
「これっ、黒っ」
藤次郎が周りに気付かれぬよう小さく黒丸をたしなめる。
「ギエー」白い熊鷹が黒丸に向って一声発し、黒丸は嬉しそうに「わん」と答え、藤次郎が頭を撫でてくれるのを待っている。
山人達は一体どのような目に遭わされたのか、白い熊鷹の声に「ひいっ」と悲鳴を上げると地に突っ伏して、
「お許し下せえっ、お許し下せえぇっ」
と絶叫していた。
源太に至っては目に怯えの色しかなく、小さく悲鳴を上げているだけで、何処を見ているのかすら分からない。魂が抜けていると言っても皆が頷く程の状態で在った。
勇ましい代官所の皆が息をするのも忘れるくらい、度肝を抜かれている中、源太に気付いたのは他ならぬお豊だった。
「あの顔、あの男、忘れるもんかっ」
吐き出すように言うと、近くに在った両の手で持てるくらいの岩塊を振り上げ、泣きながら源太を打ち据えようと走り出した。
そんな豊の行く手を三羽の鴉が立ちふさがって、嘴を開き人語を喋った。
「オレニハモッタイネエ、トヨ」
「トヨノエガオハサンゴクイチ」
「スマネエ、ミナヲタノム」
「お前さま……お前さま……あたし、あたし」
お豊は雷に打たれたように立ち尽くすと、石を取り落とし泣き崩れ、そこを優しくお福が抱き留めた。
「お豊姉さま。その手が血で汚れることを安兵衛様は望んでなぞおりません」
三羽のカラスは、
「トヨ、ワラエ、ワラエ」と叫びながら、近くの木の枝へ飛んで移った。
白い熊鷹が甲高く叫ぶと、三羽のカラスは続けて人語をしゃべった。
「ヒト、ケモノ、タダコロス。ユルサナイ」
「アタシ、コロスヲユルサナイカラ。イノチ、ヒロエ」
「イノチ。タスケテ」
カアカアとカラスは鳴くと空に飛び立ち、熊鷹と墨助を残して、他の鳥たちも一斉に飛び立った。
藤次郎は「姉さん。女の子丸出しだよ」と呟き、渋面を作り、辰吉は口をへの字にしてお豊の様子を気にしていた。
「お嬢。もう十分だ。幕を下ろそう」
辰吉のつぶやきに呼応するように、灰王が遠吠えをあげ、狼たちがそれに応えて一斉に遠吠えをし、黒丸もその遠吠えに得意気に参加した。
遠吠えに促され、獣たちは一斉に森の陰の中へと、三々五々消えてゆく。
白い熊鷹は天高く空に舞い、墨助は近くの枝から興味深く、藤次郎を見下ろしていた。
我に返った酒井田は、「あの者たちを召し取れ」と指図し、捕り方たちが源太たちに物々しく縄を打ったが、捕まえる者、捕まる者、様子を見ている者、その場にいるもの全てが山神様の起こした神威に、皆畏み恐れ、余計な口を利くものは誰もいない。
お福はお豊を助けるために懸命で、山神様の手妻には関心がなく、藤次郎と辰吉は効き過ぎた山神様の威容に、目を合わせて苦笑いをした。
「六郎。あれ見ろ」
「伊平よ。ああ、判ってる。流石だな」
伊平に六郎は、とんでもない出来事が起きているのにも関わらず、大番頭の辰吉に、若女将のお福、それにいずれ若旦那になるであろう藤次郎の、落ち着き加減に尋常ではない豪胆さを感じ、感心一頻りであった。
伊平が手の汗を着物で拭いながら言った。
「六郎、俺はな、正直ぶるってるよ」
「へっ、俺もだ。あの人達以外は皆そうだから、恥ずかしくは無えよ。伊平よ」
ぎくしゃくとしてとても硬い笑顔で、六郎は言った。
「へえ、そいつはすげえや。凄い見ものだっただろう。爺様、ありがとうな」
若い旅姿の男は、満足げに書付を終えると人の好さそうな笑みを浮かべ頭を下げた。
「流石は、最近評判の読売屋。こんな爺のところまで、話を聞きにくるなんぞ大したもんだ」
「なあに、見聞きした人達から話を拾い集めているだけで。代官所の連中は、皆口が重くてねえ。こうやって方々聴いて回ってる次第」
「若いの。代官所が山神様のお蔭で、賊を召捕りましたなんざ、口が裂けても言えねえよ」
「爺様もまた、口が悪い」
旅姿の若い男と古老は、声を立てて笑い合った。
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