第15話 不思議を振う

「姉さんっ、何か変だ!」


 少し離れた小山にある、宿を見下ろせる寺の境内の木によじ登り、様子を見ていた藤次郎はお市に向って叫んだ。

 途端に途端にお市の顔色が曇る。


「何があったの!」

「捕り方が小春さんの宿ではなく、隣にある宿に押し入ったっ。何事……ああっ、何者かが刀を振り回している。あーっ、危ない」


 藤次郎の叫びにお市は気が動転した。

 清七さんにもしもの事が在ったらどうしよう。辰じいに何かあったらどうしよう。アタシに何か出来ることは……何か、何かないのっ。


 お市の心の叫びに応えるかの様に、足元の黒丸が雄叫びをあげた。

 をおーぉんっ。おぉーっんっ。


 その声に引き込まれて眩暈を起こしたお市は、気が付くと低く地を疾走していた。木の根を飛び越し、草叢を走り抜け、あっと言う間に崖の上までやって来た。

 上空を見あげると雲雀が輪を描く様に飛んでいる。

 すると、今度は天高く空を翔ける眼となって、一直線に宿へと飛んでいく。

 空を翔けていると、枝にとまっている墨助と山鴉の姿が見えた。

 自分より二回りも大きな鴉の横へ並ぶように泊まると、小首をかしげながら、宿場の騒ぎを見下ろした。

 大きな鴉はじろりとお市を睨んだが、


「カァア、カアカア」


 とあの時の奴等はいないと翼をばたつかせながら教えてくれた。

 お市もパタパタとばたつきながら、


(あの宿から出て来る男の顔を覚えて欲しいの)


 と他の鴉にも合わせて頼み込み、再び小首を傾げつつ、木の枝の上から事の成り行きを気にしていた。

 やくざ者らしい男が捕り方に囲まれ、何やら喚いていたが、叩きのめされ忽ち取り押さえられた。

 だが、もう一人の牢人者は、その隙をついて捕り方の一人を袈裟懸けに斬ると、正面に立ちはだかった清七に斬りかかった。


「くっ、しまった」


 清七は倒れて来る捕り方に押し倒される形になり、牢人者はそのまま刺し殺そうと、切先を構えた。


 清七さんが危ないっ。


 慌てたお市は清七を助けようと飛び出し、牢人者の顔に体当たりを喰らわせた。

 しかし、牢人者は全く怯む事無く、


「ええいっ、鬱陶しい」


 と吐き捨てると拳で払い除けた。

 お市は肩の付け根にガツンと大きな痛みを感じ、地に叩き付けられた。

 痛みに唸るお市ではあったが、すぐさま起き上がると上空へ舞い上がり、再度体当たりをすべく身構えた。


(山神様。感謝致しますっ)


 清七は自分の危機を助けてくれた雲雀に感謝をしつつ、千載一遇のお市がつくった僅かな隙をついて、牢人者の胸元へと、鉄菱で覆われた六角棒をもって渾身の突きを放ち、確かな手応えを感じた。

 牢人者が低く呻き動きを止める。

 清七はここぞとばかりに、力いっぱい横薙ぎに薙ぎ払うと引き倒し、それが合図かのように辺りに居た捕り方達が殺到して、たちまち牢人者を打ち据え取り押さえた。

 お市はそんな清七を見て、ほっと安堵した処へ、


「姉さんっ、姉さんっ」


 と、遠くで藤次郎の呼ぶ声がするのを聞いた。


 何かしら?


 ぼんやりとお市は目を開く。

 いつの間にか横たわっている自分を覗き込んでいる藤次郎が、涙ぐみながら声をかけていた。


「……えっ、藤次郎。あ、アタシどうしたのかしら……」


 ズキンと痛みが右肩に疾り、お市は眉根をひそめ、うなると歯を食いしばる。


「大丈夫っ?」


 心配そうに覗き込む藤次郎と、足元には同じく、力一杯心配している黒丸の姿があった。

 ズキズキと痛む肩は間違いなく、先程鳥となっていた時に、叩かれたところと同じであった。


「う、うっ」


 呻き声が出る程、疾る痛みにお市は驚いて目を開けた。

 何か感ずる処があるのか、黒丸が必死に、お市の頬を舐め回していた。

 不思議な事に、痛みが舐め取られているかのように、黒丸が舐めれば舐める程に、痛みが軽くなり、和らいでいく。

 そこへ、元気に空を翔けていた雲雀が、大丈夫だと言わんばかりに肩に泊り、ぴぃと声をかけ飛び去っていった。

 すると痛みは嘘のように晴れて軽く温かく引いていく。

 お市は、すっかり痛みが取れた肩を抑えつつ、雲雀に向かって手を合わせ、深く首を垂れた。


「御免なさい。そして許してくれてありがとう」


 尚も舐め回す黒丸をギュッと抱きしめ、


「黒丸っ、あんたも有難う」


 と力一杯頬ずりをする。

 お市は元気よく跳ね起きると、藤次郎に向かい合い、


「藤次郎。有難う。そして心配をかけたわね。御免ね、もう大丈夫だから」


 笑顔を向けて腕をぐるぐる振り回して見せた。

 黒丸は、お市が元気になり嬉しそうなので、千切れんばかりに尻尾を振って喜んでいたが、心配の表情を絵姿にするには、持って来いの顔をしている藤次郎が、勢いよく尋ねてきた。


「いきなり気を失って、目が覚めたから大丈夫って、分かったよなんて言える訳がないだろ」

「うん。それもそうよね。でも大丈夫になったのは間違いないから、安心して。変な病とかではないから。そうね、おじいが居たら色々聞けたし、上手く伝えられると思うのだけど……何と言えばいいかしら」


 あの不思議な力の何かが起きたのか。

 さっきの黒丸のおかしな動きと、捕り物の際の騒ぎが関係しているのか?

 姉さんは何か宜しくない力を使ったのではないか?

 

 藤次郎の頭の中が凄い勢いで回っていく。

 祖父の初次郎は亡くなる前に、お市を援けてやってくれよとよく言われて疑問に思っていたのだが、今は違う。

 祖父の初次郎は予見していたのだろう。お市が力を持っているが故の危うさを。

 自分には不思議はない。だからこそ、良く見極め考えなければ、次の一手を。


「捕り物の騒ぎと姉さんの気の失いはどう関係があるのか? どんな事が在って何をしたのか。出来る限り詳しく思い出して教えて欲しい」


 お市は、自分でも、今起きたことが良く解っていない。

 今の痛みが無かったら、夢か現かすら解っていなかっただろう。

 どう伝えようか悩んだ挙句、其処は頭の頗る良い藤次郎に考えて貰おうと、思い浮かぶこと全て、ありのままを伝えることにした。


「あのね、藤次郎。今ね……あたし、黒丸になって地を駆けて、その次は雲雀になって空を飛んだのよ。それでね……」

「黒丸で……空を飛んだ……」


 お市の答えに藤次郎は眩暈すら覚えていた。

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